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2010年3月27日土曜日

講座日本経営史2 産業革命と企業経営





阿部武司・中村尚史編著 ミネルヴァ書房
2010年2月発行 本体3800円

前回のエントリーで紹介した第1巻に比較して、企業の労働組織、生産組織や統治構造などを扱う章が目立つこの第2巻はいかにも経営史の教科書といった趣で、勉強になった点がたくさんありました。


近世紀の小農は、年貢納入にあたって、現物納付であることによって市場における価格変動リスクから隔離されていた。さらに、村内においては五人組が年貢債務を連帯保証し、そして領主に対しては村が年貢債務を連帯保証する村請制がとられ、くわえて、1村全体の作柄が悪いときには年貢が減免されることにより、気候変動リスクも分散されていた。しかし、地租改正によって村請制と現物納付が廃止され、土地所有農民は単独で気候変動リスクと市場価格変動リスクを引き受けることになった。現実には、多くの農民にとってそのリスク負担は過大であり、小作農に転落した。1870年代には20%代であった小作地率は1900年代までに40%代後半に達したのである。そして、東日本を中心に、地主が小作料を現物で徴収し、また不作時には小作料を減免する慣行が成立した。近世的なリスク分散の制度を地主制が代替したのである。
これは第2章で労働市場を説明する項にあった表現ですが、第1巻で取り上げられていた友部謙一さんの前工業化期日本の農家経済もそうですが、戦前の地主制というか小作に関する評価がここ20年くらいで様変わりしてしまっていることを、改めて確認させられます。もちろん、第2章全体としての論旨には異論はないのですが、
そして、事業の性質や事業者の行が、金融に特化した専門化には相当程度に観察されるが、一般の投資家が財務諸表のみでその善し悪しを判断することが難しいとすれば、中央の市中銀行や地方の大銀行による間接金融が望ましいであろう。
第2章の62ページ真ん中くらいにあるこの記述は日本語として理解不能。「行」は行動、「専門化」は専門家の誤植でしょうか。


条約改正論議の一般的な基調をみると、欧米諸国との政治外交的・経済的対等関係は確立したいが、国内市場から外国人を制度的に排除し、実質的に日本に有利に機能している居留地貿易制度は、とくに中国商人の活動に対する危機感を背景にして維持したいという矛盾した感情が、おそらく偽らざる本音であったのではないかと思われる。
これは関説「外国商人の活動」にある表現ですが、勉強になる指摘。


間接金融と直接金融という区別そのものが曖昧な面を持つことも留意しなければならない。例えば、投資家が銀行の株式担保金融を直接・間接に利用して株式投資することは、日本でも欧米でも見られるけれども、それは、産業企業の資金調達サイドからすれば直接金融であるが、貯蓄主体の資金運用サイドから見れば銀行を経由する一種の間接金融ということになる。
これは、第7章「企業金融の形勢」での指摘。この章では、財閥系企業でもほとんどが直接金融で資金を調達していた訳ではないことを、例えば三井物産が正金銀行から多額の貿易金融を受けていたことなどを示して説明しています。

第9章は、企業家的ネットワークの形成と展開のダイジェストで、財閥とは違う出資形態の株式会社、つまり奉賀帳を廻されたかのように多くの資産家が協同して出資するタイプの株式会社の実態を明らかにしています。ただ、このダイジェストだけではこの目のつけどころがシャープな研究の良さが充分には読み取り難いように感じました。章末で筆者が書いているように、ぜひ原著を読むべきですね。

