2011年1月3日月曜日

ノモンハン航空戦全史


D・ディアルコフ著 芙蓉書房出版
2010年12月発行 本体2500円
ノモンハン戦の本を読むと、激しい地上戦を追うだけでも混乱してしまって、航空戦の推移がどうだったのかまで理解できな感じがしていました。その点、本書は地上戦についてはぜひとも必要な記述に絞り、おもに日ソ両軍の航空機、地上の施設、戦術、航空戦がどう推移したのかなどを分かりやすく解説してくれます。著者はブルガリア空軍パイロットでブルガリア国防大学空軍学部長の方なのだそうです。日本人以外の人にもよめるように書かれているので、日本人の非専門家にも読みやすいのでしょう。もとは英語で書かれた本なのだそうですが、引用文献のリストをみると半数以上がキリル文字なので、ちょっとびっくり。でも、両軍の真の損害を知るにはソ連の史料にあたる必要があるので、当然なんでしょうね。
戦場に投入された航空機・パイロット・地上要員などはソ連側の方が常に上回っていました。少ないながらも緒戦期は日本側が優勢でしたが、中期は互角、後期は戦場上空の航空優勢はソ連側にあり損害数もわずかに日本側が上回るようになったそうです。ソ連側は初期中期の戦訓を活かして戦い方を変化させたこと、スペイン内戦の経験者など熟練のパイロットもつぎ込んだこと、そして黒海やバルト海方面からも航空機・パイロットを移動させ常に数的優勢を維持したことなどが、この推移の原因とのことです。
日本も対抗してどんどん機体やパイロットをつぎこめばよかったのでは、とも考えますが、日中戦争をしていたこと、また機体については当時最新の九七式戦闘機の月間生産数がたった38機で、しかも生産機のほとんどがノモンハンに投入されたように精一杯だったこと、またパイロットについては損失に補充が追いつかない状況だったそうです。
英本土航空戦が1940年上半期に決定的な段階に入っていたとはいえ、ノモンハン航空戦の規模を勘案すれば、これに匹敵する航空戦は、それまで生起しなかったと言わざるを得ない。80キロメートルに満たない狭隘な空域において、あるときは300機以上の航空機が同時に空中戦を行ったという事実を踏まえれば、航空戦史の中で、このような大規模な航空戦は皆無であったと断言できる。
と著者は書いていて、ノモンハン航空戦がかなり大規模な戦いだったことがよく分かりました。また、撃墜された僚機のパイロットを救うため九七戦が地上に着陸して地上にいる被撃墜機のパイロットを自機に収容して離陸したことが複数書かれていたり、ソ連が飛行場にダミーの機体を置いていたとか、蚊の多い地域の夏なので駐機中の飛行機のプロペラをまわしっぱなしで風で追い払って眠ったエピソードとか、面白い話もたくさんありました。
本筋とは関係ありませんが、
15ページの一番上の写真のキャプションに三菱九八式重爆撃機とあります。九七の誤りでしょう。
187ページの資料の九八軽爆の諸元の表の右側の最大速度・巡航速度・最大航続距離・上昇率などなどがずれていておかしくなっています。
193ページの史料のイ式重爆撃機の説明に「日本軍のパイロットたちは、すぐに本機の武装では戦闘機を効果的に撃退できないことを学んだ。ノモンハン事件では、武装以外の欠点も明らかとなり、ノモンハン事件終結後、本機は退役した」と書かれています。スペックを見ると九七重爆とあまり違わないようにも見えるし、本文読んでも具体的にどう劣るのかいまひとつはっきり書かれていないように思います。

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