2009年12月13日日曜日

文革


董国強編著 築地書館
2009年12月発行 本体2800円

南京大学14人の証言というサブタイトルがついているように、文化大革命の時期に南京大学の教官や学生だったりした人たちで、その後に大学教授や研究者となった14名へのインタビューをまとめた本です。14名の中には文革期にすでに教官や教室の管理者として活動していた人たちもいて、その人たちは主に迫害の対象となったつらい経験を中心に語っています。また、それよりも若い大学生や中学生だった人たちの多くは批判する側で、紅衛兵(ATOK2007には紅衛兵が登録されてなかった)として北京で毛沢東と会う経験をした人も含まれています。編著者は日本人ではなく南京大学歴史学科の副教授で、オーラルヒストリーを実践したものです。文革に関する企画は今でも中国国内ではすんなりと許可されるわけではないそうで、中国より先に、日本で出版されることになったそうです。文化大革命自体が特異なできごとですから、それを体験したそれぞれの人の体験談もとても非日常的なもので、とても面白く読めました。まあ、歴史学者なら面白がるだけでなく、こういったことがらを素材として扱うのでしょうが。

世代が上の方の人たちは、百花斉放百家争鳴とそれに続く反右派闘争などを経験していたので、慎重だったようです。文革が始まった時にソ連の大粛清と同じではないかと感じたと述べている人もいました。

文革自体は毛沢東が劉少奇からの政権奪還を目指して発動したものと言われていますが、中国のいろいろなところで一般市民が「反革命」を打倒すると称してふだんの不満をはらす活動をしたためにあんな風に暴走してしまった面があります。この頃の中国では、職場や所属組織といった「単位」が、戸籍・住宅・医療・就職・進学・結婚などまで生活全般をまとめて面倒を見る体制でした(ちょうど、一昔前の日本の大会社が社宅や病院や保養所など持っていたのに似ている)。「単位」の共産党組織の覚えが良くないと生活に差し支える面が多く、コネをもている人はいいけれど、そうでない人や不利な扱いを受けたと感じてもそれを解消する手段がありませんでした。こんな不満・恨みが小さな地域・ローカルな組織での「文革」の原動力だったとか。

もちろん学生たちのように、純粋にフルシチョフのソ連のような修正主義を許すなと活動した人たちもいました。ただ、自分たちの活動が革命的なのか、反動なのかを上部が決定するような状況に、操られている感覚をもつようになった人も多く、特に林彪が失脚してからはみんなが冷めた見方をするようになったそうです。

毛沢東による経験交流の奨励によりお金がなくとも中国国内を旅行して見聞をひろめることができ、学生たちには良い思い出として残っているそうです。しかし農村への下放はつらい体験で、社会主義の新農村が花開いているはずなのに、実際の生活水準の低さを実感して驚いている人もいました。当初は勇んで下放に出かけた人でも、何とかつてを頼って学生として南京にもどることができたからこそ、学者としてこのインタビューを受けることができるようになったようです。

文革の誤りがあっても、それでもマルクス主義を信じて疑っていませんと述べてる人が14人中ひとりだけいますした。その他のひとはどうなのかな。今では中国共産党の共産主義というのは、多数党・政権交代を前提とする政治体制を拒否するためだけに使われてるような感じですからやむを得ないかもですが。

文革が中国の人たちにとって大きな災難だったのは、本書を読んでみても間違いないことです。毛沢東や四人組や、また毛沢東をトップに据え続けざるを得なかった中国共産党に原因があるのもたしかです。でも、20世紀前半にあんな形で日本が中国に干渉しなければ、中国共産党が政権を握ることがなかったかもしれず、ひいては文革なんて起きなかったかも知れないと思うと、日本人にも無縁なできごとではないですよね。

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