2009年1月14日水曜日

植民地期朝鮮の知識人と民衆


趙景達著 有志舎
2008年12月発行 本体5400円
植民地近代性論批判というサブタイトルがついています。最初の章に、植民地近代化論・植民地近代性論に対する著者の評価が明らかにされ、その後にその論拠となるようなエピソードが各章で紹介されています。在日朝鮮人に関する2つの章など、勉強になった点もありますが、各所でかなりの違和感を感じさせられました。

「かつて朝鮮史では内在的発展論が風靡し、植民地研究においても大きな影響力を持ったが、植民地近代化論の登場はこの議論を真っ向から否定するものであった。これは社会経済的な発展のさまざまな数値や指標から、植民地においてお資本主義や近代が実現されたということを強調する議論である」
「しかし、この議論は確固とした近代主義に立脚し、突き詰めていけば帝国主義を擁護する方向に帰着せざるを得ないという問題を持っている」
 植民地近代化論が、帝国主義擁護に帰着せざるを得ないという主張には全く賛同しかねます。朝鮮総督府の施策が近代的な所有権制度の確立などなどにつながったのは確かです。しかし、植民地近代化論は、朝鮮が独立国のままでいたらその種の近代化施策が行われ得なかったと結論づける説ではありませんし、また朝鮮国が植民地化されずに存続していたら朝鮮総督府が行った施策より劣ったことしかできなかっただろうと決めつける説というわけでもありません。論者によってはそう主張する人もいるかも知れませんが、それはその論者自身の問題であって、植民地近代化論自体の問題ではないと思うのです。専門家でないので間違った理解かもしれませんが、植民地近代化論は、植民地化で近代化が進んだ事実があったことを主張しているだけなのではないのでしょうか。その「近代化」にともなって大きな弊害の存在したことももちろん考慮に入れなければなりませんが。

「それに対して、近年勢いを増してきたのが植民地近代性論である。これは植民地近代化論とは違って近代を是とするのではなく、それを批判する立場からなされる議論である。この議論は、もっぱら社会経済的発展指標を重視することによって単純な近代化論に帰着してしまうような近代化論とは違い、近代的制度や規律規範の浸透性に着目し、近代的な主体形成や同意形成、さらには植民地権力との協力体制がいかに形成されたかなどを解き明かそうとするものである。従って、そこでは支配と抵抗という二項対立図式が批判され、植民地権力のヘゲモニーが成立していたとされる」
「植民地近代性論は、近代の国民国家に見られる包摂の論理と現象を不用意に植民地にも適用しようとしているのではないか」
「国民国家は確かに包摂度の高い支配と秩序を指向する。しかしそれは『上から』見た場合の事実の一面であって、それを打破しようとする『下からの契機』は常に存在し続けており、そのことは異民族支配下の植民地においてはなおさらのことになるはずである」
 植民地近代性論では、抵抗と協力が交差する地点に公共領域・植民地公共性が成立していたとし、植民地近代化論以上に民族主義を相対化しようとする問題意識が濃厚だというのが著者の評価です。
 しかも、「『植民地公共性』なるものは、都市・知識人社会が総督府からの暴力を民衆に委譲し、ともに民衆を排除することによって成立していたと考えるべきもので」民衆史的地平から見た場合、どれだけ多くの民衆が植民地権力に同意を与え、「植民地公共性」に包摂されていたか疑問であると著者は述べています。

 ただ、この考え方だと、「民衆」と植民地権力との関係をどうとらえるべきなのかが疑問です。日中戦争下の華北などとは違って、朝鮮半島では30年以上も総督府が統治していたわけで、こういった状態が暴力と抵抗・服従の関係のみで維持されていたとはとても思えません。著者によると、民衆は近代性も皇民化も内面化できていない存在とのこと。皇民化しないのは当然としても、洋服を着て、所有権制度を受け入れ、郵便や鉄道を利用し、植民地統治のための税を支払う人たちについて、著者は「それらは外形的なこと」「『心の砦』は容易には近代性に浸食されず」と述べるのです。官吏や知識人は生活のために植民地権力と折り合って行かなければならない場面が多いし、またその記録が残りやすかったから「植民地公共性」との関連が見えやすいだけで、「民衆」の方も「植民地公共性」的なものと無縁だったとは言えない気がするのですが、どうなんでしょう。また、こうした近代性に背を向ける民衆の生が、結局は植民地支配を切り崩していくとも著者は書いていますが、この辺は朝鮮の解放の経緯を考えれば全く説得力がありません。

 民衆の実態を知るためには、目に見えるものの記録から、目に見えない思想・考え方を明らかにすることが必要になります。優れた民衆思想に関する著作を読むと、その鋭さに感心させられるものです。しかし、著者の挙げたエピソードとその解釈はおおむね凡庸で、とかく「民衆」を知識人とは違ったもの、著者の主張に沿った単一の集団として描き出そうとしているように感じられ、説得力に欠けます。

例えば、田植えや除草の際のトゥレという共同労働をとりあげている章があります。この共同作業には農楽や飲酒などの娯楽と饗宴がつきものだったそうで、この慣行の存在から著者は近代の勤倹型労働観と対比して、前近代の朝鮮民衆の労働観を牧歌型だったと評しています。一年中こういう労働形態だったのならそう呼ぶことも理解できなくはありませんが、あまりに大げさで誤解を生みそうな呼び方かなと感じます。

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