2010年11月6日土曜日

イタリア20世紀史


シモーナ・コラリーツィ著 名古屋大学出版会
2010年10月発行 本体8000円
熱狂と恐怖と希望の100年というサブタイトルの通り、冒頭は1900年7月の国王ウンベルト1世の暗殺で始まり、1999年に左翼民主党の首相がユーロの誕生を祝うところまでの一世紀が描かれています。単に20世紀史というタイトルがついていますが、基本的には政治史の本だと感じました。私は別にイタリアについて詳しい訳ではなく、また日本のことが常に頭の片隅にありながら読みましたが、そういう意味で学んだ点・気づいた点を上げてみます。
1861年のイタリア王国の成立から40年近く経って20世紀を迎えた訳ですが、この時点でも国民としての帰属意識・ナショナリズムが強くなく、また南部の後進性はこの頃から意識されていました。
イタリアの識字率はとても低かったとのことです。。ヨーロッパ史をひもとくと、プロテスタントの地域に比較してカトリックの地域の識字率の低さが指摘されますが、イタリアも建国時には70%以上が読み書きできなかったのだそうです。
ドイツ・オーストリアと三国同盟を結んでいましたが、これは攻守同盟ではなく、同盟国が攻撃された時に自動的に参戦する規定だったそうです。それをたてにイタリアは第一次大戦に一年ほどは参戦しませんでした。資源に乏しく工業用原燃料の多くを輸入に頼っていたので、中立を保った期間中も、日本のように貿易で漁夫の利を得られた訳ではありませんでした。そして、連合国側での参戦後も、未回収のイタリアの問題があって一時的には国民の共感を得たものの、食料などの不足や戦場での敗北が続き厭戦気分が一般的になったそうです。日露戦争時の日本と比較すると不思議な気がしますが、その時点までのナショナリズム布教の成否が影響したのでしょう。
第一次大戦後、戦勝国となってはみたものの、インフレの亢進・巨額の対外負債などの経済社会問題やロシア革命の影響もあり、赤い二年間(1919~20)という北部での農民と労働者の社会闘争の盛んな時期を迎えました。これに対して戦士のファッシというグループが懲罰遠征と称して暴力的に労組や左翼党組織を襲い、放火や殺人にいたる事件が頻発しました。左翼の勢力拡張を快く思わない人たちが少なからず存在し、こういった暴力事件を地方自治体・警察などがきちんと取り締まらない状況が続き、左翼はやられっぱなし。日本で昭和戦前期に右翼のテロが共感を呼び、減刑嘆願書みたいな現象がみられたのと似ているのでしょうか。1922年にムッソリーニはファッシの行動隊を集めてローマ進軍を行いますが、これに対しても警察や軍隊は戒厳令を発して真剣に阻止しようとはしませんでした。そして、国王エマヌエーレ3世はファシズムと妥協する途を選び、ムッソリーニを首相に任命してしまいます。議会での議席数もヒトラー政権獲得時のナチスよりもずっと少なかったのに。このファシスト政権獲得の経緯は読んでいて本当に不思議。
イタリアが第二次大戦に参戦し、ギリシア・北アフリカ・地中海で敗戦が続いたことはよく知られています。それでも、ファシスト党の一党独裁はすでに20年以上も続いていたのだから、国内の基盤は盤石だったのではと思ってしまうところです。しかし1943年7月の連合軍のシチリア島上陸後に、ファシズム大評議会でムッソリーニの全権を国王に返還する決議が採択されて政権交代に至りました。日本で東条英機が政権を逐われたのは、かれが独裁党の首領だった訳ではないので不思議でも何でもありませんが、このイタリアの政変は不思議。政権獲得も不思議だし、ファシズムって何だったんでしょう。本書を読んでさらに謎が深まった感じ。ドイツや日本と違って、イタリアはすすんで大戦を起こした訳ではないし、戦争に対するイタリア国民の意識が健全だったということなのでしょうか。
20世紀後半の大部分は、共産党という有力な政党は政権から排除する形で、キリスト教民主党を中心とした連立政権が続きました。これは、日本で自由民主党の政権が続いた、党内の派閥が疑似政権交代と呼ばれるような首相交代を繰り返したのと似ている感じです。また、イタリアでは南部への政府資金の移転、日本では地方へのばらまきが政権維持のために行われるなど、まっとうな政権交代のないことによる弊害が積み重なった点も同じ。その結果、イタリアでも1990年代に政界再編が始まることになりました。西側の先進国と呼ばれた国々の中で、ある一定以上の大きさの共産党が存在した、イタリアと日本、そしてフランス。日本では共産党よりも社会党の方が大きかったと言う違いはありますが、東西冷戦のもとで共産党・社会党が政権を担うことの困難さがあった点では似ています。ただイタリア共産党のユーロコミュニズムに向けて変革の試みの方が、日本の社会党や特に共産党の変化のなさに比較すれば大胆だったのかな。日本の現在を見るにつけ、1960年代の日本の社会党の変革の欠如というか変革への志向の阻害がいかに有害だったかを思わざるを得ません(日本の共産党にはそもそもそんなこと期待できない)。
参照文献を示す50ページにわたる註がついています。ふつうこういう註の中の文献には日本語訳された本が含まれていて、日本での出版社や出版年などが付記されることが多いのですが、本書の註にはそれはなし。この分野の文献や書籍に日本語訳されたものが全くないということなのでしょうね。
本書は20世紀の通史なのですが、イタリアでは専門書として出版されたのでしょうか(しっかりした註がついているから専門書なのかな)?というのも、名古屋大学出版会は私の好きな方の出版社なので決して批判するつもりではないのですが、名古屋大学出版会からハードカバー本体8000円で発売される日本では、本書が一般人が気軽に買える書店においてもらえるとは思えない気がするので、なんとなくそれが惜しい気がします。
本書には著者によるはしがき・あとがきや、訳者のあとがきがありません。どうしてなのでしょう。監訳者さんは、22ページにもわたって解題という名の独演会を載せているのにね。

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