2011年7月2日土曜日

近代東アジア経済の史的構造


中村哲編著

日本評論社

2007年3月発行


東アジア資本主義形成史IIIというサブタイトルがついていますが、編著者の主催している研究所が主催している合宿研究会の成果をまとめたものだそうで、11本の論考が収められています。読後感は玉石混淆というものですが、 特に面白く読めた玉は以下の2本。


ひとつは編著者が書いた序論「東北アジア(中国・日本・朝鮮)経済の近世と近代(1600-1900年)」です。ヨーロッパとアメリカに続いて東アジアの経済成長が著しいわけですが、序論は東北アジアにおける資本主義形成の内在的な条件を探るという問題意識から書かれています。東アジアは稲作と自然条件とから小農社会を形成しましたが、小農社会は世界中で西ヨーロッパとこの東アジアのみにみられたものでした。著者によれば「最も発達した農業社会が小農社会であり、それが資本主義を生み出す母体になったので」す。時期や程度の差はあれ、15~18世紀に小農社会となった中国・日本・朝鮮ですが、その後の世界資本主義に組み込まれる19世紀前後の対応が大きく異なりました。その理由として、著者は財政力の差を上げています。中国と朝鮮は中央集権国家でしたが、両者とも土地・人民の把握力は末端では弱く、制度外・非正規の秩序が在地を支えていました。それに対して「日本は対照的に強力な支配体制が在地まで貫徹し、それを自立性の強い村落が支えていた。そのために前近代国家としてはきわめて効果的に重い租税を徴収できた。また、中国財政が貨幣・商品経済に受身に対応したのに対し、日本では中央政府が貨幣発行権を集中して貨幣流通量をコントロールできたし、兵農分離・城下町建設・参勤交代・石高制・流通の自由(楽市楽座)といった政策で積極的に市場を創出」しました。その結果、財政の破綻していた・小さかった二国とは違い、「日本は3国の内では、かなりの財政資金を工業化政策(殖産興業)に投入できたし、官営工業にも一部充てられたが、圧倒的部分はインフラ整備に充てられ」、「財政資金を投入した政府主導の工業化(移植型大工業)は財政的裏付けのあった日本だけが相当規模で行なうことができたが、それのない中国は微弱にしか、朝鮮は殆ど行えなかった」のだそうです。以前「朝鮮/韓国ナショナリズムと小国意識」木村幹著・ミネルヴァ書房・2000年という本を読んだことがありますが、その中では米換算した20世紀の朝鮮政府の財政収入が、19世紀の徳川幕府の収入の六分の一ていどだったことが述べられていました。本当にこんなに違うのかしらと多少の疑問も持っていたのですが、この序論では朝鮮だけでなく清の中央政府の財政収入も大国である割には大きくなかったことが説明されていて、納得できた感じです。こうやって数字で説明する手法はとても好ましく感じたし、興味深く読めました。ただし、この序論に問題がないわけではありません。小農社会を形成した中国・日本・朝鮮のその後の進路の違いを説明するために、在地の把握と財政力の差を持ち出さなければならないということは、著者が冒頭で述べた「最も発達した農業社会が小農社会であり、それが資本主義を生み出す母体になった」という主張が破綻しているからだというふうにはならないんでしょうかね。


もう一つ面白かったのは、第4章「両大戦間期日本帝国の経済的変容」です。「慢性的な貿易赤字に苦しんでいた日本内地は、1920年代末から国際競争力の顕著な上昇によって、植民地のみならず世界市場全域に急激に輸出を増やし」特に大恐慌後に世界貿易が収縮する中で例外的に輸出を増やすことができました。この日本の輸出の増加は、アジア交易圏論が主張するアジア諸国からのプル要因によるものではなく、日本の工業製品の品質・価格競争力が改善して自らの植民地以外にも輸出できるようになったことが主因だったとか。この輸出増加がそのまま推移すれば戦後の高度成長によって達成した貿易黒字ももっと早くに実現可能だったはずで、「戦前期日本資本主義については、輸入超過が不可避であったかのような宿命論的な見解が、名和統一の三環節論に対する高い評価を含めて、今なお大きな影響力を持っている。しかし、それは実証に基づかない誤った思いこみに過ぎず、実際は次節で見る工業製品の高品質化と低廉化によって、日本輸出製品の世界市場での優位は格段に高まりつつあった。貿易収支の改善に端的に表れる日本工業の競争力の強化は、1920年代末から30年代にかけて日本の国際的地位が向上するうえで重要な条件となった。日本の資本主義の例外的な発展こそ、両大戦間世界経済における大きな変化の一つであった」とまで述べています。たしかに当時、貿易や国際収支に関わる仕事をしていた人たちには長年の赤字基調が身についていて、しかも生糸輸出による外貨獲得額の激減ばかりが眼について、その他の工業製品の競争力向上による将来の黒字化という明るい展望は持てなかったでしょう。でもこうやって数字ではっきり示されると目から鱗という感じです。


また第4章は日本本国だけでなく植民地についても「このような歴史的過程は、植民地に組み込まれた社会にもはかりしれない影響を引き起こした。戦前戦後の朝鮮(韓国)と台湾の政治体制には大きな断絶があるにもかかわらず、図4.6の右側に見られるように、対外経済関係には強い連続性がよみとれる。1950年代後半韓国と台湾の輸入品の構成は、1940年代とほとんど同じものであった。同時期の東南アジア諸国では、圧倒的に最終消費財を輸入していたのに対し、韓国と台湾では機械類と原材料の比率が極めて高かった。つまり、国内において工業生産が連続的に稼働していた。そして、両国ともNICs(新興工業国)化現象が起こるよりも10年早く1950年代末から工業製品輸出の比率を急速に高めていた。日本帝国としての資本主義発展は、そこに組み込んだ社会をも資本主義に編成替えしていたのである」と述べています。図4.6というのは台湾と朝鮮・韓国輸入における消費財と生産財の比率のグラフですが、たしかに消費財の輸入が減少し生産財の輸入が増加するトレンドが両国にみられ、しかもそのトレンドは第二次大戦をはさむ前後でほぼ同じ趨勢線上にあります。とても魅力的な主張ですしグラフも確かにこの主張を支持しているように見えますが、これに対しては植民地近代化論だといってむきになって反論する人もたくさんいそうですね。

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