2009年3月23日月曜日

在日一世の記憶


小熊英二・姜尚中編 集英社新書0464D
2008年10月発行 本体1600円

52人の方のインタビューをまとめた本です。新書としては異例の780ページもあり、背表紙の厚さを測ってみると34ミリもありました。ふつうにいう在日一世の方だけではなく、東京や京都など日本国内で生まれた方(在日二世になるのかな)や、日本人女性で在日の方と結婚してから朝鮮・韓国籍に変えた方のお話も含まれていました。

当たり前ですが、みなさん、とても苦労したようです。たいへんだった頃の話が主で、面白いと言ったら怒られそうですが、どの方のお話も興味深く読めました。気付いた点をいくつか。

むかしむかし、「異邦人は君ヶ代丸に乗って」というタイトルの岩波新書を読んだことがありますが、済州島・大阪航路を君が代丸が結んでいたそうです。その関係か、済州島出身の人が多いのですね。

日本の敗戦後、飴・どぶろくを作って売って儲けたという方がたくさんいました。飴はデンプンを麦芽などで麦芽糖にしたものでしょうか。日本では飴・どぶろくを家庭で自製する習慣が昭和の頃にはなくなっていたが、朝鮮半島ではその習慣が残っていたので、材料を調達すればすぐに作れたとうことなのでしょうか。

パチンコはやはり、在日の方たちが始めたものなのですね。経済的に成功した人の話も複数載せられていました。

この年代になると、女性が男性よりずっと多いものだと思います。でも、本書にとりあげられているのは女性17人、男性35人でした。女性にはインタビューを受けてくれる人が少なかったんでしょうか。それとも男性の話の方が面白そうだから、編者が男性を多く選んだのでしょうか。

「わたしには総連も民団も同じですよ」という方もいますが、総連・民団それぞれの活動に熱心だった方のお話も多く載っています。総連の活動をしていた方の中には、帰国運動や朝鮮学校での教育方針などなどや、近年の朝鮮民主主義人民共和国のことともあわせて自省の弁を語っている人もいました。そうでない人でも、北朝鮮の様子をみてつらい想いをしている人もいそうな気がします。

1947年の外国人登録令と1952年のサンフランシスコ講和条約により、朝鮮半島出身者の日本国籍を剥奪する処置がとられました。一方的に日本国籍を剥奪するのではなく、日本国籍を保持したままにするか離脱するかを本人が選択できるようにすべきだったと私は思っていました。でも、この本を読んでいると、当時そういう選択ができたとしても大部分の人が日本国籍離脱を選んでしまうような雰囲気だったようです。なので、国籍も重要かも知れませんが、もっと必要なのは国籍に関わらず日本国内に住んでいる人が等しく職業選択・居住・就学などの自由を持ち、社会保障の恩恵もひとしく受けられるように日本政府が施策すべきだったという点でしょうね。
しかし、実際の日本政府のやり方をみると、国民健康保険・国民年金という名称が、「国民」でない在日の人たちは制度の対象外だぞというつもりで名付けられたようにも思えてしまうくらいです。まあ実際には、国民健康保険は敗戦前に作られた制度ですから在日の人を意識してはいなかったでしょうし、国民年金の「国民」も国民健康保険にちなんで名付けられただけなのでしょうが。

また、樺太に強制連行された朝鮮半島出身者の問題。敗戦後、日本政府は日本人の帰国はすすめましたが、朝鮮半島出身者は置き去りにされました。自力でなんとか樺太から日本に戻った人のお話が載っていましたが、日本政府のやり口には自分の国ながら情けなくなります。敗戦まで唱えられていた一視同仁というスローガンはどこにいったんでしょう?

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