2009年11月3日火曜日

天文法華一揆


今谷明著 洋泉社MC新書039
2009年9月発行 本体1900円

この本はもともと1989年に平凡社から出版されて、長らく品切れになっていたものだそうです。今谷さんの著者は面白いと感じるものが多いのですが、 天文法華一揆をテーマにした本書もそうでした。読んでいてまるでドキュメンタリーのように感じましたが、あとがきを読むと著者自身も事件史として、非専門家向けにドキュメンタリータッチに叙述した旨を述べています。

天文法華一揆は、むかし教科書で天文法華の乱として学んだ記憶がありますが、どんなものだったのか理解してはいませんでした。本書によると、堺公方体制内部の対立の際に、細川晴元が本願寺に援軍を依頼したところ、 本願寺の動員力は当時の守護や国人が動員できる兵数よりずっと多く、数万の軍勢が集まって、堺にいた三好元長は攻め滅ぼされてしまった。これを知った近国の一向宗門徒は、奈良や京の周辺で一揆を起こした。これを鎮圧するには武士の力だけでは不十分で、幕府は法華宗の信者が多数いた京の町衆の動員力に期待することとした。これは成功して、各地の一揆は鎮圧され、山科の本願寺も焼き討ちされてしまった。大阪の本願寺も攻められ、一向宗側の希望で講和が結ばれた。細川晴元も将軍足利義晴も京にはいない時期だったので、法華一揆が京内の治安維持に任じるとともに、功のあった法華一揆は京の市民の一揆で上級商人層が中心だったので、地子免除を認めさせ、周辺農村の半済や京七口の関所の関銭の廃止を求めた。また、宗教的な対立からか、法華一揆による京周辺の農村の焼き討ちなども行われた。これら一連の法華一揆側の動きは、幕府や法華宗以外の宗教性力などの反発を招いた。そんな時期に、法華宗の一門徒が叡山の華王房という僧を宗教問答でやりこめられてしまうという事件が起こった。これに反発した山門側は近江の六角氏とともに京に攻め込み、京の町は広く焼かれ、法華宗は敗北した、というもののようです。

天文法華の乱は山門が京の法華宗寺院を焼き討ちした事件ですが、そうなるまでのいきさつが説明されていて、すっきりしました。でも読んでいて疑問も無いわけではありません。数万という動員力の一向宗との対決で本山の山科本願寺を焼き討ちするくらいの力を持っていた法華一揆側は、なぜ山門に攻められるとあっさり負けてしまったんでしょう。幕府や他の宗教勢力から孤立していっただけではなく、上級商人以外の京の市民の中でも孤立しつつあったからなんでしょうか。

この洋泉社MC新書のMCはModern Classicsという意味だそうです。私が昔読んだことのある本では「東日本と西日本」もこのMC新書として並べられていました。こういう入手しにくかった本が復刊されるのはいいことだと思います。

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