2008年7月20日日曜日

日本に古代はあったのか


井上章一著 角川選書426
2008年7月発行 税込み1680円

面白い本、おすすめです。どんな内容かというと、日本史の時代区分のうちの古代はなかったことにして、3世紀(卑弥呼の頃)を中世の始まりにしちゃおうという主張なのです。どうして、そんな説が出てくるのか。

中国史学者の宮崎市定は、ヨーロッパと中国史の比較から中国史の時代区分を行いました。ギリシアの都市国家の時代に対応するのが春秋時代。その後の強大な帝国を築いたローマに対応するのが秦漢帝国の時代。そしてローマ帝国にゲルマン人が侵入してくるように、漢の滅亡後には鮮卑・匈奴などの異民族が侵入して五胡十六国時代へつながります。 ヨーロッパの古代と中世の境目は476年の西ローマ帝国の滅亡の頃とされています。西ローマ帝国の滅亡が古代と中世の画期なら、中国史でも対応する東漢(後漢)の滅亡した220年頃が古代の終わりになるというのが、彼の説なのだそうです。そして、宮崎によれば中国の近世は宋に始まります。もちろん、隋唐までを古代とする説もあるのですが、宮崎説は説得的です。

東アジアのみならずユーラシアの大きな動き、当時ではこれが日本に関連する世界史でしょうから、この世界史の時代区分に日本史の時代区分を一致させようとすると、中国の中世の開始は日本でいえば卑弥呼の頃かそれより前くらいですから、日本史の中世も3世紀に始まることにしようとなります。飛鳥・大和の豪族や奈良平安時代の大寺社や貴族は大土地所有者でもあったのですから、その土地・荘園の管理者との間に封建的な関係があったのだろうと考えれば中世でもいいんじゃないかと。そして、3世紀より以前の日本は弥生時代になってしまいますが、弥生時代の日本に古代文明が存在したとは言い難いので、日本には古代はなかったとなるわけです。

日本には古代はなかったと書くと意外な感がありますが、ゲルマン人の歴史も同じなのだそうです。ライン川以東、ドナウ川以北の地域には古代的な文明は存在せず、ゲルマン人の歴史は中世から始まることになっているそうです。西ローマ帝国滅亡後に出現するゲルマン人の国はみんな中世のお話なのです。

また、ずっと時代は下がりますが、西ヨーロッパで農奴が解放され資本主義が形成されつつある時代に、東ヨーロッパでは再版農奴制、ラテンアメリカで奴隷労働がみられました。この時期の東ヨーロッパを中世、ラテンアメリカを古代と呼ぶことの滑稽さをかつてウォーラーステインの著作から学びましたが、日本史を中世から始めようというのも同じような感じがして素直に納得。

著者は、「今後も『日本古代史』は、きえさるまい」と書いていますが、いつの時代どの分野でも若い研究者は新しいことを打ち出さなければ名を揚げることはできませんから、古代がなくなることも夢ではないような気がします。

ただ、本書にも書いてない点があります。それなら3世紀以前の日本や5世紀以前のゲルマン人の時代はなんて呼んだらいいのか? 「歴史」以前の段階だから時代区分的呼称は不要といことか、先史時代とでも呼んでおけばいいのでしょうか。また古代って何?中世って何?という定義が本書には全く述べられていません。著書はマルクス主義は嫌いだとおっしゃるけれど、奴隷制の古代、封建制・農奴制の中世ってことでいいんですよね。

史学史の思いっきり自分流のまとめを提示してくれているのも、本書が非専門家の読者である私にとってありがたい点です。日本史で中世を鎌倉時代からとする考え方を著者は関東史観と呼んでいます。なんとなく、マルクス主義者が鎌倉時代を日本中世の始まりとしたのではと思っていたのですが、そうではなく、ソ連で教えられていた日本史では、大化の改新が農奴制・封建制度のきっかけになり、そこから中世とされていたのだとか。

実は、京都を中心とする古代的な封建制を健やかな武士が打ち破って中世が始まるという図式は、明治以降に日本で始まった考え方なのだそうです。そして、こういった関東史観は主に東大系の研究者を中心に受け継がれ、京大系の研究者は鎌倉幕府を画期とせずに中世を遡らす方向で研究を続けたことが述べられています。以前から、東大と京大の歴史解釈の違いについては読んだことがありますが、本書には特にはっきり書いてあって面白い。

例えば、「かつての露骨な関東史観は、さすがに影をひそめている。だが、今でも東の学会には、そのなごりがある。本郷和人のように、はっきりその色合いをうちだす研究者も、あらわれている」などと。だから本郷氏の書いた武士から王へを読んで、すごく違和感を感じたんですね、私は。東京生まれで東京育ちですが、黒田俊男の「日本中世の国家と宗教」などの方が私にはしっくりきます。

また、本書には保立道久著「黄金国家」(青木書店、2004年)についても言及があります。この本は、奈良から平安時代にかけての東アジアと日本の関係史をまとめたものですが、「はじめに -- 世界史の時期区分について」が17ページもあって、世界史上の中世と日本史の古代とのずれを論じているんです。そのせいもあってか、この黄金国家を読んだときに、変わった本だなという印象を持ちました。でも、「日本には古代はなかった」という発想をもとに読んでみると、腑に落ちるっていう感じ。保立氏は歴史の専門家だから本書の著者とは違ってかなり抑えめに書いていて、私にはその言うところが伝わっていなかったのでした。この本もしっかり読み直してみなければ。

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