2008年10月25日土曜日

戦後復興期の企業行動


武田晴人編 有斐閣
2008年8月発行 本体3500円

敗戦後の物資不足・統制の時期から高度成長にまでつながる戦後復興期の産業・企業の歴史を扱った本です。製粉業・硫安産業・綿工業・セメント産業・造船業・鉄鋼業が取り上げられています。個々の史実は別として、興味深く感じたこと、気づいたことをいくつか。

まず、戦後の日本造船業の競争力の源が、戦争中に身につけたブロック工法などの船体建造の進歩によるものではないという指摘が目に付きました。この時期では、イギリスなどの先進国の造船業と比較して労働生産性がかなり低かったというのです。また、当時の貨物船のエンジンの主流となっていたディーゼル機関の製造に関しても日本は技術的に遅れていて、蒸気タービン機関の製造に関してはなんとか優位を確保できていたのだとか。このの状況下で、世界的に新造タンカーの大型化が起こります。タンカーの大型化に見合った出力の大きなディーゼル機関の製造は当時はできなかったので、大型タンカーの機関はタービンが使われます。日本は、このタービン搭載大型タンカーというニッチェをうまく物にして、その後の造船業の国際競争力の本にしたのだそうです。これは、新説っぽいので、本当なら面白いですね。

また、製粉業・硫安産業・綿工業は、敗戦後の復興期を極端な供給不足から始めた訳ですが、1950年代にはすでに過当競争が問題となるような状況を迎えることとなりました。敗戦後、比較的速やかに生産量が増えたのは、新たな参入業者があったためです。物がない時期だったはずなのに新規参入が多数あったのはどうしてか。

例えば製粉業では、家畜飼料用の製粉をおこなっていた高速度製粉の業者も人間の食べる小麦粉の製造に参入しました。高速度製粉ではふすまを分けることが出来ず、質が劣る製品しかできません。それでも、食料の不足から政府は配給用の小麦粉製造に参入することをみとめたわけです。今なら健康に良い食物繊維をたっぷり含んだ全粒粉とでも宣伝するところでしょうが。

硫安製造や綿工業でも、戦時中に転廃業させられた業者の設備が残っていたり、他の化学工業・他の繊維の製造業の業者などが参入したことにより、生産が回復したわけです。戦時中にも原料と労働力が確保できれば、消費財の生産がもっと多くなり得る余地はあったわけですね。

あと、この本のある章は、(おそらく筆者により)ネット上でPDF版が公開されていました。新刊本の中身をそのままネットで無料で公開するというのは、なにか反則のような感を持ちました。

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