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2011年4月22日金曜日

地図で読む戦争の時代


今尾恵介著 白水社
2011年3月発行 本体1800円
著者は戦前のものも含めた多数の地図のコレクションをお持ちだそうで、そこから得られた戦争の時代の日本のあれこれ、例えば、建物疎開による空き地、広島の被爆による戦災地、焼け跡につくられた名古屋の100メートル道路などが地図に描かれていることが紹介されています。でも、もっともっといろんな世相・事情が地図から読み取れるのだとか。
むかしの鉄道で使用されていた蒸気機関車は、頻繁に停車したり折り返したりするのには向かないので、ガソリンを利用した気動車が駅間の短い都市近郊の路線で頻回運転に使用され始めていました。ところが、アメリカの対日石油輸出禁止によってガソリンの使用が制限され、気動車の運転ができなくなり、その種の「気動車駅」は廃止されてしまったことが地図に描かれています。また、発車時に電力を多く消費する路面電車は、節電のために停まる停留所数を減らして「急行運転」を始めたのだとか。急行というとサービス向上のようですが、そういう事情があったとは。また鉄道でも、不要不急線とされた路線(例えば現在の京急逗子線、京王多摩御陵線、高尾山ケーブルカー)はレールを撤去されてしまいます。太平洋戦争中、船舶の不足や潜水艦の被害を避けたりするため、沿海海運から鉄道へと貨物輸送をシフトしました。きつい登り勾配は想い貨物列車を牽引する蒸気機関車にとっては不都合で、登り勾配の緩い遠回り新線が増設されました。こういったことが地図の変遷からみてとれます。
戦前の日本の地図は参謀本部の陸地測量部が作成していたことからわかるように、戦争も地図作成の目的の一つで、もしかするとそれが主目的だったのかもしれないくらいです。戦時に敵国が既成の日本の地図を利用しにくいように、軍事施設などに関しては地図上に空白で描かれたりしました。毒ガス工場のあった大久野島は島自体が地図に載っていなかったし、皇居などの皇室用地も空白にされました。特に、要塞地帯とされた地域のまともな地形図は販売されず、等高線のない、地形を推測する材料となる鉄道のトンネルも描かない「交通図」しか一般には入手できなかったのだそうです。地図は秘密の対象ということで、カバーに使われた呉周辺の地図には軍事極秘と記されています。また、ロシア製の原図を元に陸地測量部が発行した沿海州の地図に「秘扱 取扱イニ注意シ 用済後焼却」と記されていたことや、驚くべきことに1991年の韓国の地図にも、”After use, the map shuld be destroyed by fire.”の表示がされているのだそうです。
軍機保護法のできた昭和12年以降になると、工場、高圧送電線、ドック、操車場なども改描の対象となりました。例えば、本書の174ページでは、木曽川の大井ダムが描かれなくなったことが採りあげられています。でも、ダムを消してあるのに、ダム上流側の広い川幅と下流側の細い川幅がそのまま描かれ、本当はダムのあるのがわかってしまいそうな作品です。著者は「長らく国土の姿を正確に描写・図化することを誇りにしてきた陸地測量部員がある日突然「ウソを描くこと」を強制された結果、意図的に稚拙に、後世の人が見てもすぐわかるように描いたのではないだろうか」と書いています。が、そういう職人気質の測量部員もいたのかもしれませんが、21世紀も10年目となった現在では、職人さんたちに直接インタビューすることは無理でしょう。ただ、改描済の地図とそうでないものを(定価金拾参銭)〔定価金拾参銭〕という括弧記号を利用したシークレットマークで見分けられるようにしてあったそうなので、戦後になってから部隊史とか自伝とかで真相を明かした人はいたんじゃないかな。
本書は書店でカバーを見て、戦時改描についての専門書かなと思って、あまり中身も見ずに買ってしまいました。戦時改描についての記載はわずかで、その点では期待はずれでしたが、だからといってがっかりな本ではなく、興味深い内容が読みやすくさらっとまとめられていました。私の知っている場所、立川や小川や十条や小石川や竹橋や赤坂見附や六本木などなどの、昔の様子がわかったりする点も面白い。私はgoogle mapを参照しながら読みましたが、現在の地図と比較しながら読むととてもいい感じです。
奥付には、「2011年3月15日印刷 2011年4月9日発行」と印刷されています。本書のテーマにふさわしく「戦争の時代」を思い起こさせる様な表記は、白水社さんのサービスでしょうかね。

