2010年1月2日土曜日

土地希少化と勤勉革命の比較史


大島真理夫編著 ミネルヴァ書房
2009年12月発行 本体6500円

社会経済史学会で編著者が担当した共通論題への報告をまとめた本だそうです。序章と第一章で編者が問題意識と総論を述べ、その後の各章では日本、中国、東南アジア、インド、中欧、ロシアの例が紹介されています。そして、終章には斉藤修氏による前近代成長の二つのパターンと題した文章があり、これは昨年読んだ比較経済発展論(岩波書店、2008年)の第4章と同じでした。

マルクス主義や近代経済成長理論などへの懐疑的な態度から普遍主義的な認識一般が避けられている今日の状況ですが、編者は経済発展の歴史的展開に関する何らかの普遍的な認識枠組み=参照軸の構築が経済史研究の重要な課題の一つであるとして、経済資源としての「土地の希少化」を「経済史上の近世」を定義する指標として序章で提唱しています。また本書のタイトルのもう一つのキーワードである「勤勉革命」という言葉は、速水融氏以来いろいろな論者がいろいろな内容で使用しています。編者は土地希少化が出現した段階で、さらなる労働の投入が収穫逓減をもたらすのではなく収穫逓増をもたらすようなメカニズムを勤勉革命と呼ぶように提唱しています。

この二つのキーワードをもとにユーラシア各地を通観しようというのが編者の意図ですが、本書を読んでみるとそれが成功しているようには全然思えませんでした。まず「経済史上の近世」を土地希少化を指標として認識する件ですが、例えば中国はその本土が地理的な条件からいくつかのマクロリージョンに分けて考える必要があることが第四章で論じられていますが、華北の中原では早くも紀元前に上限に近い人口に達してしまったのに対して、20世紀になってもフロンティアの残っていた地域があるなど、リージョンごとの差が大きいのだそうです。
土地希少化によるフロンティアの消滅段階を近世段階と呼称するなら、宋代には華北、四川コア、長江中下流域コア、福建沿海部などがそれに該当する。その意味では、王朝あるいは中国国家全土がくまなく近世段階を迎えることは今日までない
と述べられていますが、中国本土はいちおう一つの経済システムと考えるべきでしょう。他に本書で扱われているインドやロシアにも問題があり、土地希少化指標説の破綻は明らかだと思います。また、土地希少化への対応としての勤勉革命と言う点でも、前提となる土地希少化が現れていない地域の存在ともあわせて、編者の勤勉革命にあたるものを探すこと自体にはあまり意味がないようです。ただ、日本での土地希少化への対応と他の土地希少化を経験した地域の対応の違いを考えることには意味があります。日本では外国貿易が制限されていたとは言え、西日本と東日本では自然条件がかなり異なりますから、主穀を含めた商品作物の栽培や手工業での特産地の形成による分業が徳川日本の成長を支えたわけです。勤勉革命は、終章で斉藤氏が述べるようにスミス的成長ととらえるのが、ヨーロッパやジャワなどとの比較のためにはいいのでは。

第二章から八章のユーラシア各地の紹介はどれも面白く読めましたが、特に中国に関する第四章が一番勉強になりました。中国はなぜ宋代に技術革新のピークを経験しながらその後停滞に陥ってしまったのかという「ニーダムの難題」が、ポメランツ、フランク、アブー=ルゴド、趙岡などなどの研究者には問題意識としてあるのだそうです。これらの人の中で趙岡さんの農業経済論が紹介されていていますが、高人口圧と農業経営形態が関連しているとするものだそうで、面白い。でも残念ながら日本語訳はない。

第三章では日本の東海地方の4つの農書が紹介されていて、興味深い点がいくつも紹介されています。例えば、「尾州辺の土民と関東筋の土民は耕作方法雪と墨ほどちがひて、関東筋下手なり」。近畿地方や東海でも三河より西と、東日本とでは農業技術の水準に大きな差があったことは当時の人も認識していたわけですね。また、農書のつくられた時代が後になるにつれて土豪経営から小農経営が当然の存在になっていくそうです。また、農業は商業などに比較して労多くして益少なしという認識は農書の中にもあり、施政者だけでなく農書も農本主義を主張しています。あと、この地方は未婚の男女の多くが町や都市に奉公に行っていた地方だったはずですが、農業を難儀として「若き者ハ思案薄き故嫌ふ」というのがそれに対する評価なのでしょうか。でも、奉公に出た人も多くは戻ってきていたのですから、社会勉強や段取りを付ける勉強になるというような評価はされてなかったのかなあと感じます。

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