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2010年10月25日月曜日

中島飛行機の研究


高橋泰隆著 日本経済評論社
1988年5月発行 本体2500円
以前読んだことのある「ものづくりの寓話」では、日本での互換性生産の歴史を説明する中で戦時中の飛行機生産が取りあげられ、この中島飛行機の研究が引用されていました。そんな縁から本書を読むことにしました。私の読んだのは1999年2月の第4刷ですが、新品がネット通販で入手できました。
選書版302ページの本です。序章では、中島飛行機が1930年代から戦時に急成長できた要因、また新興財閥・新興コンツェルンとして捉えられるかどうかといった、著者の課題と方法を述べています。第1章中島飛行機株式会社の成立では、創業者である中島知久平の略歴、中島飛行機の発展と成長しても同族経営を続けた様子が扱われています。第2章戦時航空機産業と中島飛行機では、1930年代から戦時の機体・エンジンメーカーの比較。第3章中島飛行機の管理では、流れ作業が志向された様子、戦中は徴用工の割合が増えて欠勤・作業の質・労務管理などに多くの問題をもたらしたことなどが説明されています。第4章戦時下の工場では中島飛行機の各工場の所在地・生産していたモノ・資材不足から製品の数と質が確保できなかったこと・空襲と疎開の様子などが扱われていました。
軍需会社であったことから秘密扱いされたことと敗戦時の資料の処分とから、「中島飛行機株式会社の経営資料はきわめて少ない」と著者は述べています。たしかにそうなんだろうとは思いますが、それにしても、本書は既存の社史や出版物の内容を引用して切り貼りしただけという印象です。もちろん史料がなければ歴史は描けませんが、そういった史料に基づく著者自身の主張がなくてはダメ。著者独自の主張が「『零戦』エンジンは中島製であるし、驚くべきことに機体総数の六十%以上は中島飛行機の工場で組み立てられていたのである。したがって一般に認識されているような『三菱の零戦』に異議を唱えたいのである」といった程度ではねえ。こんなの常識でしょう。
また、中島飛行機の主要な製品である飛行機に対する扱いがお粗末。陸海軍で要求が異なったでしょうし、単発機双発機などで大きさや生産の様子が異なったでしょうし、そういったあたりが全く触れられてません。またそもそも機種名の扱いがめちゃくちゃ。例えば、陸軍の疾風。疾風単戦、四式戦闘機、フランク、キー八四など呼び方がばらばらで全く統一されていないし、八四式戦闘機などという他では聞かない著者自身の造語(?)まで登場するし。フランクは日本側の命名ではないのだからフランクなんて書かないでFrankとすべきでしょう。
中島飛行機の研究というタイトルの本書ですが、読み終えてみて、とても「研究」と言う名前には値しないと感じました。本書の出版が準備された頃ならば中島飛行機で管理や生産や設計などなどに従事したことのある人がまだまだご存命だったと思うのです。そういった人たちへのインタビューを仕様としなかったのはなぜなんだろう。例えば、エンジンなどの部品の不足などから要求された数の生産ができないといった記述がありますが、そういう時に組み立て工場の工員は何していたんだろうとか、給与が歩合制みたいに書いてあるので、給与をもらえなくなったのかしらなどなど、しゃべってもらいたいことはたくさん思い浮かびます。非常に残念な本ですね。