2011年4月15日金曜日

あっと驚く船のリサイクル

大内建二著 光人社NF文庫
2011年4月発行 本体686円
タイトルにはリサイクルと記されていますが、内容はリサイクルに限らず、どちらかというとリユースされた艦船つまり中古の船に関するあれこれの方がたくさん紹介されていました。例えば、中東鉄道買収の見返りにソ連向けとして建造されたはずが日本海軍や海上保安庁で使われ後に南極観測船にもなった宗谷や、第二次大戦後にアメリカからアルゼンチンに譲渡されフォークランド紛争で沈んだ巡洋艦ヘネラル・ベルグラーノなどの有名な艦船のエピソードや、また、新しい海運会社は安く入手できる中古船で創業することが多いこと、アメリカで第二次大戦中に大量に建造されたリバティー船が大河の帯水地帯に保管されたのは淡水でサビ対策のため、などなど興味深く読みました。
客船、貨客船、貨物船あるいはタンカーにおいても、商船の設計では船体のスタイルや船内の一般配置においても、日本独自の姿が完全に確立していった。例えば外型(まま)においてはヨーロッパ、特に西ヨーロッパや北ヨーロッパの貨物船に見られる分離船橋型スタイルは日本では育たず、また乗組員の構成においても日本では独自の役割分担が確立され、これにともない船内の配置(乗組員居住設備)も欧米とは違った日本独自の配置が確立されていったのである。その一方で、日本の貨物船やタンカーが中古船として購入される場合には、パナマやギリシアなど特定の国の購入に集中し、西欧諸国やアメリカに購入される例は極端に少なくなる。
日本独自のスタイルの確立とともに、海外から中古船を購入しても改装が必要になってきたので、戦後の一時期を除くと外国の中古船を受け入れがたい状況になったこと、アメリカから払い下げられたリバティー船を多数購入したギリシアのような国もある一方、日本は中古のリバティー船を一隻も買わなかったこと、日本の商船は品質・保守・点検・整備・清掃などの点から中古船としても人気が高いこと、などなど全く知らなかったので勉強になりました。
船の解体という非生産的作業にドックを使うことは決して得策ではない。船が数万総トン級と大型になればドックで行われる場合は確かに多くなる。しかし解体に要する四~五ヶ月間の間ドックは解体船に占領され、新しい船を造る際に必要なドック作業は中断せざるを得ない。造船所での船の解体は決して望まれるものではないのである。
この本を読むまで、なんとなく艦船の解体はドックに入れて行うものかと思っていましたが、そうではないんですね。帆船の時代から、浜に乗り上げて解体する方法があり、また海に浮かべたまま上構から解体を始めても、部材が撤去されるにつれ船体も軽くなり、水線下だった部分も解体できるようになり、最後に残ったキール周辺の部分だけを陸上に引き揚げて解体することもできるのだそうです。船の解体は人件費の問題で先進国では行われず、現在では中国とインドやバングラデシュで行われることがほとんどになっています。インドやバングラデシュでは特別な施設もない干満の差が大きな砂浜海岸に乗り上げて解体していて、労働災害が多いこと、アスベストや燃料油残渣などの廃棄物が海にそのまま投棄されることが問題なのだとか。船の解体も廃棄物輸出と同じような問題を抱えているわけですね。

