2009年2月11日水曜日

近代東北アジアの誕生


左近幸村編著 北海道大学出版会
2008年12月発行 本体3200円

2007年3月に行われた「近代東北アジアにおける国際秩序と地域的特性の形成」というシンポジウムでの発表をもとにした論集です。日本・清・朝鮮・ロシア史といった一国史ではとらえきれないテーマを扱った話題ばかりで、跨境史への試みというサブタイトルがつけられています。

この本を読んでみて、新たに気付かされたのは強いはずのロシアの弱さでしょうか。日本の側からすると、江戸時代の蝦夷地へのロシアの来航・通商要求に対する海防論から、明治になってからも三国干渉や朝鮮半島へのロシアの進出の警戒など、ロシア脅威論がずっとあったと思うのです。また清国にとっても、1860年の北京条約で沿海州を割譲させられ、その後も東清鉄道や旅順租借地などの利権をみとめさせられるなど、ロシアの南下は脅威と受け止められていたはずです。しかしロシア側から見ると、沿海州へのロシア人移民が順調には増加しなかったのに対し、中国人・朝鮮人の沿海州への流入が増え、しかもウスリー川の南には多数の中国人がすんでいることから、もし対清戦争が起きたら沿海州を防衛できないだろうという悲観論、南ウスリー・コンプレックスがあったのだそうです。

また、第三章「サハリン石炭と東北アジア海域史」というサハリンのドゥエ炭鉱についての論考でも同様な感想を持ちました。この炭鉱では良質の強粘結炭が採掘されることから、ロシア側では当初、東アジア交易・石炭取引の中心である上海市場での販売をもくろみました。しかし流刑植民地であるサハリン等への移民は少なく、囚人労働を利用しても労働力不足であったことと、炭鉱の近くに良港がなかったことから輸出量は増えませんでした。また、日本炭は長崎から石炭を積んで行った船が上海から帰り荷として何かを輸入したわけですが、上海からサハリンへの輸出品は少なく船の運賃的にも不利で、結局、ウラジオストックの軍需をまかなう程度の生産となったそうです。しかもウラジオストックでも民需用の石炭は日本から輸出されていたとのことです。そして、日露戦争後にこの炭鉱は北樺太の経済利権として日本の資本と労働力で開発され、第一次大戦後暫くまで日本へ輸出していました。アジアの地では人口が少なく、製鉄などの産業基盤を持たないことは、ロシアの弱点ですね。

第五章の「十九世紀中国における自由貿易と保護関税」も勉強になりました。アヘン戦争後の南京条約、アロー号事件後の天津条約で関税が協定されましたが、この頃の清朝の側には財政関税という考え方はあっても、保護関税という考え方がなかったそうです。茶や絹製品には輸出税をかけていたくらいですしね。日本でも幕府が結んだ日米通商修好条約では、関税のことよりどこを開港するかの方が問題だったから、同じようなもの。その清国で保護関税の必要性が理解され始めたのは、西洋に留学した人が実務に就く1870年代末だろうとのことです。不平等条約ではあっても、締結の頃には関税自主権の欠如という意識がなかったというのは、言われてみれば当たり前ですが、重要な指摘だと感じました。

本書の最後には、海域アジア史研究入門の編者でもある桃木至朗さんによる「海域史、地域研究と近代東北アジア」が載せられています。「東南アジアと東北アジアは、主要な富(貿易品)が、人口が少なく国家形成とは縁が薄い海・島・森の世界からもたらされ、貿易ネットワークが地域の動向に強く影響していた点、近世後期以降に外部からの大規模な労働力流入をともなう大開発を経験した点などが共通する」といった指摘など、面白く感じました。

全体として、ほかにも私の知らないことや興味深いことが多く述べられている勉強になる本でした。

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