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2010年12月31日金曜日

古語の謎


白石良夫著 中公新書2083
2010年11月発行 本体780円

ひむがしの のにかぎろいの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ

私でも暗唱できるくらいに有名な、この人麻呂の和歌。 万葉集では「東野炎立所見而反見為者月西渡」と表現されているそうです。万葉集には読み下し方は書かれていませんが、平安時代から江戸時代の初期までは、
  • あづまのの けぶりのたてる ところみて かへりみすれば つきかたぶきぬ
と読まれていました。その後、契沖の業績を踏まえて、荷田春満が前者の読み方を示しました。この読みは定着し、それまで和歌の中で使われる言葉ではなかった「ひむがし」を詠み込んだ歌がたくさんつくられるくらいポピュラーになったのだそうです。
このように、日本の古典学である古学(いわゆる国学、著者は古学・いにしえまなびと呼んでいます)によって江戸時代以来あげられた成果の例が本書には紹介されています。しかし、古学を単純に素晴らしいものとしているわけではなく、その成果を相対化してみる必要があることを指摘しています。例えば「ひむがしの~」という読みも、本当に人麻呂がそう詠んだという証拠はないのです。
作者自筆本が残っていないのはなぜかという話から、古学の中にある、オリジナルを求める精神にも警告を与えています。パソコンのなかった時代に紙に書かれた作品だと、作者が最初から決定稿として完成して他者に読ませることができたわけではないでしょう。誤字だってあるだろうし、繰り返し推敲もされただろうし。なので、伝本自体、その形になって伝わったことを一つの歴史的事実として、受け止め研究する対象になるわけです。また、偽書でもそう。史学で偽文書自体をとりあげて、作られた目的などなどを研究するのと同じ感じでしょうね。
紹介されている例自体も面白いし、文章も理解しやすく読みやすいし、良い本でした。ただ、タイトルは内容にそぐわない感じ。こういう新書のタイトルは、著者でなくて出版社の編集者が考え出すのかなって感じるくらい。

2010年に読んだ本のベスト3

今年は事故で脳挫傷を経験したこともあって、例年より読んだ本の数が少なくなりましたが、それでもいろいろな本に出会いました。興味深い本がたくさんあって、ベスト3でも選ぶのは難しいのですが、とくに勉強になった本といえば以下の3冊でしょうか。順不同
マーク・C・ベイカー著 岩波現代文庫G247
2010年12月発行 本体1420円
生成文法ってどんなものなのか、分かりやすく教えてくれる好著
黒沢隆文編訳 京都大学学術出版会
2010年10月発行 本体9000円
大戦中も中立を守り、日本人からすれば仰ぎ見る存在であるスイスの、もう一つの面を教えられました。
和田一夫著 名古屋大学出版会
2009年9月発行 本体6510円
日本の製造業で互換性生産・大量生産が定着してゆく課程を紹介してくれる本。しかも、専門書とは思えないくらい読みやすい本です。
今日はきらきら陽射しのある冬らしい日です。このまま明日も晴れて、初日の出と富士山が拝めるといいなと思います。

