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2008年4月29日火曜日

ドックのアニメーション

今日はお休みの日で近くのビックカメラにたまたま寄ってみたんですが、iMac新発売のポップが出てました。見た目はそんなに変化ないようなので、どこが変わったのかなと見てみると、CPUがスピードアップしてるんですね。3.06GHzと、うちのMacBook Proよりだいぶ速くなってました。



ところで、お店でMacをいじると、どこのお店のMacでもドックにマウスカーソルを合わせた時に、カーソルの載ったアイコンが大きくなります。うちのMacBook Proはそうならないのでどうしてかなと思っていたのですが、ドックの設定で、拡大のところにチェックするとこのエフェクトが有効になるんですね。今日、はじめて気付きました。

皆さんはこのエフェクトをオンにしてますか?ジニーエフェクトはオンにしていますが、個人的にはこの拡大するエフェクトはどちらかと言うとうっとうしくて、あんまり便利な感じがしません。お店でデモする時用に用意されたエフェクトみたいな気もします。

2008年4月28日月曜日

日本型資本主義


宮本又郎他著 有斐閣
本体2200円 2003年12月発行

ベタなタイトルの本ですが、7人の学者の共同研究会のまとめなのだそうです。共著者の中に宮本又郎・杉原薫など経済史関係の人名があったので買ってみました。ハードカバーの本ですが、300ページ弱なので新書でもっと安く出せば、読む人増えそうなのにと思ってしまいました。

服部民夫という人の「組立型工業化」論が面白く感じられました。東アジア諸国は、生産に必要な設備機械部品を輸入して労働集約的な組立型産業から始めて、徐々に産業を高度化する工業化をしてきました。日本の場合には工業の発展に長い時間をかけることができたので、技術・技能蓄積的発展を遂げられましたが、台湾・韓国・中国と後になるほど、技術蓄積のための時間がなかったので、技術・技能節約的発展になってしまいました。なので、後発国が組立工業を高度化するに際しては日本から資本財・中間財を輸入し続けることになり、棲み分けが実現しているというのです。しかし、中小企業の廃業などの問題もあり今後は予断を許さないという結論です。

あと、会社法やコーポレート・ガバナンスに関する論考も勉強になりました。会社って当然のごとく株主のもので、会社に関する法制度がアメリカにならって変えられてゆくのは望ましいことなのかと、何となく感じていました。しかし、会社自身の長期的な利益や社会にとっても、もっと日本の社会にあったやり方を研究する余地があるとのことです。特に、グローバル化の時代だからこそ日本の社会に合ったコーポレート・ガバナンスにしないと国際競争に勝てないという指摘は新鮮でした。

2008年4月26日土曜日

チベットと琉球

今日の長野の聖火リレーではチベットの旗が沿道に目立ちました。チベットの歴史を想えば、現状の中華人民共和国政府のやり方を擁護するわけにはいきません。日本にもフリーチベットを訴える人が少なくないのは喜ばしいことだと思います。ただし、多少気になる点がないわけではありません。日本で似たような状況が起こった時に、現在フリーチベットを訴えている人たちがどんな反応をするのか危惧されるからです。

日本国内で現に独立を指向している人がいるのは沖縄です。琉球王国、薩摩の支配、琉球処分、沖縄県での琉球語の禁止など二等国民としての処遇、沖縄戦、米軍の軍政、沖縄を切り捨てての講和条約締結等々、沖縄には日本からの独立を求めてもおかしくない歴史があると私は思います。特に、復帰後も続く在沖米軍基地の問題に対して、沖縄県民以外の日本人はちっとも関心がないのですから。

なので、独立を求める人の数が沖縄県で多数になったら、自決権を尊重して平和理に独立をみとめるべきだと私は思います。琉球共和国独立ともなれば経済的には現在よりきびしくなるでしょうから、そこは日本の側が大人の対応で、琉球共和国に有利な自由貿易協定を結んだりODAを供与すればいいだろうと思います。日本にとっても、琉球独立となれば中国と直接国境を接しなくて済むことになるので、メリットがないわけではないと思うのです。

しかし、今日フリーチベットを訴えていた人でも、単に中国が嫌いだからチベットの肩を持っただけという人は、おそらく沖縄独立に反対すると思うのですよね。独立に反対すること自体は問題ないのですが、自決権などどこ吹く風で、独立を求める人の数が増えるほど独立を主張する人の言論の自由が保証されなくなることすら危惧されます。

そう心配しなくたって、日本には沖縄に続いて独立を指向する地域なんてないでしょうに。北海道にはアイヌの人は少なく、明治以降に南から移住した人の子孫が大部分です。また、鎌倉時代ならいざ知らず、東国西国に分かれるとも思えませんし。

