2008年10月16日木曜日

遺された蔵書


岡村敬二著 阿吽社
1994年12月発行 税込み4680円

戦前、日本が満州・中国に設置した図書館の沿革・活動などについての論考をまとめた本です。植民地の図書館という存在については思い及んだことがなかったので、勉強になりました。

これらの中では、満鉄の図書館が最も早く設置されました。社業に資する目的だけでなく、一般の人の利用できました。大連と、後には奉天にも資料収集をも目的としたものが設置され、満鉄附属地の各都市には主に公衆の利用を目的とした図書館が設置されていました。他の分野にも見られることですが、植民地では日本本国にもみられない水準の技術の適応が試みられました。図書館の分野でも、蔵書目録・資料の検索機能などに外国生まれの斬新な手法が使われていたそうです。

満州事変後、奉天宮殿にあった四庫全書・文溯閣を保全する目的で満州国立奉天図書館が作られました。また、その他の奉天で接収した書物は張学良の屋敷の建物を利用した図書館に収められました。この奉天の四庫全書は、軍閥の戦争の時と満州事変の時の2度にわたって戦禍を被りそうになりましたが、関東軍の協力をとりつけた日本人によって守られのだそうです。軍閥の戦争はおいといて、満州事変の際に日本人が四庫全書を守ったのだと中国人に言っても、中国の人は喜ばないでしょうね。

日中戦争より前の時代、日本は北京と上海に近代科学図書館を設置しました。 これらは日本語の本を収蔵する図書館で、北京の近代科学図書館では日本語教育が盛んに行われました。また、これらはともに義和団事件の賠償金を設置・運営にあてたものだそうです。アメリカが義和団事件の賠償金で精華大学を北京に創設したことは有名ですが、日本がこういう施設をつくったことは知りませんでした。

日中戦争開始後には、上海・南京など各地で政府機関・大学・個人の蔵書家などから数十万冊の図書が接収されました。これら接収図書の整理には、上記の植民地図書館の館員が兵士とともにあたり、保護につとめたのだそうです。しかし、接収という行為はひらたくいうと盗みのことだと思うので、図書を戦禍から守ったと言っても、中国人からは盗っ人猛々しいと言われそう。

戦争という不幸な環境の中で、個々の図書館人はなし得る最善をつくそうとしたことは確かなようです。本書の著者も図書館員だとのことで、図書館員の善意・真心に対する暖かい姿勢が感じられる著作でした。

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