2010年12月29日水曜日

言語のレシピ


マーク・C・ベイカー著 岩波現代文庫G247
2010年12月発行 本体1420円
日本語と英語はとても違った言葉のように感じます。しかし、動詞と直接目的語・句・節の前後関係、名詞と修飾する句との前後関係、名詞とともに前置詞・後置詞のどちらをつかって名詞句を作るか、主動詞と助動詞の前後関係などの点で、英語は主要部が先行する性質、日本語は主要部が後続する性質を持っていて、この一つのパラメータでふたつの言語の関係をきれいに説明できるのだそうです。読んでみて、目からウロコ的な感想を持ちました。本書はこんな風に、日本語、英語、モホーク語といった相互に無関係のように思える言語どうしが、いくつかのはっきりとした特徴・パラメータをつかって関連づけ・分類ができることを教えてくれます。
ヒトの言語を作り出すレシピにはいくつかのパラメータを選択する余地があり、塩を入れるかどうか、イーストを入れるかどうかといったパラメータを選択してできあがった各言語はとても違ったもののようにみえます。それでも同じレシピからできている、これが重要。とても違ったように感じられる各言語をそれぞれの土地の子供がたやすく習得できるのは、ヒトには生まれつき言語を習得する能力が備わっているから。逆に言えば、ヒトの言語はヒトに生来備わった機構・レシピからつくりだされたものと考えられるわけです。そして、ヒトには生まれながらにしてその大まかなレシピが身についているので、周囲のつかう言葉を耳にして各言語を特徴づけるパラメータに気づくことができれば、その言語を習得できることになります。そういったパラメータが存在することのエビデンスとして、各々の言語を特徴付けるパラメータを実際に子供が選択して身につけて行く過程から実証する研究も説明されているので、私は本書の内容、レシピが存在するという考え方を信じることにしました。
言語学ってどんなことをしている学問なのか、ほとんど知らなかったのですが、 生成文法ってこういうことだったんですね。とても分かりやすい入門書でした。特に、地球上の言語の中でそれぞれ40%ほどをしめる主要部先行言語と主要部後続言語の代表として、英語と日本語が例として説明されていることが多く、その点で日本人の読者は本書を読みやすく、理解しやすくて得な感じです。とにかく、とても面白かったので、これからこの分野の本を探してもっと読んでみたくなりました。

2010年12月24日金曜日

明治日本とイギリス


C・チェックランド著 法政大学出版局
1996年6月発行
出会い・技術移転・ネットワークの形成というサブタイトルがついているように、開国前後の時期から第一次大戦の頃まで、日本とイギリスの関で交流を行った人たちを描いた本です。外交官のみならず、海軍軍人、貿易商、ジャーナリスト・御雇い外国人、留学生などなど、イギリスから日本に来た人、日本からイギリスを訪れた人の両方が対象となっています。多くの人が取りあげられている点は良いのですが、個々人について得られる情報はごく簡単なものです。良くも悪しくもイギリス人向けに書かれた本で、日本人がこの分野に関して新たに学べる点は少ない本だなと感じさせられました。
10名の人が分担して翻訳しているのですが、どの章も日本語としては非常に読みにくい表現ばかりです。私は日本人で、日本のこの時期について最小限の知識があるので拙劣な表現でもなんとか理解しながら読めましたが、楽しい読後感は得られません。
法政大学出版局は信頼できる出版社だと思っていたのですが、どうしてこんながっかりな本を出版したのでしょう。監訳者と著者とは面識があるそうなので、ゼミででも輪読した本をメンバーで分担して訳書として出版させたのかな。そんな風に勘ぐりたくなるくらいの本でした。