しかし、中国の場合にはチベットだけでなく、台湾・香港に加えて、多数の総数民族が住んでいます。なので、中国政府がチベットに独立または高度な自治を与える訳にはいかないと考え、ふつうの中国人がチベットの事件に反発するのも、彼らなりには当然な反応なのでしょう。少なくとも、沖縄独立に反対する日本人の心情よりは、チベット問題で反発する中国人の方に同情の余地はあると感じます。

2008年4月24日木曜日

The Great Divergenceの感想 続き

The Great Divergenceでは、18世紀までヨーロッパ・中国・日本の中核地域の経済発展の程度に大きな差がなかったことが繰り返し述べられています。そんな本書を読みながら、脳裏に浮かんでしまう本がE.L.ジョーンズのヨーロッパの奇跡(名古屋大学出版会、2000年)と経済成長の世界史(名古屋大学出版会、2007年)、そしてアンガス・マディソンの世界経済の成長史(東洋経済新報社、2000年)と経済統計で見る世界経済2000年史(柏書房、2004年)です。

E.L.ジョーンズは、「ヨーロッパの奇跡」というタイトルからも分かるように、ヨーロッパのみが享受できた環境、中央アジアからの侵入を免れていたこと、政治制度、諸国家併存体制などのおかげで、ヨーロッパは持続可能な成長に成功したと述べています。「経済成長の世界史」の方では、ユーラシアのもう片方の端っこに位置し、やはり中央アジアからの侵入を免れた日本の事例も詳しく述べてくれていますが、ヨーロッパは特別という感は否めません。

アンガス・マディソンは「経済統計で見る世界経済2000年史」の中でで、1000年から1950年までを扱う第2章に、『「西洋」の発展が世界の他の諸地域に与えた影響』というタイトルをつけています。OECDでまとめた本だということですが、ちょっとびっくりするような名前の章です。

またアンガス・マディソンは、ヨーロッパは1000年頃から成長を始め、「西ヨーロッパは14世紀に、1人当たりの経済力(実質GDP)で中国(アジア経済のリーダー国)を追い越した。その後には、中国と残りのアジア諸国の大部分は、20世紀後半に至るまでは、1人当たりの経済力の面では、多かれ少なかれ停滞的な状態を続けた」
「日本はアジアの標準的な姿に対して例外になるものであった。17世紀から18世紀をへて19世紀の前半にいたるまでのあいだに、日本は1人当たり実質所得で中国に追いつき、追い越した」とも述べています。
この記述を裏付けるように、1700年の1人当たり実質GDPは、イギリス1250、西ヨーロッパ平均1024、中国600、日本570と推算されています。

The Great Divergenceでは消費水準について、砂糖の消費量、平均余命、摂取カロリーなどを指標にして、18世紀までは西ヨーロッパ・中国・日本が同程度であったことが主張されています。アンガス・マディソンの主張するヨーロッパの1人当たりGDPが中国や日本のGDPより大きかったことと、どちらが正しいのでしょうか。

私の経験ですが、スペインに旅行した時に、ある企業の研修施設でレクチャーを受けました。その建物はゴシック様式の石造りの重厚なものだったのですが、13世紀に建てられた領主の屋敷だったそうです。日本だったら鎌倉時代の建物ですから、文化財に指定されていておかしくはなく、ふつうの人が日常的に利用するなんて考えられなさそう。まあ、日本ではああいう石造の建築物は地震で倒壊してしまうでしょうから、建物の寿命が短いのはやむを得ないことです。法隆寺など古くからの木造建築物は建て替えをくり返しているので、石造の建物と同列には論じられませんし。

ジョーンズはヨーロッパでは建築・建造物に被害を与える地震や洪水などの天災が少なかったことを指摘しています。上記の例を考えても、少なくとも建物などの固定資産については正しいのではと思います。ひいてはこの天災の少なさのおかげで、ヨーロッパの固定資産のストックは日本より多くなっていったことでしょう。また、 産業革命のずっと前から、水車・風車・製材機械・港のクレーンなど、木鉄混合の大きな機械が広く使われていた点もヨーロッパの特徴だと思います。なので、国富という点では日本よりヨーロッパの方が上だったように思えます。

日本人よりも、西ヨーロッパの人の方が体格が大きいのは昔からのことですよね(南ヨーロッパの人は同じくらいの体格かな)。また、日本よりも西ヨーロッパの方が総じて寒い気候です。なので、日本人よりも西ヨーロッパの人の方がたくさん食べていたし、たくさん着ていたし、寒さを防げる家に住んでいたのではないのでしょうか。もしヨーロッパ人の方がたくさん食べてたくさん着ていたとすれば、同じ生活水準を実現するには1人当たりGDPが日本人よりも西ヨーロッパの方が高くないといけないはず。それとも、産業革命以前でも日本人の労働強度の方が高くて、体重比よりもたくさん食べていたんでんでしょうか?