2010年10月22日金曜日

チョーサーの世界


デレク・ブルーア著 八坂書房
2010年8月発行 本体5800円
チョーサーは有名なイギリス中世の文人です。わたしには文学作品を読む趣味がなく、恥ずかしながらこの年になるまでチョーサーの作品を読んだことがありません。それなのになぜこの本を購入する気になったかというと、詩人と歩く中世というサブタイトルが付いているように、この本はチョーサーの作品の解説書ではなく、チョーサーの生涯をたどりながら、チョーサーの生活した範囲のイングランドの社会の様子を描くものだったからです。
チョーサーは裕福なワイン商人の息子として生まれ、貴族・王室の宮廷に宮仕えし、イタリアやスペインにまで外交使節として派遣されたり、ロンドン港税関や王室の不動産の営繕の役職につくなどして生活した人でした。その間に英語での文学作品をたくさん書き、それらの作品は生前から上流階層の人たちに評価されていたのだそうで、そういった様子がこの本からはよく伝わってきます。
また本書には、チョーサーの作品自体を知らなくとも、当時の生活の一端をかいま見ることができるようなエピソードがたくさん触れられています。例えば、87ページには「子供が病気になると、子供本人ではなく、乳母に投薬された」と書かれていますが、そういう風習があったことを初めて知りました。現在なら、授乳中の母親へのクスリの処方にはかなり気を遣うものですが、逆に乳汁への移行を期待して乳母にクスリを飲ませたとは!まあ、ほとんど効果は期待できないでしょうが。
また、高校の世界史で習った以来に目にしたことのなかった言葉、ワットタイラー。タイラーはTilerで瓦(タイル)職人という意味で、もしかすると本当に瓦職人だったのかもしれないだとか、また彼が頭目になった農民一揆の鎮圧は難しく、ロンドンで彼は国王と直接交渉を行うまでに至り、そこでロンドン市長に殺害されたこととか、興味深く読めました。
チョーサーは日記を残したわけではなく、本書も残された記録類などの史料をもとに書かれています。しかし読み終えての印象は、同じ頃の日本史関連の本で言うと看聞日記をもとに書かれた横井清さんの「室町時代の一皇族の生涯」講談社学術文庫とか、言継卿記をもとに書かれた今谷明さんの「戦国時代の貴族」講談社学術文庫なんかに近い感じです。なので、文学好きでなくとも、面白く読めます。

本書冒頭の「日本語版に寄せて」には、著者のブルーアさんが1950年代に来日してICUで教鞭を執ったことが触れられています。本書の前半には数カ所、中世イングランドとの比較の材料的に日本に対して言及した部分があります。チョーサーの世界とは全く縁のない日本と言う単語が出てくるのは、日本で過ごしたことがあるからですね。また「一九五○年代半ば、イギリスと日本、両国は政治的には表向き良好な関係にあったが、国民感情としては依然わだかまりがあった。桝井教授にお会いするまで、日本人に対する私個人の第一印象は、日本軍に捕らえられた友人の何人かが戦争捕虜として野蛮な扱いを受けたことにとらわれがちだった」とも書かれていました。著者自身は日本での生活体験からこの種の対日観を払拭したかも知れませんが、来日することなどなかった普通のイギリスの人の間にはこの対日観がずっと今でも通奏低音として鳴っているのでしょうね。

2010年10月11日月曜日

ビジネス・システムの進化


大東英祐他著 有斐閣 
2007年9月発行 本体3600円
本書では、企業の企業・活動・発展には、競争したり取引したり協調する他企業や、その企業に対する売り手・買い手、その分野の研究者やとりまく社会の状況などが関連していますが、それをビジネス・システムと呼ぼうと提起されています。創造・発展・起業者活動というサブタイトルが付いていますが、実際にビジネス・システムの創造・発展・起業者活動の様子を示す事例が6つ納められています。
序章は、大阪への鮮魚輸送に手こぎではなく発動機船や冷蔵船を使い始めて、瀬戸内海東部から朝鮮半島、そして底引き網漁自営にまで活動の場を拡げた林兼商店の事例。林兼商店についてはもっと本を探して読みたい気分になりました。第1章は、ボストンに族生した中国貿易のカントリートレーダーが、アメリカ国内の鉄道投資などに資金を移動させた様子。第2章は、明治期の後発損害保険会社3例の企業設立時の発起人・出資者の関係。第3章は、東京と大阪の明治初期の為替・手形決済。第4章は、古河電工をもつ古河傘下だったはずの日本電線が独自の動きを始め、他企業の協力を得たカルテルでなんとか統制した事例。本書を読むことにした理由は先日読んだ「ものづくりの寓話」に紹介されていたからで、第5章と第6章は「ものづくりの寓話」の著者が書いています。第5章は、一時は世界一の繊維機械メーカーであったプラット社が経営不振陥る過程。第6章は「ものづくりの寓話」におさめられていたのとそっくりで、フォード・システムに対する世間一般の誤解を解くような説明がなされています。各事例には興味深いエピソードがたくさん紹介されていて、面白く読めました。
序章と各章のはじめの部分には、なぜ「ビジネス・システム」なのかが書かれていますが、どれも非常に読みにくい文章ばかり。各事例の焦点を素人である私にも分かるように記述してくれた著者たちですが、なぜ「ビジネス・システム」などという概念を持ち出したかったのかという点に関しては、分かりやすく記述することができていません。今さら改めて「ビジネス・システム」なんて持ち出さなくても、企業の歴史を描く論考では、企業とそれを取り巻く社会状況について考察するのが当たり前のことになっています。その当たり前のことにわざわざ難しい理由付けをしようとするからおかしな事態になってしまったのだろうと感じました。その点を除けば、面白い本で一読の価値ありです。ただし3600円の価値があるかどうかは疑問。新書版で1000円くらいで売られるべき本じゃないのかな。
間違いを一カ所発見しました。アメリカのセントラル鉄道についての56ページの説明、「1マイルあたり16ポンドのレール」は変です。きっと1ヤードあたり16ポンドのレールのことでしょうね。