2011年4月14日木曜日

ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945







イェルク・フリードリヒ著 みすず書房
2011年2月発行 本体6600円



第二次大戦中のドイツに対する戦略爆撃について、連合軍の使った機体・爆弾などの機材、被害を大きくさせるために各種を爆弾を混合する爆撃法・パスファインダー機によるマーカー弾の使用・電波による誘導・チャフによるレーダー妨害などの爆撃手法、軍事関連施設に対する精密爆撃から無差別と見なし得る都市爆撃への移行と連合軍側の見解、レーダー・戦闘機・高射砲・照空灯によるドイツの迎撃態勢とその崩壊、爆撃を受けた各都市の被害の状況、疎開やブンカーの建設などの都市の防空対策、被災者の救護や爆撃に対するドイツ国民の受け止め方、当時のドイツの施政者の発言の変化などなどについて触れた本です。原著は2002年に出版されたもので、 実際に爆撃・防空に携わった人や被災者に対する著者自身のインタビューなどの一次史料に基づいた本ではありません。というのも、ドイツ人が自分の受けた戦争の被害を客観的に語ることが許される雰囲気が醸成されてきたのが、ようやく21世紀になってからのことだったからでした。でも、こういうスタイルの本の方が、かえって外国人が読んで学ぶには良いのかも知れません。
消防の防火技師が爆撃計画に加わった時点で、新しい学問が誕生することとなった。火と戦う職業と火をつける職業は同じ事柄、つまり物の燃えやすさに関わっている。 
戦争勃発時には爆撃機軍団は炸裂弾と高性能爆薬弾を中心兵器と考えていたが、1942年以降、爆薬では爆撃戦争を遂行できないことが分かった。爆薬は他のもの、つまり燃焼物質と結びついてはじめて、かつてない規模の威力を発揮する武器なのであった。兵器の殺傷力を決めるのは、破片弾、ブロックバスター弾、焼夷弾の混合の割合、爆撃の順序、密度であった。 
市街地における火災を数倍に広げるため、アメリカはモデルを用いた分析で破壊力を試験した。そのために、アメリカは実験的にドイツと日本の街の町並みを再現し、細かい点まで解明しようとした。


第二次大戦ではレーダー・ソナー・原子爆弾といった新兵器だけでなく、武器や武装の改良などの研究開発が各国で進められていたことはもちろん知っていましたが、イギリス軍(後にはアメリカ軍も)では爆撃で相手に与える被害をより大きくするために、消防関係者まで含めて爆撃手法の研究に熱心に取り組んでいたことが紹介されていて、驚きました。何となく焼夷弾をばらまけば都市に火災を起こすのは難しくはないのだろうと思っていたのですが、そうではありません。なるべく大きな火災(後には火災嵐)を狙うには、最初に燃えるのは家財で家財道具が建物に火をつける、家財道具を燃やすためには屋根を壊すための爆弾が必要、そして発生した火災の拡大を阻む障壁となる防火区域や防火壁を充分に備えた町は燃やすのが難しいのでまずブロックバスター(街区・ブロックごと破壊する大型爆弾)で防火壁を破壊する、消火を妨害するために時限信管を装着した爆弾も取り混ぜて消防隊が火元と水場に到達できないようにするのだとか。さすがにオペレーションズリサーチなんかを生み出した国だなと改めて思い知らされました。
爆撃機乗員の死亡率は彼らに攻撃されるよりもはるかに高かった。爆撃機軍団の乗員12万5千人のうち、5万5千人、つまり44%が戦死した。爆撃された側の死者ははっきりせず、42万人から57万人の幅がある。中間の数を取れば、都市住民の1.5%が死亡したことになる。

日本に対する戦略爆撃はたかだか一年程度でしたが、ドイツに対する戦略爆撃は6年にもおよび、多いところでは合計で300回近い回数の空襲を受けました。大戦初期は、爆撃する側の戦術や機材がととのっておらず、またドイツ側のレーダーや迎撃戦闘機がしっかりしていて、爆撃する側の被害も少なくありませんでした。イギリス空軍では30回の出撃を無事にこなすと爆撃任務から開放されることになっていましたが、その前に戦死したり捕虜になった人が少なくなかったそうです。
第3章国土では空襲を受けた多くの都市に関して、フン族との戦い・三十年戦争・プファルツ継承戦争・ナポレオン戦争・七年戦争・第一次大戦での空襲など過去に受けた戦災を含めた各都市の歴史的な背景、防空態勢の構築、爆撃を受けた際の様子、消防活動、爆撃被害者の例を示しての描写、犠牲になった文化財や建築物などが記されています。ただ、東プロイセンやオーストリアの都市に対する空襲は本書では取り上げられていません。距離の関係で、東プロイセンやオーストリアの都市には西側連合軍によるめぼしい空襲はなかったのでしょうか。
父親はドルトムントで働き、母親は幼児を連れてアルゴイ地方にいる。12歳の娘は学童疎開でチューリンゲン地方に、14歳の娘はフランケン地方にある国民福祉局の職業訓練施設におり、19歳の息子はレニングラードを包囲している。 
爆撃に晒(まま)された都市に住む1910万人の四分の一が、爆弾の届かない地方に行くことができた。