2010年12月19日日曜日

日本経済史6 日本経済史研究入門


石井寛治他編 東京大学出版会
2010年9月発行 本体5500円
冒頭に、高村直助・石井寛治・原朗・武田晴人さんによる「体験的」経済史研究と銘打った座談会が収録されています。学生時代からの経験が述べられていますが、マルクス主義の影響に加えて、高度成長期以前に大学に入ったことが、この世代には大きく影響しているなと感じられます。日本が貧しかった頃を知っている世代と、私なんかのように貧しさから抜け出しつつある頃にものごころついた世代と、現在のように新たな貧困が問題となって久しい頃に学生になる世代とでは、何を問題とするか、興味の持ち方・切り口が当然異なってくるでしょうから。
また、本シリーズの刊行に当たってという冒頭の文章には、1965年以来、「近代日本についての『経済史らしい経済史』の体系的シリーズが企画・刊行されることはなかった」と書かれています。座談会の中にも「岩波の『日本経済史』(岩波書店1988-1990)を読んでいれば十分で、それ以外は関係ない、という雰囲気なんですよ。それは困るんじゃないか」という発言がありました。門外漢には、経済畑・数量経済史と歴史学の経済史のこういうあたりの分断のされ方はなかなか見えにくいので、率直な表現で教えてもらえてありがたく感じました。
また、「在来産業研究もちょっと先が見えてきたんじゃないか、どうも、あえて行き詰まりの道を突き進みつつあるんじゃないかという感じがします。たとえば谷本雅之さんのように、あんなに近代的発展と切り離して議論してはいけないと思うんです」という発言にも、そういう見方もあることを教えられて驚いています。もっと大きな構図で先を見据えた研究でないという批判のようですが、谷本さんの「日本における在来的産業発展と織物業」はとても面白い本だと私は思いましたが。
斉藤修さんの書いた第3章数量経済史と近代日本経済史研究、杉原薫さんの書いた第4章比較史の中の日本工業化も学ぶ点が少なくない。例えば、第3章では国民総所得・総生産という概念が希薄だった時代があったことを教えてもらいました。また、第4章では工業化の普及に資本集約型と労働集約型工業化の二類型を区別できる、日本は後者の代表例であること、この二類型に世界システム上の補完性を見ています。世界システム論ではA局面で中枢を構成する国・地域と周辺・半周辺との違いが明確化し、B局面ではそれが不明確化して中枢と周辺・半周辺国との入れ替わりが起きますが、この二類型は20世紀末の入れ替わり・アジア諸国の工業化・上昇過程の説明にも使えそうで興味を引きました。
「経済史研究を志す若い世代に贈るガイドブック」と本書の帯には書かれていますが、そのとおりに第5章以降は資料論ということで、資料の探し方、扱い方などが述べられています。また第11章は経済史の技法ということで、研究のイロハから論文の書き方まで指導する章になっています。
医師の場合も、医学生から研修医の頃に文献検索の仕方や症例報告の仕方・書き方を学びます。私のように臨床だけで過ごした医師でも臨床の経験から気づくことがあり、調べて、新たな発見と確信できれば報告するトレーニングを一通り受けているわけです。そして、基礎に行く医師や研究・教育職に就く医師は単なる臨床医以上のトレーニングを受けますが、 経済史を学ぶ学生さんの場合にも、経験から問題を見出すのではなく、自分のそれまでの人生と学習から問題を見出さなければならない点では、研究者としての態度が求められるのでしょう。しかも必ずしも将来、職業としてポストを得られるかどうか不明な点はきびしいのかな。

2010年12月18日土曜日

漢文と東アジア


金文京著 岩波新書新赤1262
2010年8月発行 本体800円
漢文訓読について、日本での歴史・変遷、起源が漢訳仏典にあるらしいこと、訓読が日本のみならず朝鮮半島にもみられて日本には新羅から伝わったらしいこと、日本・朝鮮だけでなくベトナム・ウイグル・契丹などにも訓読に似たものがあることなどが読みやすく説明されています。特に漢訳仏典との関連は、とても勉強になります。
日本で書かれた漢文に倭習と呼ばれる表現が多いこと、漢字文化圏で漢詩がやりとりされたり外交文書が漢文で書かれたりなどしていたことはよく知られています。第3章漢文を書くでは、それらを説明するとともに、漢字文化圏の他の国でも倭習と同様の現象・変体漢文がみられることも述べられています。また、日本の古文書で頻繁にお目にかかる候文の起源が宋代の手紙の文体にあるとは知りませんでした。さらに、現在の日本の文章語の基となった明治期の新文体を変体漢文という視点からとらえること、そしてその明治の新文体が漢字文化圏の国々の現在の文章表現に影響を与えたという指摘には驚ろかされるとともに、一国史観を脱して東アジアの文化を総合的に考察するためには、規範的漢文(学校で習う書物の漢文)だけでなく、変体漢文を含めて漢字を用いて書かれたすべての文体の実態と相互関係を説き明かすことが必要だと指摘されていて目のつけどころのシャープさに感心しました。新書とはいえ、とても学ぶ点の多い本でした。おすすめです。