2010年10月8日金曜日

ものづくりの寓話


和田一夫著 名古屋大学出版会
2009年9月発行 本体6510円
以前、本書の著者である和田さんが訳した「アメリカン・システムから大量生産へ」(デーヴィッド・A・ハウンシェル著、名古屋大学出版会)を読んだことがあります。大量生産と言えばフォードシステム、フォードシステムと言えばコンベアの導入された工場の写真が思い浮かびます。しかし「アメリカン・システムから大量生産へ」は、大量生産には生産ラインへのコンベアの導入が重要なのではなく、組み立てに際して現場で摺り合わせ作業をする必要のない互換性のある部品の採用が重要であること、そしてアメリカでの互換性生産の歴史を分かりやすく教えてくれる好著でした(この本も私のおすすめの一つ)。
本書のサブタイトルはフォードからトヨタへとなっていますが、それを示すように「本書は上記のハウンシェルが描いたアメリカにおける互換性製造の道のりの後日談を、日本について描こうとしたものである」と「はじめに」に書かれていました。
第一章フォードシステムの寓話では、移動式組み立てラインばかりが注目されることに対して注意を喚起しています。例えば生産費の低減はコンベアのない時期にもかなり実現していたこと。T型フォード車の組み立はコンベアシステムの導入されたハイランドパーク工場だけでなく、各地の分工場でも行われ、分工場の合計生産台数の方がずっと多かったこと。金属製閉鎖型ボディの主流化がT型フォードの終焉に一役かっていたことなど。
第2章「フォードシステム」の日本への受容では、主に戦時下の航空機の生産を例に、互換性生産が実現できない状況下でも、流れ作業方式が注目され、導入を試みられたことが記されています。しかし、戦時下という悪条件、自動車よりも部品数の多い飛行機の生産という困難さも相まって、必要な数の部品を過不足なく組み立て工程に供給するように全行程を管理することができませんでした。そしてその経験から、戦後の一時期に推進区制が実現しました。生産工程をいくつかに分割した推進区を設け、その推進区に現場内での管理を任せ、中央は推進区を統制するシステムだったそうです。ただしこれは最適な方式とは見なされてはいませんでした。
第3章以降では、日本でフォード・システムを実現しようとした企業者・企業としてトヨタを取りあげます。豊田自動織機製作所は自動織機の生産で互換性生産を実現し、また自動車エンジンの生産に必要な鋳造技術も備えていたことから、 豊田喜一郎は自動車事業に参入することを決意します。しかし実際に第一号の自動車ができるまでに五年半もかかり、またその後は戦争の影響も受けました。敗戦後、自動車事業を継続する決意から、協力企業との関係構築、標準時間の測定など生産現場のデータの把握から工程管理へ、労働争議を経て労組による協力を得て、マテリアルハンドリング、IBMのパンチカード集計機・コンピュータの導入、カンバン方式への移行などが、史料にのっとって、しかも通説の弱点も指摘しながら順次説き明かされています。
読み終えて、とても楽しい本に出会えたという感想を持ちました。「アメリカン・システムから大量生産へ」の日本での後日談という著者の意図は充分実現されています。また、この著者はきちんと読者を意識した表現をしていて、とても読みやすい文章です。なんというか、著書の頭の中には全体を一貫したストーリーがあり、それを物語ってくれているような感じを受けるので、私のような素人にも読みやすいんだと思います。これまで読んだ「アメリカン・システムから大量生産へ」「企業家ネットワークの形成と展開」「帝国からヨーロッパへ」などこの著者の著書・訳書は同じように分かりやすいと感じ、また勉強になるものでしたが、本書もその例外ではありませんでした。
名古屋大学出版会は良い出版社で私の好きな本をたくさん出してくれています。それでも、ここから出版されたハードカバーだと読者が限られてしまうのでは思われます。例えば、本書中にも引用のあった中岡哲郎著「日本近代技術の形成」朝日選書809のように、本書もどこか他の出版社から選書版で出版されればもっとたくさんの人の目に付いただろうにと思われてならず、好著だけにその点は少し残念です。