大戦中盤になって爆撃側の戦術・態勢が進歩して、特に1944年以降はドイツ空軍が有効な迎撃を行えなくなりました。多数の爆撃機による空襲が毎日複数の目標に対して行われ、ケルン、ハンブルク、ドレスデンなど火災嵐を伴って大きな被害を出した大空襲もこの時期のことでした。都市が自らの手で自分たちを守らなければならない事態になりました。ブンカーが建造されたり、ワインセラー・アパートの地下室・坑道などが空襲の際に避難するための場所として補強され利用されました。また、人口分散計画が立てられ、例えば学童を疎開させて空いた校舎を緊急時用病院と被災者収容所に転用したり、 空襲による負傷者の増加と病院の被害とにより病床が不足すると、重病患者の強制退院・受け入れ拒否、統合失調症患者の毒殺などでベッドが空けられたりもしました。
しかし、それでも都市の爆撃被害は甚大なものでした。本書には写真がほとんど含まれていません。爆撃により死亡した人の写真も、運搬用のパレットの上に多数積み重ねられた死体の写真と、乾燥して縮んだ一人の焼死体の写真の2葉だけです。これらの写真が目を背けたくなるものなのはもちろんですが、爆撃被害の様子を綴った文章もきちんとというかかなり生々しく書かれていて、読むのがつらくなりそうなくらいです。がれきに埋もれた生存者を捜すのに聴音機が使われたり、多数の死体の収容に捕虜、強制収容所の被収容者、刑務所の囚人が使われたりなど、ドイツらしさを感じさせるこまごまとしたことも描かれています。また、地上戦が自分の住む都市に近づくのを感じながら、爆撃を受け続けなければならなかったドイツの人たちが、それでも政権に対する不満を公にすることは死を覚悟の上でなければできなかったことも触れられていました。
具体的な描写は本書を読んでいただくとして、ドイツの受けた戦略爆撃についての知識を日本人が得るためには悪くない本だと思います。私は本書を読んで勉強になったと感じています。ただ、読んでみて残念に感じた点も少なくありません。ひとつは、軍事用語の訳し方がまずい点です。私も軍事に関する専門家というわけではありませんが、本書には一般的に使われる日本語の軍事用語と違った言葉が訳語として使われている例がたくさんありました。また、本書の中には訳語の不統一が散見されます。例えば、複数の陸軍部隊の中の左に位置する部隊を指す時に「左側」と訳してある箇所があったり「左翼」と訳してある箇所があったり、またB-17と訳してあったり空飛ぶ要塞と訳されていたりなどするのです。そして、日本語として文法的にはおかしくないのだが意味が理解できないという訳文もみうけられました。一部は下記の表に挙げてみました。
訳語が統一されていない箇所があったり、意味不明の訳文があったりなどするのは、もしかすると訳者が本当は一人ではないからなのでしょうか?本書巻末にある訳者の略歴をみると大学の先生をしている方らしいので、輪読という形でゼミで学生に訳させて、それをまとめて本にしてみたけれど、目が行き届かなかったのかなと勘ぐってしまいます。それにしても、編集者も原稿に目を通しているはずなのに、この形で6600円の本にしてしまうとは。みすず書房はしっかりした本を出してくれる本屋さんだと信頼していただけに、残念です。本書のカバーには見慣れないマークがついていました。みすず書房の新しいマークなのかも知れませんが、その新しいマークが泣いちゃうよ。

