2010年6月24日木曜日

内奏




後藤致人著 中公新書2046
2010年3月発行 本体760円
サブタイトルが「天皇と政治の近現代」となっていて、古代と幕末は話の枕として触れられているだけです。本書の前半は主に大日本帝国憲法下の事例について説明されていて、主に昭和天皇のエピソードが中心です。後半は敗戦後・日本国憲法下での事例が取りあげられていますが、これも平成より昭和の方が主な対象となっています。
戦前は憲法に両議院が上奏する権利を持つ旨の記載がありましたが、その他の機関については憲法による規定はなかったそうです。ただ、公式令・軍令などや政治的慣習にしたがって、天皇に対する上奏・奏上・内奏などが行われていました。上奏・奏上・内奏などの区別についても必ずしも規定があったわけではなく、例えば軍は帷幄上奏を行えたわけですが、陸軍は上奏したのに対し、海軍は上奏よりも扱いが軽くて済む奏上と呼ばれる行為を行ったのだそうです。官僚制のなんたるかが表現されているようで、面白いですね。
昭和天皇は張作霖爆殺事件の田中義一首相の上奏(天皇は上奏と受け取ったが、田中首相は裁可を伴わない上奏=上聞と考えていたらしい)に対して不快を表し、辞職に追い込んだことがありました。これを反省して、自分が反対意見をもつ上奏に対してもかならず裁可することにしたのだそうです。しかし、上奏以前の段階の内奏に対しては、率直な御下問を行い、内奏する側の軍などはそれへの対応に苦慮した点があったそうです。
敗戦後、芦田首相は天皇への内奏を廃止して天皇を元首ではなく象徴として遇したい意向を持ち、また昭和天皇の退位も望んでいたそうです。しかし昭電事件で退陣を余儀なくされました。続く吉田首相は首相や閣僚による内奏を復活させ、その後の内閣の下でも内奏やご進講を行う職種は増えていきました。昭和天皇が内奏に対して御下問という形で意見を表明するのは敗戦前と同様で、政治家はこれによる影響を少なからず受けたようです。
本書には「上奏が日本国憲法施行後に消滅するのに、なぜ内奏は残るのだろうか。これが本書の基本的な問題意識であった」書かれています。それに対して、昭和天皇が在位し続け、しかも内奏という慣習にこだわったからだと著者は解答しています。私もこれが正解だろうと思います。
敗戦後に昭和天皇は退位しませんでした。私が思うに、昭和天皇は大日本帝国憲法下でも立憲君主であったと自身をみていたこと、輔弼機関の上奏に対しては基本的にすべて裁可する方針だったこと、また憲法第三条には天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラスとあることなどから、敗戦に対して責任を負う必要を全く感じなかったのでしょう。また日本国憲法下でも、象徴という名前の立憲君主であり続けるもりだったでしょうから、憲法に定められた国事行為を行うためにも、内閣による内奏というかたちの助言があって当然と感じていたのでしょう。また、敗戦後から高度成長期の政治家は、天皇を現人神として感じた経験のある人たちだったので、象徴という名前の立憲君主に対して内奏を続けることに違和感を感じず、御下問という形の天皇の意見を可能なら尊重しようと考えたのだろうと思います。

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