2011年5月9日月曜日

近現代日本を史料で読む



御厨貴編著 中公新書2107
2011年4月発行 本体880円


タイトルは「近現代史を史料で読む」ですが、「読む」ことが主眼ではなく、近現代の日記史料をそこに書かれた有名なエピソードなどを示しながら紹介している本です。日記の書き手の略歴・写真などの紹介があるのはもちろんですが、そういった事典的な事項ばかりが書かれているわけではありません。例えば、伊東巳代治の翠雨荘日記については
伊東の栄光と得意も皆かつて伊藤とともにあった。だから本当は伊藤のもとに帰りたいのである。だが伊東の矜持がそれを容易には許さない。この日記は、その葛藤の記録でもある。
とか、また松本剛吉政治日誌については、彼を元老の情報源・連絡役、政界の通人として紹介した後で、
最晩年の彼はそれまでの労を報いられて貴族院勅撰議員になった。任命の日、彼は自らの勅撰に配慮を試みてくれた人々の名前を感謝を持って日記に記すと同時に、反対した人物の名前を書くことも忘れなかった。自らをめぐる情報をも掌上で転がす感触はいかばかりのものであったろうか。
というように、著者による評価もまじえて面白く読めるように工夫されていました。
サブタイトルに「大久保利通日記」から「富田メモ」までとあるように、とりあげられている史料は明治から昭和後期にまで及びます。タイトルには明示されていませんが、編著者が御厨貴さんであることから推測されるように 、紹介されているのは政治家・官僚・軍人・宮中関係者などの政治史関係の史料がほとんどで、原敬日記が12ページ、木戸日記、佐藤榮作日記が10ページというように、政治史的に重要な史料はその背景やその史料によってどう研究が進められたのかも含めて詳述されています。一方、万年野党の政治家や反体制方面の人、経済人、文化人などの史料はほとんど触れられず、植木枝盛、徳富蘇峰くらいでしょうか。また、政治学者の岡義武日記がとりあげられていますが、これも一時は東大法学部で同僚だった矢部貞治日記との対比のために紹介されただけのようです。
採りあげられた人は有名人なので、どこかで顔写真を見た覚えのある人ばかりですが、私にとっての例外は原田熊夫で、本書ではじめて彼の顔を知りました。どちらかというと醜男だし、西園寺公望と一緒に映ったもう一枚の写真でも西園寺と比較して背は低いし猫背で頸が短くて太っていて風采が上がらない印象。彼が表舞台で政治家とならずに秘書役に徹したのはそのせいかな、また文章で明示せずにそれを理解させるために著者はああいう写真を載せたのかな、とも感じてしまいました。また正装している写真の載せられた人が多い中で、ひとり目を惹いたのが牧野伸顕の写真です。中国服を着ているようです。でも、なぜこの写真が選ばれたのかは分かりませんが。
素人である私が歴史を好きなのは、現在への関心が基底にあり、現在をよりよく理解したいから歴史を学びたくなるのだと思います。本書を読んでいると、過去の指導的な政治家はやはり立派な人が多かったと感じます。というより首相や党首といった地位に就くことのできた人の数がずっと少なく、選ばれた人しか指導的地位につかなかったから、結果的にそうだったのかも知れませんが。現在だと、権力闘争が好きだから政治家になった人ばかりで、首相になったらなったことだけで目的は達成という人ばかりのような感じ。濱口雄幸日記のところに
1990年代以降の日本政治は好むと好まざるとにかかわらず新たな政治のあり方を模索し続けている。政党政治をどう創るかはふたたび現在の課題であり、終わりのない課題でもある。浜口は「試験時代」という言葉で政党政治をいかに改善していくかを問い続けた。このような恒常的な課題への取り組みを感じさせるところに日記史料の面白さがあり、浜口が「命懸け」と記した政治を、民主政治の下でともに担う私たちが、本史料から学び得ることは多い。
と書かれていましたが、研究者が歴史を研究する際にも、現在から過去をみているのだなと感じさせられました。あと、現在とのからみでいうと、日記・書簡などの文書類以外の史料、PC上の文書やメールやtwitterなんかを政治家などは保存する措置を執っているのでしょうか。そういう史料なしだと将来の歴史家が困ることにならないか心配。

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