ページ違和感ある訳語・訳文一般的にはこうなのでは?
16機上砲防御機銃
17二重、多重機関銃二連装、多連装機銃
17機上砲兵防御銃手
17回転砲塔回転銃座
17銃架銃座
17B17とB24はあらゆる方面から射撃可能な武器を満載した陵堡で、1943年以来、恐怖の飛行大隊ブロックとなって建物の四階に相当する高度で目標へと飛行していた「稜堡」は銃座のこと?それともflyng fortressとも呼ばれたから要塞という意味?
「建物の四階に相当する高度」の方はまったく理解不能
17「B24は2275トンの積荷と」積載量2275キログラム、ということか
18「ドイツ戦闘機群」Jagdgeschwaderなら「戦闘航空団」と訳す方がふつう
18「防御範囲の広い新型の随伴機」P-51についての文なので「航続距離の長い新型の護衛戦闘機」と訳すべきでしょう
22「目標のリストと爆弾投下口のあいだには連絡が必要であった。夕刻に基地を飛び立つ飛行中隊と、閉じた空間で隊員に都市名と飛行ルートを指令する装置は、何らかの線で結ばれている必要があった。」理解不能な文です。暗号化された無線通信で離陸後、乗員に目的となる都市とそこへの飛行ルートを報せる必要があったという意味??
31磁電管 マグネトロンと呼ぶ方が現在では一般的でしょう
44「軍隊は、戦争の常であるが、自発的にであれ強いられてであれ徴兵されて戦う」どんな原文だったのかは不明だが、「自発的」なのは志願兵・職業軍人になるので「徴兵されて戦う」と訳すのはおかしいと思う
94「ムスタングは柔軟性を欠く援護戦闘機から離れ、自ら集団で空中戦に参加し、飛行場に低空から攻撃を加えた」爆撃機部隊にはムスタングの他にも護衛戦闘機がついていて、ムスタングはそこから離れて迎撃戦闘機との戦闘に参加した、っていう意味?
97「4月20日夜、1115のイギリス軍機はフランス沿岸諸県の防御に当たっていた。」1944年6月のノルマンディー上陸作戦より前の話だが、イギリス軍機がフランス沿岸諸県の防衛にあたるようなことがあった??
98「軽量軍事船」こういう日本語はないでしょう
102「ジョーンズはヒトラーのV2ロケットの本質を把握していた。到達距離、弾頭、目標を狙う正確さにおいてはそれはV1とほとんど変わらないが、重量は14トンもあり速度は17倍であった。オランダ南西部の島、フーク・ファン・ホラントにある可動式発射台からたった五分でイギリスに到達し、それを防ぐ手だてはなかった。爆撃機は目標に到達することができなかった。戦闘機がそれに追いついて破壊できるからだ。だがロケットは被害を受けない。ジェット戦闘機といえども、その六分の一の速度しか出せないからである」「目標」は何を意味するの?最初と2番目の文の「それ」はV2のことで、3番目の「それ」は内容からV1だが、この章全体の意味が分からない。
104「モントゴメリーは侵攻軍の左側の軍勢とともに」イデオロギー的な意味ではなくて、軍事的な用語でも「左側」ではなくて「左翼」とすべきではないか。他の部分、例えば135ページではそうしてあるし。それとも全く別の意味なのか?
105「失敗に終わったアルンヘム上陸後の週も」アルンヘムは内陸にあって上陸するような場所ではない。マーケット・ガーデン作戦について書いてあるくだりだから、原文は「失敗に終わったアルンヘム空挺降下後の週も」という意味だったのでは。
109「突撃用大砲」きっと「突撃砲」のことなのでしょう
152「ブルーリバンド賞」「ブルーリボン」と呼ぶのがふつう
161「その頃イギリス軍はフランスでの上陸作戦後、まだ完全には帰還しておらず、ドイツの高射砲と戦闘機とあらためて対決する前のウォーミングアップとして、イギリス爆撃機軍団は沿岸部のシュテッティンとケーニヒスベルクを攻撃した」「帰還しておらず」はどういう意味?完全な状態に回復していないっていうこと?
175「ひね曲がり」 ひん曲がり?
190「気象柱の温度は夜間に摂氏10度から35度への気温上昇があったことを示している。」「気象柱」って温度計?
212「至近戦」「至近戦」とは聞き慣れない日本語。「接近戦」の方が良いのでは
215「1689年、プファルツ継承戦争でこの町を占領して爆撃し」17世紀だから爆撃ではなくて「砲撃」か
292「灯火弾」照明弾のことか
398「ドルトムントでは、空挺部隊員が上陸してガス攻撃の準備をしているという知らせで人々がパニックに陥った。」「上陸」は「降下」の方がふさわしい
1列3行2列3行3列3行