2010年10月2日土曜日

そんへえ・おおへえ

もともと1949年に青版16で発行された新書が特装版で再発売されたものです。先日読んだ戦後日本人の中国像に触発され、中古品を入手して読んでみました。タイトルのそんへえは上海の現地での発音を写したもの、おおへえは上海郊外の下海の現地語読みなのだそうです。
内山さんは大学目薬の中国での販売のために上海に住んでいました。内職と書かれていますが、最初は自宅で百冊足らずの本を並べて本屋さんを始めたそうです。ご夫婦ともキリスト教徒で、キリスト教関係の本を売るつもりだったそうですが、この当時の上海には日本語の本を売る店が他にはなく、間もなくふつうの日本語の本の方が多くなり、売り物の数が増えて店舗を構えることになりました。内山書店では現金売りだけでなく、掛け売りを日本人だけでなく中国の人に対してもおこなっていたので、しだいに中国人のお客さんの割合が増えて行ったのだそうです。上海の内山書店は有名なので私も名前は知っていましたが、こういうお店だったのですね。それと、中国の本を売る神保町にある内山書店は、内山さんの弟さんにすすめて開店させたものなのだそうです。
上海内山書店創業記のほかに、エッセイ風に中国での経験が語られ、面白く読めました。また、その中には上海・中国の日本人の中国人に対する優越感やそれに由来する行動がえがかれ、彼がそれに対して同調できなかった様子も記されています。これは、敗戦後に書かれたものだからという訳ではなく、著者が以前からそういう態度でいたことは中国の人たちの内山書店に対する評価が証明してくれているものと思われました。
別に反政府活動をした人というわけでもないのに、郭沫若が日本から中国に逃げた事件に関連して、日本帰国中に特高に拘束され留置場で数日過ごすことになった経験が書かれていました。著者自身は特にその件に関与していなかったそうで、事情を聞くという名目で留置場に入れてしまうような無茶苦茶がまかり通る嫌な国だったわけですね。



日中戦争中のあるエピソードの項で、日本側地区とそうでない地域との間で、時間がかかるけれども手紙の行き来はあったし、郵便為替で送金もできたことが書かれていました。日本側が確保できていたのが点と線(都市と鉄道)だけだったからなんでしょうか。

2010年10月1日金曜日

もしも月がなかったら


ニール・F・カミンズ著 東京書籍
1999年7月発行 本体2200円
第一刷が1999年に発行された本ですが、2010年9月に発行された「もしも月が2つあったなら」という同じ著者の本の横に本書も平積みにされ売られていました。本書はタイトルの「もしも月がなかったら」の通りに、もし月がなかったら地球や地球上の生命はどうなっていただろうかというような思考実験をして見せてくれる本です。月がなかったらの他に、月がもっと地球に近かったら、もっと地球の質量が近かったら、地軸がもっと傾いていたら、など全部で10のもしもを説き明かしてくれています。
著者は天文学・物理学の教授と紹介されています。そのせいか、もしもに続く、天文学的・地学的な話の展開はさすがです。例えば、第一章の「もしも月がなかったら」。月は火星サイズの天体と地球の衝突で生まれたと考えられていますから、もしも月がなかったらということは地球がその衝突を経験しなかったということになるので、二酸化炭素に富んだ大量の原始大気を失わずに濃い大気の下で生命がスタートします。また月がないと月による海水の潮汐作用がないので、地球の自転が遅くなる程度が少なく、現在で一日が8時間くらいになるとのことです。こういった感じの展開が各章で興味深く解説されています。
そしてそういった条件のもとでは生物にどんな風な影響があるのかというお話しが続きます。でも、この生物に関する話の方は読んでいてとても嘘くさいというかこじつけっぽいと感じてしまうレベルです。空想の羽を目一杯羽ばたかせたお話しなら、マンアフターマンくらいに突き抜けている本の方がずっと面白い。例外は、電波を見る目はとても大きくない(電波望遠鏡を連想させる説明が展開されていました)と機能しないから生物には無理などときちんと説明されている第9章の「もしも可視光線以外の電磁波が見えたら」ぐらいでした。
半分は面白く勉強になるけど、半分は微妙、な本でした