2011年1月21日金曜日

歴史入門


フェルナン・ブローデル著 中公文庫
2009年11月発行 本体800円
ふだん、本屋さんで中公文庫の棚を覗くことはほとんどないので、ブローデルさんの著作がまさか中公文庫から出ているとは知りませんでした。本書は1976年にアメリカのジョンズ・ホプキンス大学で行った「物質文明・経済・資本主義」の大まかな内容を紹介するための講演の際のテキストだったのだそうです。「物質文明・経済・資本主義」はブローデルの代表作で、3巻からなる大著です。日本ではみすず書房から6冊に分けて出版されています(日本語版は段ボールのケースに入った仰々しい本でとても高価。もっと安くならないんでしょうか)。
ブローデルは、人間の日常生活を支える経済活動を物質生活、市場経済、資本主義経済の三つのレベルに分けて説明します。一番下のレベルには、交換を介さない経済活動があった(そして現在でもそういう活動がたくさんある)というのです。「日常性の構造」と銘打たれた第一分冊では、15~18世紀の衣食住、エネルギー源、技術、貨幣、都市の様子が多数の具体例をもとに紹介され、物質生活のありようが語られています。第二分冊「交換のはたらき」では、行商や村の市から大市、そして遠隔地交易など15~18世紀の商人の活動が紹介されています。遠隔地交易に従事する大商人は、市場経済以下をになう層とは質が異なり「資本主義」を担っていたとされています。 第三分冊「世界時間」は「物質文明・経済・資本主義」という作品全体の目的である「資本主義を、その発展と活動様式を、世界史全体に結び付けて考えること」に当てられて、その説明のために「世界=経済」という概念を提案しています。「世界=経済」は世界経済とは違っていて、非奢侈品の日常的な交換が行われる完結した地域的なまとまりで、かつては地球上に複数の「世界=経済」があったわけです。ヨーロッパの属している「世界=経済」は、この本の時代であれば、ヨーロッパと地中海世界に新世界が加わっていた範囲で、時代とともにそれが拡がっていき、ついには現在に至るわけです。「世界=経済」には中心と周辺があり、 外側の地域が中心の地域を養い、 経済の上下動とともに中心が移動し、資本主義は不平等の産物で、周辺の人々は周辺に位置するからこそ周辺の地位と境遇に生きることになっている、とされています。
三分冊あわせると厚さ30センチくらいにもなる「物質文明・経済・資本主義」のエッセンスが、こんな風に本書の中で述べられています。訳者は解説の中で本書を「最高の『ブローデル』入門と言えるであろう」と書いていますが、私にはとてもそんな風には思えません。本書を読んですっきり内容を飲み込むことができるのは、「物質文明・経済・資本主義」をきちんと読んだ人だけでしょう。既読者は本書を「物質文明・経済・資本主義」のエッセンスが何であるのか、ブローデルの見解を確認して自分の理解を確かめる目的に使えるとは思いますが、とてもとても入門用には使えないでしょう。そういう意味では、LA DYNAMIQUE DU CAPITALISMEというタイトルだった本書を、歴史入門などという名前で売ることにした人(訳者?編集者?)は、嘘つきと呼ばれても仕方がないでしょう。
ブローデルの著作は「物質文明・経済・資本主義」「地中海」など訳者は異なっても、ああブローデルの本だなと感じます。本書もそうで、訳文自体は合格点の出来です。また、1995年に別の出版社から出ていた本を復刊してくれたということなので、文庫本で800円という価格には、あまり売れなさそうだし目をつぶりましょう。
しかし全部で193ページの本のうち、目次、訳注、訳者の解説のページ数がやたらと多くて、本文は135ページしかありません。特に無駄な訳注が多すぎで800円に見合うページ数を稼いでいるだけなんじゃないという印象を受けました。フッガー、ルターなんて訳注が必要ですか?また、 アダム・スミスやガーシェンクロンには訳注が付けられているのに、ヴィトルド・クーラ(58ページ)には註がないんですよ。こういう点はひどいね。

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