まあ、こういった点をまとめると、産業革命以前のいずれかの時期にヨーロッパのGDPが中国や日本の1人当たりGDPを上回っていたというマディソンの主張の方が妥当なのではと感じます。もちろん、ヨーロッパが産業革命に成功したのはGDPで上回っていたからではなく、新大陸を利用できたからという点ではThe Great Divergenceの意見の方に賛成です。産業革命前のGDP・生活水準に差があっったとしても、産業革命への新大陸の重要性・貢献度が低くなるわけではないですから。


The Great Divergenceの感想

2008年4月23日水曜日

The Great Divergence



The Great Divergence
Kenneth Pomeranz著
Princeton University Press
2816円で入手 2000年発行



以前から他の本で取り上げられていて、面白そうだと思っていた本です。先日読んだ 海域アジア史入門 にも紹介されていたのですが、しばらくは日本語に訳されそうもないとのことなので、英語版を買ってしまいました。

The great divergence「大きな相違」というタイトルは、18世紀までの経済発展の程度に違いがなかった西ヨーロッパと中国・日本なのに、その後に西ヨーロッパだけが産業革命に成功するという相違が生じたのはなぜかという点を論じた本だからつけられているもののようです。本書の主張の要点はまとめると、以下のようになるでしょうか。

①ユーラシアの先進地域として、ヨーロッパ・中国・日本が挙げられる
②ヨーロッパ・中国・日本のそれぞれは一つの固まりとして扱うには内部の違いが多きいので、ヨーロッパにおける西ヨーロッパ(もしくはイギリス)、中国における長江デルタ、日本における畿内・関東を、比較すべき中核地域とする
③西ヨーロッパ・中国・日本の中核地域の生活水準は18世紀までは同程度だった
④西ヨーロッパ・中国・日本の経済は18世紀まで(所有権・自由な市場・発展した手工業・商品作物生産などの点で)同程度に発展していた
⑤西ヨーロッパ・中国・日本の中核地域はどれも18世紀には、食料・繊維原料・燃料・建築用材という土地集約的な資源の入手の点でエコロジカルな限界に到達していた
⑥西ヨーロッパに対する東ヨーロッパ、中国における長江中上流域、日本の畿内・関東以外の地方は、食料・繊維原料・木材・建築用材を供給することによって中核地域のエコロジカルな限界を補完する周辺地域としての役割を果たしていた
⑦東ヨーロッパは封建的な生産構造を残していたことが原因で、また中国・日本の周辺地域は人口増加とともに手工業の発展を指向したことが原因で、中核への資源の持続的な輸出増加を行うことが出来ず、さらに中核地域の製品の市場としても限界を示した。
⑧上記のような周辺地域の問題から、中核地域のエコロジカルな限界は完全には解決できず、中国・日本と西ヨーロッパの一部(デンマーク)では勤勉革命indsutrious revolutionにより、一人当たりの生活水準を低下させない途を選んだ(選ばざるを得なかった)、そして袋小路に入り込んだ
⑨イギリスを代表とした西ヨーロッパは、エコロジカルな限界に直面していた木材に代わって燃料となりうる石炭が利用しやすい地域に埋蔵されていた(中国の主な炭鉱は、長江デルタから遠い中国北西部)こと、新大陸を土地集約的な資源の産地・商品の市場として利用できたことから、産業革命industrial revolutionに成功した
⑩イギリスを代表とした西ヨーロッパが産業革命に成功し、中国・日本がその道をたどれなかったのは、イギリスを代表とした西ヨーロッパの技術・経済制度・政治などが優れていたからではない
⑪新大陸の銀の役割について、ヨーロッパにとってはアジアの産品と交換するための商品として利用され、ひいては奴隷貿易・銀の再生産を可能にしたが、中国にとっても貨幣制度の変革の時期に当たり国内で通貨として使用するために必要だったので3世紀にわたって大量に銀を輸入し続けた

総合してみると、つじつまはあっているなという読後感です。石炭を利用できたことの利点を強調している点は少し新鮮でした。新大陸との貿易がヨーロッパ内の貿易に比較して金額的には少ないからなどといった理由で新大陸の貢献を重要視しない論者もいますが、私は世界システム論好きなので、本書の主張の方に賛成です。また、本書の中にはブローデルや世界システム論者と著者の持論との違いが強調されている点もあるのですが、基本的には世界システム論に親和性のある筋立てのお話だと思います。

