2012年2月5日日曜日

増補改訂 古代日本人と外国語

湯沢質幸著
勉誠出版
2010年11月15日 初版発行
東アジア異文化交流の言語世界というサブタイトルがつけられていますが、まず桐壺帝が幼い光源氏を高麗人の相人にみさせたという源氏物語の有名なエピソードを例にとり、そこでの相人と光源氏を連れて行った博士との会話には何語がつかわれていたのか、さらに渤海使・遣渤海使、新羅使、遣唐使、唐への留学僧などが何語で意思を通じていたのかと著者は問うています。源氏物語には何語が使われていたかは記されていませんし、史実の交流の史料に使われた言語が記されている例はほとんどないのだそうです。ただ、いろいろな状況証拠から、中国語をつかった会話か筆談というかたちで、ほとんどの場合に中国語が使われていたことを著者は示しています。これだけだとやはり中国語が使われていたのかという風に感じてしまいますが、本書の内容はそれだけではありません。
  • 時の政府が、古くからの呉音に代えて同時代中国語であった漢音を重視したこと
  • 仏教界ではその方針が徹底しなかったが、儒学教育を行う大学寮では中国語音での音読、つまり素読が初学者に課されたこと
  • その結果、今に至っても漢字の音読みに呉音と漢音が併存していること
  • 平安時代に、音読み重視から訓読みに変化していったこと
  • 交流に参加した通訳の仕事や地位

などが触れられていて、とても面白く読めました。留学僧の例として円仁が挙げられていましたが、数年前「円仁 唐代中国への旅」講談社学術文庫を読みました。中国の黄海沿岸には新羅人の在外コロニーがあって、貿易などに従事し、日本からの旅行者の便宜もはかっていました。遣唐使には新羅語・奄美語の通訳が含まれていたと本書には書かれていましたが、朝鮮半島に沿って航海する場合だけでなく、中国でも新羅人のサービスを受けるのですから、新羅語の通訳を連れて行くのは当然ですよね。でも奄美語の通訳というのには驚きます。万一の遭難・漂流の際に役立つのは確かでしょうが、そもそも奄美語にも通訳が必要だったこと自体にびっくりさせられます。また、蝦夷にむけた通訳が存在していたことも触れられていました。
また、日本の政府は中国語の通訳を養成する努力をしていましたが、新羅語通訳に関してはほとんど養成を試みなかったのだそうです。その理由として、8世紀になっても日本国内に朝鮮半島からの新来の移住者やその子孫がいて、わざわざ通訳を養成しなくとも事足りていたからなのだそうで、これも目から鱗の指摘でした。
儒学界では音読が重視されていましたが、発音・音読の能力よりも儒学そのものに対する能力の方が尊重されたので、優れた儒学者だからといって、すべての人が上手に発音・音読できたわけではなかったそうです。自分自身の中学高校時代の英語の先生を思いだしてみても、発音の上手な人と上手でない人がいました。初学者である生徒の私にも発音の上手下手を見分けることができたのは何故かというと、ネイティブの発音を聞く機会が少なからずあったからだと思います。もちろん英語を母国語とする人と会って話を聞く機会はほとんどなくても、テレビやラジオや映画などのメディアを通して英語に曝されていましたから。そう考えると、奈良時代から平安時代初期にかけて、日本の大学寮で学ぶ・学んだ・教える人たちには、ネイティブな中国人の発音を聞く機会がどのくらいあったのかが気になります。そういう機会がなければ音読の巧拙を知るのは難しいんじゃないでしょうか。もしかすると、遣唐使も渤海使もなくなってしまった平安時代中期以降の平安京ではネイティブの発音を聞く機会はほとんどなくなってしまい、そういう事情があったから儒学界でも訓読が一般化してしまったのかなと本書から感じました。

0 件のコメント: