2008年6月10日火曜日

秋葉原無差別殺傷事件

今日の午前中は訪問診療(定期的な往診)でした。往診で伺ったある患者さんから、彼女の親類の方一名が先日の秋葉原の通り魔殺人の被害者となりお亡くなりになったと聞かされました。民放のワイドショーだけでなく、NHKニュースなんかもいろいろな出来事を極めて俗っぽい取り上げ方しかしないので、ここ数年ほとんどTVは見なくなっています。でも、患者さんのお話を想い出し、少しNHKニュースを見てみました。

大阪の池田小で多数の児童が殺傷される事件が7年前に起きたのも、同じ6月8日だったそうです。しかし、池田小事件の犯人と、今回の事件で逮捕された人とは全く違う印象です。今回の彼は、 高校卒業後に専門学校に行ったり、派遣会社に登録して数社で働いたり、数日前まで普通に仕事をしていたりなど、現在の日本では他にもいくらでもいそうな経歴の人です。また、殺人を決意するかどうかは別として、彼の経歴は、彼が社会というか自分以外の他者に対して不満を抱くことがあってもおかしくないと思わせるに足るもののように、私には感じられました。

大きな物語の生きていた時代ならば、こういった自分以外の他者・社会に対する不満はもっと別の形で表現されることもあっただろうと思います。適切な例かどうか自信はありませんが、昭和戦前期の日本で言えば血盟団事件などのテロの実行犯がそんな感じでしょうか。インティファーダにおいて自爆テロを実行する人の中にもこういう人が含まれているんではないかな。

社会に対する不満を適切に拾い上げてくれる組織がないから、こんな通り魔事件につながってしまうのかなとも感じます。失われた世代をはじめ、現代の日本においては、この種の不満を持つ人は少なからず存在しているでしょう。じゃ、また通り魔事件の起こることを心配しなければならないのでしょうか。その心配も少しはあるでしょうが、もっと別に大きな不安が。

そういった不満をもつ層をうまく掬い上げる手法を見いだした人または組織が出現したらという不安です。そんな人または組織が出現したら、比較的容易にテロを起こすことが出来るだろうし、その対象如何によってはテロに対する同情・実行犯に対する助命嘆願が多数寄せられることもあるんだろうなとも感じてしまいます。

0 件のコメント: