2009年3月1日日曜日

比較経済発展論


斉藤修著 岩波書店
2008年3月発行 本体5200円

歴史的アプローチというサブタイトルがついていて、著者が1985年にプロト工業化の時代を出版して以来もっていた、「過去数世紀のあいだにおこった経済発展を歴史的現象として理解したい」と考え続けてきたいくつかの論点をまとめたものだそうです。面白く感じた点をいくつか。

古典派経済学者の多くがマルサス以来の人口原理と収穫逓減にとらわれていたのに対して、アダム・スミスは、人口増加があってもそれによる市場の拡大から、分業の進展→中間財の市場拡大という迂回生産によって収穫逓増がもたらされることを示唆していたのだそうです。プロト工業化論は、この「アダム・スミス的分業に基づく発展の途が地域間分業の形をとって進行した歴史的過程をモデル化した点で意義を有すると言える」のだそうです。しかもこの理解なら西欧だけでなく、綿作地帯と主穀生産地帯の分離や繊維産業の地方への拡散、白木綿のような中間生産財に特化した地域が出現したりした江戸期日本や、都市化や科学技術の発展が止んだ宋朝以降にも江南などでの地域間分業が進展した中国にも充分あてはめることができます。

昨年読んだThe great divergenceは、18世紀までの東アジアと西欧の発展水準は同等で、両地域間の大分岐が出現するのは産業革命以降のことだと主張しています。この本は、近世にはすでに西ヨーロッパの優位が確立していたとする東西比較に関する常識に疑問を投げかけ、「この分野の研究に強い衝撃を与え」て論争が行われたのだそうです。でも、現在とは違って賃金の統計も完全ではなく購買力平価の算出も不可能な時代の生活水準を比較することはなかなか困難でした。

で、本当のところはどうだったのか?第3章には生存水準倍率(welfare ratio)法という新しい方法による比較が紹介されています。これは、一日あたりの総栄養摂取量1940キロカロリー・タンパク摂取量80グラムを満たすような食品の組み合わせ・バスケットを想定し、その食品の各地の価格から名目賃金を補整するデフレータを算出するものです。ヨーロッパと東アジアでは食習慣によってバスケットを構成する品目が異なっています。この方法自体、うまいこと考えたものだと感心しました。これによると、16世紀以降、ヨーロッパ内でも北西欧と中南欧グループに生活水準は分岐(divergence)していったのだそうです。また、日本と中国はだいたい同じレベルで、中南欧グループと遜色ない生存水準だったことになります。ポメランツがThe great divergenceで主張したことは半分はあたっていたのかも知れません。

幕末の長州藩でまとめられた風土注進案は有名ですが、第5章ではこの統計をもとに身分階層別の所得格差の算出が試みられています。かなり仮定することが多い計算ですが、それによると徳川日本では身分階層間の所得格差が同時期のヨーロッパやインドや、明治以降の日本と比較してもかなり小さかったのだそうです。昨年読んだ近世大名家臣団の社会構造によると、農業からの収入もある足軽一家の方が、藩から支給されるサラリーのみで暮らす徒士の家族より経済的には豊かだったそうですから、全くその通りなのでしょうね。また、遠隔地交易・海外貿易により商人が富を蓄積する機会が乏しかったことも、著者は身分階層間の所得格差が小さかったことの原因として挙げています。もちろん、江戸期の日本も海外貿易をしていなかったわけではありませんが、大商人たちが遠隔地交易で富を蓄積したフェルナン・ブローデルの「資本主義」にあたるような存在はなかったわけですね。

第III部の近代の分岐と収斂では、イギリスに続く諸国の工業化が取り上げられ、西欧諸国についてはガーシェンクロンの後発国のキャッチアップに関するモデルが有効とされています。そして、日本の工業化に関しては「収斂に潜む分岐の要素を見出す」として、部門間生産性の格差、在来的経済発展論、労働集約型とスキル集約型の工業化などが検討されています。ヨーロッパとアメリカを比較すると、アメリカが互換性部品の組み立てによる大量生産方式というスキル節約型の経路をたどったことは理解しやすいのですが、日本に関するスキルの議論はどうもすっきりしない読後感です。本書で紹介されている谷本さんや杉原さんの著作も読んでみなければ。

このほかにも、論点盛りだくさんの本です。特に経済学・経済学史についてはほとんど知識がないので、勉強になりました。ただ、出版元の岩波書店には文句を言いたい。330ページ以上ある本をどうしてフレキシブルバックにするのでしょう。文庫や新書ならわかりますが、本体だけで5200円もするんですよ。読みにくくて仕方がない。

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