2010年12月11日土曜日

安保条約の成立


豊下楢彦著 岩波新書新赤478
1996年12月発行 本体780円
冷戦、中華人民共和国の誕生、朝鮮戦争など敗戦後の情勢の変化を追い風として、日本は寛大な条件で講和を結ぶことができたというのが定説です。従来は1950年4月に訪米した池田蔵相を代表とするミッションの役割がこれまでは重視され、首相外相を兼任した吉田茂のリーダーシップの下で交渉が行われたとされてきました。しかし、その寛大な講和条約と同日に結ばれた日米安全保障条約の交渉過程およびその内容を検討すると、必ずしもそうではなかったことを本書は示してくれています。
朝鮮戦争への日本の協力を確実なものにするためには講和条約を結ぶ時期に来ている、朝鮮戦争によりアメリカは日本に基地を置くことを必要としている、 日本国民は独立後に外国軍が駐留し続けることを望んではいない、また海を越えてソ連が日本に侵略することはない、という認識を吉田首相や外務省は持っていました。したがって、アメリカが日本国内に基地を維持し続けること提案して日本が同意する、しかも国連憲章・総会決議などに根拠を求めた形で受け入れるなど、日本になるべく有利に交渉を行うつもりだったことが、外務省の資料から論証されています。
しかし、実際の日米安保条約には、日本の求めに応じてアメリカが駐屯するという表現が盛り込まれました。しかも「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」だけを得たアメリカの軍隊は必ずしも日本防衛を義務とはせず、かえって日本以外の極東における国際の平和と安全に寄与する目的でも日本の基地を利用できるという極東条項まで盛り込まれていました。外交官出身で外交センスも確かだったはずの吉田首相の政権下でどうして屈辱的な条約が結ばれることになったのか。著者はその理由に昭和天皇の介入を挙げています。
朝鮮戦争から日本有事の可能性を連想した天皇が、日本有事は天皇制の有事につながることを恐怖して、吉田首相やマッカーサーなどの頭越しにダレス・アメリカ本国へとアプローチしたのではないかと。独立後の日本にアメリカ軍が駐留し続けることは天皇制を安堵してくれる。特に安保条約に盛り込まれている、外国の教唆・干渉による大規模な内乱・騒擾に対してアメリカ軍が援助を与えるというくだりは、天皇制の護持につながると天皇が考えたというわけです。そして、本来なら吉田首相がリーダーシップを発揮して、もっと有利な条件での安全保障条約を締結できたはずですが、天皇は吉田首相の内奏の際などに「御詰問、御叱り」などで路線変更させたのだろう。その証拠に、講和会議への出席を吉田首相が固辞していた。ただそれも天皇への内奏の席で出席するように求められ撤回したのだろう、というのが著者の説明です。
今年の6月に中公新書2046「内奏」を読みました。そこでは、日本国憲法下で法律上の根拠をなくした内奏が継続していった理由として、昭和天皇が在位し続けしかも内奏という慣習にこだわったからだとされていました。そして天皇が内奏の継続にこだわれば、この当時の政治家は永年の大日本帝国憲法下での国制に慣れ親しんだ人たちですから、天皇からの下命があればそれに従うのが当然と感じていたのでしょう。特に吉田首相は臣茂と署名した人ですし。また、天皇自身は何を考えてそんな行動をとったのか。自分一身の保身のために行動したという可能性もないわけではないでしょうが、それよりも天皇制を維持することが自分の使命だと考えて行動したと言う方がしっくりくるだろうと思います。
講和条約・日米安保条約交渉の研究で、著者が唱える本書の説が定説になっているのかどうか、門外漢の私には分かりません。ただ充分に説得力ある説明だと感じました。またもしこの説が正しいのだとすると、日米安保条約交渉のこの時の変針は、その後60年以上にもわたって日本に悪影響を及ぼし続けていますし、また沖縄の軍事占領継続を認める・求める沖縄メッセージにしてもそうですが、戦前戦後を通じて昭和天皇は罪多き人だと感じざるを得ません。自分の意思によらずに君主・象徴なんて地位につかされていた点にはご同情申し上げますが。