2011年4月3日日曜日

資本主義の起源と「西洋の勃興」

エリック・ミラン著 藤原書店
2011年3月 本体4600円
第1章では、ヨーロッパにおける資本主義の起源に関して、大きく四つの理論的パースペクティブがあるとして、正統派マルクス主義、ブレナー主義(ブレナー・アプローチ)、近代化論、そして世界システム分析による主張を紹介し、それぞれの問題点を指摘しています。正統派マルクス主義や近代化論は「産業革命が近代の経済成長の源泉ではなく」むしろ、産業革命以前に遡って捉えられなければならない多元的な過程の帰結なのだということを忘れがちなのである」ということで、まあ論外な印象。ブレナー主義的なマルクス主義者も、封建的農民と貴族との階級闘争に関心を集中させ市場の役割を最小限に切り詰めようとしていて「資本主義への移行の問題への取り組みが一般に中世ヨーロッパにおいてもっとも都市化が遅れた地域に集中している」というおかしな状況になってしまっています。
世界システム分析は、資本主義的な世界=経済の出現を征服と植民地化を通じた諸地域の包摂と(半)周辺化と表裏一体のもの、産業革命に与えられた重要性の虚妄をはごうとする理論であると著者は肯定的に評価しています。また資本主義への移行が封建制下のヨーロッパに起こり、それ以前にも、その他の地域でも起こらなかったことを論じる点で、世界システム分析は中世の問題を無視してはないません。しかし、「世界システム理論は、おおよそ紀元1500年より前の前資本主義的状況には、全面的には適用することはできないということで多くの論者の見解は一致している。すると疑問が生ずる。十六世紀より前には、資本主義はなかったのか。この問いに対する答えは、空間的前提のほうに同意するか、時間的前提の方に同意するかによってかわってくる」と著者は述べます。
「ウォーラーステインは資本主義への移行を1500年前後にお」き、例えば「1150-1300年の地中海地域のように資本主義的な世界=経済への移行が始まったと思われる地域・時期があったが、1450年に先立つ移行はことごとく流産した」としています。近代化論や正統派マルクス主義やブレナー主義と同じく「世界システム分析も「中世における資本主義の出現を説明するという点で一定の問題を抱えていた。それらが繰り返し論じてきたのは、中世の「後進性」、すなわち停滞した職人経済であり、資本主義の衣をまとった近代によって洗い流されるのを待つばかりの「封建制の危機」の主題」でした。しかし、例えば「ブローデルは、ウォーラーステインとは異なり、資本主義の概念を中世に適用することに躊躇などないのである。そればかりか、ブローデルは、世界システム分析の諸概念(たとえば、中核、半周辺、周辺など)をこの時代に適用することにもやぶさかでは」ありません。
著者も「16世紀初頭のこととされている商業的な資産経営の多くの側面は、その二世紀前にすでに興味深い等価物が存在し」ていると考えていて、「再考と検討を要するのは、資本主義が世界=経済に拡大する前の中世ヨーロッパにおける資本主義の出現についてなのである。中世に資本主義が出現したことは、賃金労働、階級闘争、資本の再配置、都市の中核による周辺的な農村の搾取、労働力費用の最小化とさらなる不断の資本蓄積を目的とした技術革新による労働力の代替(たとえば風車や水車)、物質世界の商品化、精神世界の合理化などに観察されうる。要するに、今日の資本主義の近代的特徴は、中世にルーツがあるのだ」「資本主義のいくつかの特徴が1500年以前ーーもっと正確に言えば1100-1350年ーーのヨーロッパにすでに強力に現れており、しかもその重要性が増大してきているというのなら、封建制は、突然かつ完全に、新しい別の蓄積体制に取って代わられたというよりも、むしろゆっくりと危機に沈んでいったというほうが説得的なのではないだろうか。あるいは別様に言えば、封建制のシステムは、緩慢で苦痛に満ちた衰退期に入り、最終的に資本主義の「論理」が支配的となることによって乗り越えられていったということではないだろうか」と述べ、「資本主義は12世紀以降のヨーロッパに出現したとする枠組みを提示」します。そして、ヨーロッパだけに資本主義が発生した理由として「都市国家間システムの重要性を強調」しています。
