2009年8月12日水曜日

ヨムキプール戦争全史


アブラハム・ラビノビッチ著 並木書房
2008年12月発行 本体4800円

日本では1973年のヨムキプール戦争を第四次中東戦争と呼ぶことが多く、またこの戦争そのものよりも、それに付随して起こされた石油戦略の発動の方が大きな影響を及ぼしました。そのため、私にはこの戦争の戦闘経過についての記憶は残っていませんが、石油危機によるトイレットペーパー不足などの騒ぎは覚えています。ただ、本書を読むとこのヨムキプール戦争の経過はとても興味深いものです。

大筋は以下の通りです。1967年の六日間戦争で大敗を喫したエジプトとシリアは、失地回復を狙ってソ連との結びつきを強め武器を入手しました。特に、歩兵用対戦車ミサイル(RPGやサガー)と地対空ミサイル(SA6)は、後に緒戦で威力を発揮することになります。一方、イスラエルは六日間戦争の戦訓から、戦車を重視するドクトリンをとるとともに、アラブの軍事力に対して兵数は多くとも能力・士気が決定的に劣ると評価していました。また、自らの情報機関の能力にも自信を持っていて、アラブ側に開戦の兆しが見えてから予備役を動員しても充分に間に合うと考えていたため、対シリアの北部戦線(ゴラン高原)、対エジプトの南部戦線(スエズ運河)とも、少数の部隊しか配備していませんでした。しかし、軍事的に劣るアラブ側が攻撃して来るはずがないという思い込みによって判断を誤った情報機関・軍・政府によって、ユダヤ教の最も重要な休日であるヨムキプール(贖罪の日)に奇襲攻撃されてしまいます。当初、イスラエル側は敵のいかなる領土進出も拒否する方針で臨んでいたため、どのような進出も阻止する必要から手持ち戦力を薄くばらまくこととなり、シナイ半島でもゴラン高原でも戦力の集中という機甲の原則が無視され、各個撃破につながりました。しかも、アラブ側の地対空ミサイルにより航空機による対地攻撃の効果的な実施が困難となり、エジプトの歩兵の対戦車ミサイルによって、歩兵を随伴せずに行動したイスラエルの戦車が多数撃破され、ゴラン高原の南半とシナイ半島の東岸を占領されてしまいました。ピンチに陥ったここから、イスラエルの反撃がまずゴラン高原で始まります。
シリア軍は、少しもひるまず大胆に作戦計画を推進したが、次第にその欠点を露呈するようになった。訓練、戦術、指揮のいずれにも問題があった。群をなして押し寄せても、イスラエルの戦車に次々と仕留められていくのである。イスラエルの戦車は射撃速度が速く、遠距離から撃って、しかも命中率が高かった。イスラエルの政治および軍首脳の判断ミスで、第一線部隊はアラブの奇襲攻撃にさらされた。第一線の将兵はプロ中のプロで、戦術、射撃にすぐれ、冷静に行動した。その資質が、政治および軍首脳の誤りを補償していたのであるが、もちろん十分に補償できるものではなかった。
また、シナイ半島でもスエズ東岸を占拠していたエジプト軍の間隙をついてスエズ西岸への渡河に成功します。そして、スエズ東岸のエジプト第3軍を包囲する形をつくり、国連安保理での停戦決議の受け入れとなりました。

自他ともに優勢と判断されていた側の国が油断によって緒戦に敗退し、その後に地力を発揮して挽回するという展開をとったのがヨムキプール戦争です。この劇的な戦闘経過に加えて本書の著者の筆力はかなりのもの。筋立ても、面白さも、トム・クランシーの小説レッドストームライジングに匹敵するくらいですので、ぜひ一読をお勧めしたい戦史です。また、巻末の参照文献リストを眺めても日本語に訳されているものは一つもないような分野なので、そういう意味でも貴重な本だと思います。翻訳・刊行された方には感謝。

本書は冷戦の実情をかいま見せてくれる点でも興味深く読めました。地中海に面する基地をアルバニアで失ったソ連は、シリア・エジプトとの関係を深めて武器を供与しました。しかし、六日間戦争でシリア・エジプトが大敗した結果、ソ連製兵器の信頼性にも疑問をもたれかねない状況となり、ソ連のアラブの軍の能力に対する評価は非常に低いものでした。ロシアはヨーロッパかどうか問題になりますが、こういう際には白人としてアジア・アフリカ人を劣等視している傾向もあるのかと感じます。このため、失地内服をもくろんだエジプトがイスラエルとの再戦を計画した際にはソ連から止めるように勧告されたほどで、これを不服としたサダト大統領はソ連の軍事顧問団を一時帰国させたこともありました。東側の影響下にある国とは言え、決してソ連の意に添った行動ばかりをとるわけではなかったわけです。

また、東側の影響下の国がソ連から離れる行動をとった例もこのエジプトです。ソ連から武器類を輸入しながらこの戦争を戦ったエジプトですが、停戦交渉の過程で敵であるイスラエルを支援するアメリカに接近する路線をとり、最終的には1978年のキャンプ・デービッド合意につながります。戦闘では緒戦を除くと劣勢に立たされていったエジプトですが、外交的にはスエズ運河再開・シナイ半島占領地の返還などの目標を達成することに成功したわけです。冷戦というと、キューバ危機とか東ヨーロッパの状況、また昔々やったバランス・オブ・パワーなんていうPCゲームのことが思い出されたりして、東西がくっきりと分かれて対立しているとうイメージがあったのですが、デタントの進んできているこの頃にはこういうエジプトみたいな動きが可能だったわけですね。

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