どうでもいいことかもしれませんが、索引。古河鉱業などが、カ行に配置されてます。

2010年3月21日日曜日

講座日本経営史1 経営史・江戸の経験


宮本又郎・粕谷誠編著 ミネルヴァ書房
2009年12月発行 本体3800円
1995年から岩波書店が出版した日本経営史のシリーズから15年経って、新たな日本経営史の講座がミネルヴァ書房から出版されました。江戸時代と明治時代以降の関係については断絶説と、江戸時代をearly modernとしてとらえる連続説があります。本講座では、明治以降へ関連にも触れる問題意識から第一巻の対象期間を1600~1882年としています。
岩波の日本経営史1巻の近世的経営の展開の方は、三都の大商家の経営組織、経営管理、雇用形態、労務管理、簿記技法などが主に取りあげられていて、それ以外には薬種商や醤油醸造業の事例がとりあげられているだけでした。本講座の1巻である本書にも、大商家の労務管理・雇用形態を簡単にあつかった章もあります。しかし本書の旧講座に比較しての特徴としては、明治以降との連続がみられる酒造業・醤油醸造業・織物業・陶磁器業、明治以降との断絶が目立つ製糸・紡績・造船・機械製造などの製造業についての章があることや、また金融や物流についても章立てされている点が挙げられます。製造業に関しては、私が名著だと思う中岡哲郎著「日本近代技術の形勢」や鈴木淳著「明治の機械工業」の成果が取り入れられていますが、本講座が狭い意味での経営史ではなく、広く技術史・経済史的な目配りをしていこうとする姿勢をあらわしているのでしょうね。
また、前講座1巻には、心学・国益思想など経営理念についての章がありました。それに対して本書には法制度・金融制度・信用制度などについての項目があります。文化的な特色に注目する流れから、経済を支える制度について着目する歴史制度分析の流行という風潮を反映しているのでしょうね。
この分野の過去15年間を振り返ると、私がつい最近読んだだけでも
といったような成果が出版されています。本書は3800円と比較的お安く値段が設定されていて、教科書として使われることを想定しているのかなと思いますが、1巻を通じてこれらの成果を反映したオーソドックスで理解しやすい記述になっていると感じました。
読みやすい教科書という全般的な印象の中で例外は、第3章労働の管理と勤労観のI~IV節。これを書いているのは友部謙一さんですが、この人の日本語はあいかわらずひどい。なので、スムーズに読めない感じなのと、例証が恣意的というか結論が飛躍するというか、そんな印象です。この人の主張には小農自立や小作制の評価など見るべき点があると感じるだけに残念。それに加えてこの第3章I~IV節では、注がなってないのです。例えば、100ページの(3)は126ページに注(3)があるのですが、そこの最後には「双系制社会を想定した最新かつ信憑性の高い見解は田中(2008)をみよ」と書かれています。田中(2008)ってどんな文献なのかなと思って131ページ以降の参考文献のところを見てみると載せられていません。注(4)の永原慶二(2007)や注(5)の勝俣(1996)も参考文献リストにはありません。本にする前のゲラのチェックとかしないんでしょうか。
本筋とは関係しませんが、198ページの「技能者の職方と武士の士官とを峻別する旧幕府海軍の体制が残された」という記述。これは、日本海軍の兵科士官と機関科の関係についての淵源を述べているのでしょうか。兵科士官と機関科の関係は、イギリス海軍では士官が貴族出身だったのに対して機関室の技師が平民だったことに由来するものだと思っていましたが、それ以外の流れもあったわけですね。

2010年3月12日金曜日

MacBook Pro 落下事件

テーブルの上に置いてあったMacBook Pro。角からちょっとはみ出ていたので、ふとしたはずみで腰がぶつかってフローリングの床に落下してしまいました。iPhoneは何度か落としたことがありますし、PowerBook Tiも落としたことがありますが、MacBook Proを落としたのは初めてです。


テーブルの高さは70cmほど。さすがにこの高さを落下すると無事では済みません。こんな感じに左側面のPCカードスロットのところのアルミの枠が変形してしまいました(ユニボディのMacBook Proだったら、変形しないのかもですが)。ただ、そのほかには目立った変化なし。蓋を開けるときちんと動いてくれて、こんな風にブログも書けます。まだ、いちおうAppleCare Protection Planの期間内ではありますが、壊れなくて良かった。

2010年3月7日日曜日

天孫降臨の夢

大山誠一著 NHKブックス1146
2009年11月発行 本体1160円
日本書紀は藤原不比等の構想のもとに書かれたという著者の考えを展開した本です。著者はこれまでも聖徳太子はいなかった説にもとづく本を著していますが、本書の第Ⅰ部「日本書紀の構想」でも聖徳太子はいなかった説にあらためて触れています。
著者によれば、隋書に男性として描かれている当時の倭王は蘇我馬子で、聖徳太子というのは蘇我馬子の功績を隠し、萬世一系を示すために創造された人物だということです。継体朝がそれ以前の大王の系譜と途切れていることは明らかですから、石舞台古墳の存在や日本書紀の記述ともあわせて、継体朝の次に蘇我朝があったこともうなづけます。また、厩戸王という蘇我系の有力王族がいたことは確かだと思いますが、その人と確実な史料に乏しい聖徳太子の事績とは全く別物というのはきっとそうなのでしょう。ただ、三経義疏が聖徳太子の著作ではないことは当たり前に感じますが、著者によれば天寿国繍帳や焼け落ちて再建された法隆寺の仏像も飛鳥時代につくられたものではないとのことです。こちらに関しては美術史家たちの反対がありますが、様式以外に具体的な証拠を示さないと、著者の説の方がもっともらしく感じられなくもありません。
壬辰の乱後に即位した天武天皇は神とあがめられた専制君主というのが教科書的な説明です。しかし、著者は天武天皇を凡人として理解しようとします。壬辰の乱自体が、白村江の敗戦後に対外的に消極的となった中央の豪族層が唐に対して協力し新羅とは敵対する積極的な対外方針を示した近江朝を転覆させた事件で、大海人皇子は英雄的に活躍したわけではなく単にみこしとしてかつがれただけだとするのです。
それ以前から合議制の伝統があり、また天武天皇もカリスマではなかったとすると、律令の制定によって天皇が専制君主になったように見えても実際には合議制をとる太政官に制約される存在でしかなかった、そして太政官を実質的に支配するのは藤原氏だった、ただこの天皇の下での藤原氏に率いられた合議制が安定するためには権威、つまり天皇の神格化が必要で、そのために藤原不比等は神話を作ろうとしたというのが著者の考え方です