2010年12月7日火曜日

大地の咆哮


杉本信行著 PHP文庫
2007年9月発行 本体743円
チャイナスクールに属していると自ら書いている外交官で、上海総領事も務めた方の著書で、2006年にハードカバーで発行されたものが文庫化されたのだそうですが、タイトルの「咆哮」にルビがふってあって驚きます。著者は外務省入省後、1974年に中国語研修のために中国に派遣されました。 著者は中国に関する事象とその背景をかなり長期的な視野から分析して日本人への提言をしていますが、四人組健在で周恩来も生きていた1974年という時期から中国を体験してきたことが、それを支えているようです。
本書の冒頭の解説には「中国との関係が十数年かかってここまで悪化した」と書かれていますが、私にはとてもそうは思えませんし、おそらく著者もそうは考えていないでしょう。国交正常化、日中平和友好条約やその頃の日中友好ムードは、中国政府にとって必要だったからこそ実現したのだと思います。それに悪のりして、中国側の賠償放棄を成果と誇ったり、そして尖閣諸島を含めた領土問題の確定を怠ったりした日本政府の先見のなさこそ責められるべきです。また、現在の日中間の緊張は、今や中国政府にとって日中友好が必要とされてはいないからだと認識することが重要だろうと私は思うのです。
著者は、江沢民の三つの代表理論で
「中国共産党は「プロレタリア独裁」という一つのテーゼを放棄した。だから党の支配の正当性および正統性を維持するためにイデオロギー的空白を埋める必要に迫られ、国民のナショナリズムを煽ることにより、それを達成しようとしているのだ」
と鋭く指摘しています。抗日の歴史や台湾統一を掲げることはそのため。また現在の
「反日運動は中国政府が国内的に必要だからやっているわけだが、それをやり過ぎると結局は中国政府自身に跳ね返ってくる」
という著者の見解はもっともだと感じます。また著者は、党が反日デモを抑えようとして治まらない事態があったことや尖閣諸島への領海侵犯に関して、軍が党に従わない、シビリアンコントロールの不十分さを指摘しています。中国政府が一枚岩でない(かつての日本でいえば、幣原外交と軍部の関係みたいなのかも)とすれば、日本人の反応が過激になることは指導部の軍に対する立場を悪化させることを考慮しておかなければいけないでしょうね。新中国建国以来、大躍進・文革・核開発・中越戦争などの問題を起こしことは確かですが、中国政府が北朝鮮などとはちがって、より了解可能な、対話の可能な存在であったことも確かですから。
また、日本では政治・経済・軍事大国化しつつある隣国中国に対して脅威を感じる人が多くなっています。しかし著者は中国自身が貧富の格差・水不足・環境・農村・高齢化問題などの弱点を抱えていること、中国自身も脅威を感じていることを指摘しています。それに絡めて日本の中国の接し方について著書は、
「中国の脅威とはいったいどこからくるのか。それは外部からの脅威というより、これまで放置してきた内部矛盾の爆発からくるほうが大きいのではないか。それが「中国の”国内ODA”の誘い水」を通じて避けられますよ、中国に向かって訴えるのだ。これは軍事費を増やすなら円借款を中止すると迫るより、よほど説得力があるのではないか。もう一つ、環境対策はもう待ったなしで、円借款であろうと無償資金援助であろうと「草の根無償資金協力」であろうと「日本の環境問題」として実施していかなければならないのではなかろうか。酸性雨の防止、ゴミ対策など、放置しておけば日本に大変な被害が及ぶ。中国も環境問題の深刻さに気づいている」
「外国への資金援助とは、最低限の見返りとして、その国が将来、日本の脅威にならないため、負担にならないほどの友好国となるための投資である」
と指摘しています。日本のすぐ西側にある巨大な国、中国。私たちとは異質な面を多分にもった存在であり、脅威に感じる点もあります。個人的に中国を脅威に感じて日本からどこか他に移住する人もいるのかも知れませんが、日本人全員がそうするわけにもいきません。ですから、中国がなるべく付き合いやすい存在になってもらうように行動してゆくこと、「わが国のための対中援助」「損して得取る」が日本政府の方策になってもらわないと困ります。

著者は台湾に勤務したことがあるそうで、台湾についても一章さいて触れています。
「今後、日本の台湾に対する対応が、とりわけアメリカと比較して極端に冷淡である場合には、若い世代の日本に対するイメージが悪化する潜在的な危険が存在する」
という指摘は重要だと感じました。

