2011年12月3日土曜日

贈与の歴史学

桜井英治著
中公新書2139
21011年11月25日発行
「おわりに」で著者は「本書における叙述の大半は中世後期、とりわけ15世紀の約百年間に集中することになった」こと、またその理由を「贈与が日本史上もっとも異様な発達をみせた時代だから」と書いています。たしかに本書に載せられている興味深いエピソードの多くはその時代のものなのですが、神に対する贈与が税に転化していった例として、初穂から租、調へが書かれているように、中世以前のかなり広い範囲にわたって目が配られています。また、本書は細々と多数の史料を並べて実証しなければならない専門誌や専門書の論文とは違いますから、わずか200ページあまりの中に興味深いエピソードと論点が本当にたくさん取りあげられています。800円でこれだけ内容の濃いものが読める本書はとてもお得だと思います。
例えば、 本書の帯にも書かれているエピソードですが、 貞成親王から送られた八朔の返礼を、後小松天皇は翌年にしたり二年分まとめて贈ったりしていました。その後小松天皇が重病になり死の近いことを自覚した10月に、当年の八朔の返礼を2ヶ月目という早い時期に自筆の書状とともに送ったのだそうです。借りを残さずきれいにしてから死にたいということだったんでしょう。このエピソードは貞成親王の看聞日記に書かれていたから分かったことです。おそらく史料がなくて究明不能でしょうが、後小松天皇が死を前にしてしたこと、他にも整理したことがなかったのか気になってしまいます。
また、土地をokoすことは土地にikiを吹き込むことだとむかしむかし講義で聴いたような記憶があって、徳政の起源に土地と本主の一体観念、復活・再生をみる学説が一般的なのだと思っていました。でも本書の中には「有徳思想にもとづいて有徳人に窮民救済という公共的機能を履行させたところに徳政の本質があった」という学説が紹介されていて、動産の取り戻しはこちらの方がうまく説明できるとのことで、勉強になります。
時間の経過とともに信用経済は深化してゆくものだとばかり思っていたので、 15世紀末から16世紀初頭に中世の信用経済が崩壊して割符が流通しなくなることは以前から不思議に感じていました。これは文書主義が蔓延し経済関係・人間関係までも証文化して譲渡可能にしていた職の体制の時代が終わったことと関連付けて理解すればいいわけですね。
贈与という行為に対する中世の人の考え方の多くは21世紀に生きる私にも理解可能だなと感じる点が少なくなかったのですが、へぇーっと感心する点はほかにもたくさん載せられています。
不用意な贈与が先例となり税・手数料と化すことがあるので先例化の回避がこころみられたこと
定例化して手数料のようになった贈与=役得は受け取りを遠慮しないことが望まれた。一旦執務の人である現職が、職に伴う役得を受け取らないと、次ぎにその職に就く人たちも受け取れなくなる不利に被るので
贈答品の流用・換金が当たり前で、贈与の相殺がなされていたこと
銭が贈答に用いられれるようになり、金額を記した折り紙を贈られ、銭そのものは後日送られた。銭の送付が遅くなると催促されるようにもなったこと
などなど、贈答が幕府・朝廷の財政に果たした役割や、貴族や寺社や武士の間の贈答の実際など、ほかにもいっぱい。ほんとに内容の濃い本でした。

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