その日本書紀の神話に藤原不比等の構想の具体的な証拠をしめそうとしたのが、 第Ⅱ部天孫降臨の夢です。日本書紀の天孫降臨には、一書に曰くと言う形で異なったストーリーがいくつも載せられていますが、著者はこれらをアマテラス系タカミムスヒ系と分類します。藤原不比等は政界デビュー後、皇后(後の持統天皇)と協力して草壁皇子の即位に尽力しまが、草壁皇子は即位前に死去してしまいます。そこで、持統天皇が即位して、草壁皇子の子供である軽皇子の将来の即位を正当化するためにつくられたのが、アマテラス系のお話しだと著者は説明しています。狙いどおり、成人後に軽皇子は文武天皇として即位しますが、25歳で死亡してしまいました。そこで、不比等は自分の娘である藤原宮子と文武天皇との子である首皇子(後の聖武天皇)の即位を狙い、中継ぎの女帝として草壁皇子妃を元明天皇とします。首皇子の即位の正当性を示すためにつくられたのがタカミムスヒ系のお話しだとのことです。著者の示した図を見ると、たしかに人間関係的には神話と不比等が即位を意図した皇子たちとの間に類似がみてとれます。



天孫降臨系の神話は藤原不比等(+ブレーンたち)の創り上げたものであるとする著者の説には、必ずしも納得できない印象を持ちました。まず、日本書紀を書物として最終的に完成させる際に、アマテラス系タカミムスヒ系のお話しを複数載せる必要性があったことが不思議です。首皇子が即位を予定している頃に編纂を終えた日本書紀ですから、タカミムスヒ系のお話しを一つだけ載せれば充分だったはずなのに、「一書に曰く」がいくつも併記されているのは変です。ふつうに考えれば、日本書紀の編纂時に天孫降臨のお話しがいくつも存在していたとする方が無理がない。
また、継体天皇が応神天皇の5世孫とされたり、蘇我氏が大王であった存在を隠したりなど、日本書紀が萬世一系の天皇を神格化することを意図していたことには同意します。でも、現に生きている皇子を神格化するために日本書紀が書かれたという著者の説には疑問を感じます。不比等は日本書紀の読者を誰と想定していたのでしょうか。当時の中央の豪族が想定読者だった?漢文の日本書紀を読めた人がそんなにたくさんいたのか疑問ですし、豪族たちがたとえ日本書紀を読めた・読んだのだとしても、首皇子の即位を神話が予言したから尊いのだと感じるものでしょうか。
それとも、不比等の想定読者は未来の人たちで、自分の子孫の代に向けて藤原氏の主導する太政官制度の下の天皇制を神格化する目的だったのでしょうか。平安時代どころか現代までこの萬世一系、天皇の神格化が影響しているわけで、その意味では大成功です。ただ、藤原氏の権力が確固としていた平安時代中期と違って、いくら有能な不比等でもそんな先のことを考えて行動する余裕があったとは思えないのですが。

2010年3月5日金曜日

増補 豪華客船の文化史


野間恒著 NTT出版
2008年7月発行 本体3200円
1840年代の外輪船の時代から第二次大戦後まで、主に大西洋のライナーを、そして太平洋航路・日本船の話題も盛り込んだ概説書です。読みやすく、知識の整理にはなりますが、新たな発見はあまりありませんでした。こういう本はハードカバーではなくて、新書の方がふさわしい気がします。