2010年12月5日日曜日

ダウニング街日記 上下


ダウニング街日記 [上]
ジョン・コルヴィル著 平凡社
1990年6月発行 本体3864円
ダウニング街日記 [下]
ジョン・コルヴィル著 平凡社
1991年2月発行 本体3864円
著者のコルヴィルさんは男爵と侯爵の孫で、パブリックスクールからケンブリッジ大学を終えて、イギリス外務省に就職。トルコとペルシア担当で仕事を始め、第二次大戦開戦を機に1939年9月10日から日記を付け始めます。そして翌10月に、チェンバレン首相の秘書官に抜擢されました。チェンバレン内閣下では、チャーチルを「エネルギッシュだが協調性がない」と評し、危険な計画を立てて実行させようとする、騒ぎを起こす人物と感じていました。しかし、1940年5月に首相がチャーチルに交替した後も秘書官を続け、長らくチャーチルから親しく扱われる人となりました。イギリス空軍に志願して1941年10月から戦闘機パイロットとして訓練を受け、短いながら実戦も経験しました。そして1943年12月からふたたび秘書官としての仕事を再開します。1945年の労働党内閣成立で外務省に戻りますが、1951年にチャーチルが首相に復帰すると乞われて再び秘書官となり、その辞任まで働きました。本書は、権力のかたわらでというサブタイトルがついているように、主に首相の傍らで秘書官として過ごした時期の日記をまとめたものでした。
日記をつけ始めたのは25歳ですが、観察と分析の鋭さは読んでいて25歳の日記とは思えない感じです(最後の方は40歳近くになっているから当たり前かも)。チェンバレン、チャーチルの身近な者に見せる動きや発言(かなり率直な発言が少なくない)から、彼らが事態をどう考え、どう対処しようとしていたのかが活写されている点が本書の読み応えのある点です。例えば、ドイツがソ連を攻撃した時点で、チャーチルとその周囲では勝てることを確信したことが分かります。残念なのは、空軍勤務を志願して大戦中期は抜けてしまっていることで、日本の攻撃やアメリカの参戦に対する感想は書かれていません。全体を通じても、日本に関する記述はとても少なく、日中戦やそれに対してアメリカと協調して日本へ厳しい態度をとったこと、朝日新聞の記者が首相官邸を訪れて取材したことくらいでしょうか。 下147ページに「足の不自由な駐英日本大使、重光が十番を訪れ、首相に離任のあいさつをした。重光が親英派であることは知られており、それが理由で本国に召還されるのだと思う」と書かれていました。
上巻ではバトルオブブリテンの様子や、日常的に爆撃を受けるなかでの人々の生活も興味深いところ。また、著者は上流階級出身で、祖父母・父母の関係から王族や貴族との交流があったことが描かれています。パーティや年代もののワインや馬に乗っての狐狩りなどなど、イギリスの上流階級の人たちが戦争中にどんな暮らしをしていたのかをかいま見ることができます。労働者階級との格差の意識はかなりあるようで、1941年9月にチャーチルはスコットランドの工場視察ツアーに出かけ労働者たちから歓声を受けましたが、同行した著者が「彼らの生産のテンポがほんとうに上がったのは、ソ連が参戦してからだと聞かされ、不愉快になった」と書かれているくだりなどは印象的です。
戦闘機パイロットとして生活した時期については抄訳しか載せられていないのですが、驚いた点が二つ。彼はパイロットになるためにコンタクトレンズを装用したこと。コンタクトレンズってこの頃にすでに実用化されていたとは知りませんでした。また、初等訓練はイギリス国内で実施されたようですが、訓練過程の後半は船で南アフリカまで移動して、南アフリカで行われました。イギリス連邦の総力をあげた戦いだったことを示すエピソードですね。
日本語として読みやすい翻訳になっています。しかし、少なからず気になる変な訳語がありました。
上109ページ ラワールピンジを「商品輸送用の巡洋艦」と訳している。仮装巡洋艦か特設巡洋艦とすべきでしょう。
上129ページ 「ダングラス卿」 アレック・ダグラス=ヒュームと言う方がふつうだから、ダグラス卿じゃだめなのかしら。
上164ページ アルトマルク号事件で駆逐艦コサックが「戦艦コサック」となっている。
上370ページ 「ビルマ街道」、援蒋ルートの一つで日本語ではビルマルートとして有名だと思います。
上391ページ 「ウェイヴル」ウェーベルとかウェーヴェルと書かれていることの方が一般的。
下245ページ「ボフォール高射砲」boforsだけど日本語ではボフォースと呼び
下276ページ「単式のアリソン型エンジン」単発と訳さなきゃね。
下706ページ訳者あとがき「利空権」 こんな日本語はありません。制空権
本書の新品は手に入らないようです。中古品をAmazonマーケットプレイスからそれぞれ763円と916円で入手して読みました。