2008年7月14日月曜日

ベルリン終戦日記


山本浩司訳 白水社
2008年5月発行 本体2600円

ある女性の記録というサブタイトルの付いている本書は、ベルリン在住の34歳の女性ジャーナリスト(匿名を希望していた)が1945年4月20日から6月15日までをつづった日記です。彼女は、戦前ヨーロッパ12カ国に旅行したことがあり、パリ・ロンドン・モスクワに住んだこともあり、フランス語やそしてこの敗戦前後から重要になるロシア語をつかうことができました。

この日記は、まず1954年にアメリカで出版され、ついでノルウェー・イタリア・デンマーク・フランス・フィンランド、そして日本でも1956年に抄訳が出されました。しかし、ドイツ語版は5年後にしかもスイスから出版されました。ドイツ国内で出版されなかったのは、当時のドイツが真実と向き合う覚悟を持てなかったテーマ、敗戦時のレイプの真実をも本書が扱っていたからです。ドイツ国内では出版後に非常な不評で迎えられたそうです。その後長らく絶版となっていましたが、生前の再出版を望まなかった著者が2001年に死亡し、再び出版されることになったものなのだそうです。

4月20日から日記の記述は始まります。前線がだんだんと近づいてくる中でも配給に並んだり、職業安定所に行ったり、略奪に参加したり、水道が出なくなったので井戸の手押しポンプに水を汲みに行ったり、また夜はアパートの住民がみな地下壕で空襲に備えて過ごすのですがそこではうわさ話に興じたりなどで過ごしていました。

4月27日にロシア人が彼女の住む地区に、そして彼女のアパートにやってきました。著者は読んでいてとても気丈な女性だと感じられる人なのですが、さすがにその後の3日間は日記の記載がありません。しかし、5月1日から、過去の3日間のできごとを含めて「声は出さない。ただ下着がばりっと音を立てて破れたときにだけ、思わず歯がみの音が漏れる。無傷のものはもう残り少ないというのに」「強い狼を連れて来て、他の狼どもが私に近づけないようにするしかない。将校、階級は高いほどいい、司令官、将軍、手の届くものであれば何でもいい。何のために私は知恵と多少とも敵性言語の知識を身につけているんだ?」などといった具合に、また詳細な記述を始めるのでした。

レイプのようなつらい体験を、こんな風にしかもリアルタイムで表現できるとは、読んでいてとても驚きです。これは彼女の気丈さがさせることですが、ただそのためだけではなく、周囲のほとんどの女性が同じ時期にごく近くで同じようなつらい体験をしたということが、影響しているのでしょう。

というのも、女性達は自らの体験を女性同士でかなり積極的に話し合っているんです。例えば、「『イルゼ、あなた何回やられた?』『四回よ、あなたは?』『わかんないわ。輜重隊の兵隊に始まって少佐まで出世しなきゃいけなかったの』」とか、「多少とも親切なロシア人に笑いかけてみることはできないの?そうすれば、少しは食料を分けてもらえるんじゃない?」などと食べ物の手持ちがない女性に勧めたりなど。また、性病や妊娠の心配も話し合われています。

女性同士はとても連帯感を持てていたようです。それに対して男性は、妻や娘を守ることがほとんどの場合できず、さらには女性がロシア人から贈られた食料を食べる羽目になったりなど、とても情けない状況です。なので、1950年代にこの日記がドイツで出版されたときに酷評された、きっとそれはみんな男性達からの悪罵のようなものだったんでしょうが、事情は分かる気がします。

5月7日にはロシア人との最後の強制交遊(お役所はこう呼ぶことにしたそうです)。彼女の地区のロシア兵達が帰還し始めたので、5月8日には久しぶりのシーツの洗濯。ベルリンはこの時期でも水道が完備していたのでしょうから、井戸なんて各地区にたくさんあったわけではないのでしょう。なので、水道が止まってしまうと水を手に入れることが困難で、井戸の水くみは行列で2時間待ちでした。レイプに関連して、シャワーで汚れを思いのまま洗い流したい、寝具や衣服もきれいに洗いたいという希望が切実だっただろうと思うので、余計につらかったでしょうね。

5月11日には新しい配給切符が配られ、14日にはロシア軍がパン屋に小麦粉を配給し、パンが焼けるようになりました。15日に空襲で壊れた部屋の屋根の修繕をしてもらう。19日には、アパートの水道がつかえるようになり、27日には電気も使えるようになりました。敗戦の混乱の中でも、少しづつこんな風に都市機能が復旧していくものなのですね。

ロシア人は腕時計を奪っていくつも腕にはめたり、また寝物語でドイツの物の豊富さに驚いたことを語ったりなどなど、野蛮人だという風に描かれています。負けた側だけど、心の中で精一杯見下しているのです。こういうロシア人に対する感情は戦前からあったようです。中国人は整列して待てないとか、中国のトイレは汚いとか、ゴミを平気で捨てる人たちだとか、現在の日本人の中国人に対するそういった感じ方に、ドイツ人のロシア人に対する感じ方は似ているのかなと感じました。

2ヶ月弱の日記が300ページもの本になっています。文章を書くことについては素人ではなく、元々ジャーナリストだった人の日記ですから、読み応え満点です。重いエピソードが淡々と書かれているので、かえって読んでいるこちらがつらくなってしまうところもありますが、戦時のレイプに関する関心がある人にも、文明国の敗戦にともなう混乱に興味がある人にも、とってもお勧めの本。傑作ですね。

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