2008年12月27日土曜日

衰退のレギュラシオン


岡本哲史著 新評論
2000年12月発行 本体4700円

チリ経済の開発と衰退化1830ー1914年というサブタイトルがついています。19世紀には1人当たりGDPなどからみて日本よりもはるかに豊かだったチリが、20世紀には開発途上国としての特徴を定着させていったのは何故かという点について、これまでは20世紀の輸入代替工業化の失敗とする議論が多かったのだそうです(たしかに、昨年読んだ ラテンアメリカ経済史もそういう本でした)。それに対して著者は、19世紀の反映時代からすでに、衰退の種がまかれていたのだと本書で論じています。

「チリの長期の経済政策を大雑把に振り返ってみると、『植民地期の重商主義的な保護主義→十九世紀の(限定的な)自由放任主義→両大戦間期以後20世紀70年代までの保護主義的輸入代替化政策→クーデター以後1990年代までの自由化政策』」というように、どの時代の政策もその前の時代の政策の失敗の記憶に支えられていたという点を著者は強調しています。また、経済史の分析にあたっては、新古典派はもちろん、その他の非主流派・異端派経済学的な方法と比較してもレギュラシオン・アプローチが優れているとして、本書は書かれています。

著者の主張する衰退のレギュラシオンの実態は、①銀・小麦・銅・硝石と輸出品の主役は交代しながらも輸出依存経済が続き、海外の景気変動に影響されやすいなど外向的蓄積体制の脆弱さを持っていた、②中間層が少なく、地主オリガルキアなどが力を持ち、しかも支配層は産業化を目指す資本家としてのエトスを持たず、外貨を輸入奢侈品に浪費した、③国家が一貫した工業化政策をとらなかった、④太平洋戦争(日米戦ではなく、チリvs.ペルー・ボリビアの戦争)で獲得し、1880年代以降の輸出の主役となった硝石産業の繁栄の時代は外資に支配されていた、などになるようです。

約一世紀にわたる経済史の分析ですので、500ページ余の本書でも、多少の議論の荒さはやむを得ないのかなと思います。でも、この構図ってそんなに説得的なのでしょうか。例えば、「当時のチリ経済が、今日の開発途上国経済のような深刻な資本不足に悩む国ではなかったという点であろう。むしろ逆に、銀行の貸し出し余力の点からみても、硝石輸出から生じた財政黒字という点からみても、当時のチリには硝石の長期的開発に必要な資本は十分に存在していたといってよい。しかし、問題は、このような資本を借り入れリスク・テイキングな投資を行うだけの野心的な起業者がいなくなったことなのである」と著者は書いています。戦間期の日本が貿易赤字と新たな外債起債に苦心していたことを考えると、だいぶ有利ですよね。

著者は資本家としてのエトスや野心的な起業者の欠如も衰退のレギュラシオンとして論じていますが、これはさらなる分析が可能だと思うのです。まず、日本とチリとでは人口にかなりの差があります。本書では、日本の1880年人口が3665万人、チリの1885年人口が249万人とされています。著者はチリで繊維や造船のような基礎的な産業が育たなかったことや、創業された製鋼業が発展しなかったことなどを問題視していますが、人口の差からくる市場規模を考えると当然なのではないでしょうか。特に日本の場合には、川勝平太氏の主張するように、アジアの太糸圏の中で工業産品としての綿製品を輸出できる好条件があったから綿工業が輸入代替工業化だけにならずに済んだわけですし、また鉄鋼業にしても日本の軍事費の支出が高率であったこととは切り離せないでしょう(チリも太平洋戦争に勝利したのですから南米の国の中では軍事費が多かったのでしょうが)。また、日本の場合にはアヘン戦争の衝撃を受けての開国・新政権樹立という歴史があったので、独立戦争に勝利して一安心というチリとは、政治家・地主・資本家の対外的な警戒心の程度が違っていて、貿易の外商支配・産業鉱業の外資支配を嫌ったのは当然だったでしょう。このての本はどうしても日本のことを考えながら読んでしまうので、日本の方が特殊な条件を備えすぎていたのかなとも感じてしまいます。

この当時のチリ程度の人口規模の国で、産業化に成功して先進国に伍してゆくことがヨーロッパの国以外に可能だったのでしょうか。また、この当時、工業化・GDPの成長といったことが政治の主たる目標として、多くの国で一般的に求められていたものなのでしょうか。本書を読んで、この辺りが気になってしまいました。もし、19世紀チリの政治・経済的動向が一般的なもので、それにも関わらず「衰退」の途を歩まざるを得なかったというのなら、ふつうの国がふつうにしていて衰退してしまうということですから、従属論・システム論を見直す必要があるのだろうと思うのです。

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