「ヨーロッパにおいては、商人共同体とギルドは、政治的に独立した都市国家(それは十六世紀の国家間システムの先駆的な形態である)において権力を求めて闘争した。そうした権力を獲得することが商人エリートとしての成功にとって決定的に重要であり、またそのことが国家機構を自分たちの有利に用いることを可能にした。結局のところ、長い目で見た資本蓄積の成功への鍵は、以下に課税を低く抑えておくかだけではなく、いかに国家が持つ資源(資本の最大化を円滑にする上では、できればその財源は貧しい人々への課税によるのが望ましい)を使って取引費用、輸送費用、安全保障の費用を最小化する」ことであり、商人が政治権力を握ったヨーロッパではそれが可能でした。
そして、このヨーロッパの都市国家間システムのユニークさを浮き彫りにするため、第2~4章で、16世紀以前の中国、インド、北アフリカの状況が紹介されます。ヨーロッパには遊牧民による破壊を免れたという幸運もありましたが、それだけが差異を生んだのではありません。中国やインドや北アフリカにも富裕な商人が多数存在していました。しかし「インドおよび中国において商人がーー信じられないほどの富を蓄積したにもかかわらずーー相対的に政治的権力を手にすることができなかった」ことが繰り返し述べられています。それらの地域の商人は政治的権力を握ることができなかったために「富の蓄積自体は(商人によるものを含めても)アジア、アフリカ、ヨーロッパを通じて、どの地域にも見られるものである。しかし、植民地化、搾取、中核による従属的周辺の支配という過程の推進から資本を蓄積するという体系的政策は、ヨーロッパの商人によって着手された、むしろ例外的な過程であ」り、その他の地域では資本主義を生みだすことができなかったというわけです。
世界システム論は好きな考え方ですが、本書は中世までを視野に入れ、商人の支配した都市国家というユニークな存在からなぜヨーロッパ発だったのかをより説得的に語った議論だと感じました。そもそもウォーラーステインさんだって、近代世界システムの最初の巻を書き始めた時には、近現代の状況の説明につながるかたちでの世界システムの出現の方に関心があって、ヨーロッパの中世に資本主義の萌芽をもたらす独特な要素の存在を全くみとないのかどうかについてまで細心の注意をもって見通していたわけではないと思うのです。ですから、本書のような議論が、その点を補強するようなかたちなのかなと。
で、これはヨーロッパ中心史観でしょうか?本書のなかで著者は、 ヨーロッパ社会に固有の一連の諸要素がヨーロッパの拡張を他の地域とは違う「特別」なものにしたという主張に同意しないと書いています。しかし、ヨーロッパに独特な都市国家システムと商人の政治的地位が、そうでないとはとても言えないのではないでしょうか。そもそもヨーロッパから始まる近代世界システムを語るには、ヨーロッパに特有の事情を持ち出さないことには納得ゆく説明ができないと私は思います。
一つの世界=経済ができあがる以前のヨーロッパ以外の他の地域、例えば中世以前の中国世界システムなどでは、中心が周辺を支配して不等価交換をしていたというようなかたちで説明されるような現象はなかったかんでしょうか。また、16世紀以降にではなく、12世紀に資本主義の起源を求める議論のさらに先には、いつかは第一ミレニアムの頃にもその片鱗をもとめるような議論が出てきたりはしないのでしょうか。その辺は気になります。
注が非常に多い著作なので、注をまとめて巻末や章末に置くスタイルではなく、各ページに配するこの本のスタイルは読みやすく感じました。

私的正誤表
ページ本書の中の表現より正しそうな表現
23王室財政が(イングランドとの交易の勅許に対して)外国商人からの受け取る支払いによる歳入は、全国王領からの歳入に匹敵するまでに増大した 王室財政が(イングランドとの交易の勅許に対して)受け取る外国商人からの支払いによる歳入は、全国王領からの歳入に匹敵するまでに増大した
67注5こういった「社会政策がキリスト教的慈善に動機によってではなくこういった「社会政策がキリスト教的慈善という動機によってではなく
79注93 最後に、以上に諸点の劣らず重要なのは 最後に、以上の諸点の劣らず重要なのは
122開封の市民には、「自分たちを利害を表明する機関としての独立した市政府はなかった開封の市民には、「自分たちの利害を表明する機関としての独立した市政府はなかった
127注68 実際に起こったものは、西欧貴族に全般的弱体性に関係している 実際に起こったものは、西欧貴族の全般的弱体性に関係している
142グプタ朝(およそ600ー900年)滅亡後の激しい経済的衰退ののち グプタ朝滅亡後の激しい経済的衰退(およそ600ー900年)ののち
154ブローテル ブローデル
171注43 イギリスによいる統治 イギリスによる統治
236スターン諸国家 スーダン諸国家