18世紀まではヨーロッパと中国と日本は別のシステム(中国と日本の間にも穀物や日常の繊維製品の貿易はなかったから、中国と日本も別々のシステムに所属していたと考えていいですよね)に所属していたわけで、それぞれの地域の中にそれぞの中核地域があることは当然のことで、その中核地域の経済が同程度にまで発展していたこともあってもおかしくないことです。

著者は、主に西ヨーロッパ・イギリスと中国の事例の比較から自分の主張を論証しています。日本の事例は中国の事例に比べて取り上げられている数がとても少ない。これは別に日本が重要でないからこうなっているというわけではなくいように感じました。

中国経済史に関しては英語で新しい本がたくさん出版されているようで、そこからたくさん事例が紹介されています。日本に関しては、主にHanley, Yamamuraの著書が参照されています。あの本は有名ですが、1977年出版とかなり古い。その後、日本経済史に関する英語で書かれた良い本があまりないということなんでしょうかね。

また、勤勉革命を成し遂げた日本の姿は「江戸システム」などという名前で一般の人にも知られるようになり、平和でエコロジカルな世の中だったということで賞賛されてもいます。ただ、よくよく考えてみると袋小路に入り込んでしまったという本書の評価の方が妥当な気もします。開港以後の日本の進路を見れば、少なくとも「江戸システム」の下で暮らしていた人たちは打開策があれば抜け出したいと思っていたのは明らかだと思うので、現代の私たちがあまりに自画自賛するのは行き過ぎですね。


The Great Divergenceの感想 続き

2008年4月21日月曜日

今朝のアップデートは

一週間に一度、月曜日にソフトウエアアップデートする設定になっています。特に設定したつもりはないのですが、いつからか自然とこうなっています。今朝も再起動を求められ、一週間ぶりの再起動をしました。

何が変わったのかなと思って、システム環境設定>ソフトウエアアップデート>インストールされたアップデートをチェックしてみると、一週間前のことについては記録があるのに、今朝の再起動が何のためだったのか記録がありません。コンソールでログファイルを開いても、同様です。何も変わったことはないけど、ただ再起動させたいだけだったんでしょうか?



ふだんは、タイガーの時のデフォルトの壁紙であるAqua Blueをつかっています。レパードのデフォのAuroraは刺激的すぎて眼に優しくない感じがするからです。再起動のボタンを押してからスクリーンをぼーっとながめていたところ、シャットダウン直前には壁紙がAuroraに変化して、そして再起動されるのでした。知らなかった。



 あと、今日はブロガーに画像をアップできなくなっています。バグ?

2008年4月19日土曜日

スギ花粉症の季節の終わり

一昨日から昨日にかけては、冷たい雨で風も強く、春の嵐という感じでした。
天気予報通りになったわけですが、雨になるという予報を見て、一昨夜から抗アレルギー剤の服用を中止してみました。

職場まで直線で3キロメートルほどありますが、雨が降っていなければ片道40分ほどかけて歩いて通っています。 今日は雨上がりで、昨日より気温もかなり高くなっていましたが、往復ともクスリなしの状態で歩きました。

風は今日もそれなりに強かったので、涙は少し出て眼は痒くなくもありませんでしたが、鼻汁の方はほとんど気にならないくらいでした。私にとっては、今年のスギ花粉症の季節は終わりになったようです。

2008年4月17日木曜日

ナガミヒナゲシ


子供の頃には見かけたことがなかった花です。ニンジンのような独特な色の花ですから、見落とすことはなかったと思うので、昔は存在してなかったのでしょう。こういう色の花って、他にはノウゼンカズラくらいしか思い浮かびません。

歩道の植え込みに咲いていることが多いのですが、ここ10年くらいで数がだんだん増えてきているようにも感じます。昔はタンポポをよく見かけましたが、原っぱがなくなったせいか、今ではタンポポよりもこのナガミヒナゲシの数の方が多いような。

切れ込みがあり独特の形をした葉っぱが冬のうちから伸びていて、春先になると咲いて、夏には枯れてしまうことから、地中海性気候の土地からやって来た植物なのでしょう。大きいものでは直径5cmくらいの花もありますから、独特な色ともあいまって、南欧あたりから鑑賞目的で導入されたものが、逃げ出して広まったのかも知れません。


で、ナガミヒナゲシを見ていて不思議に思うのは、つぼみが下を向いている点です。つぼみが下向きに付いてる花はシクラメンなど他にもたくさんありますが、ふつうはそのまま下向きに咲くんだと思うんですよね。

でも、この花は上を向いて咲きます。また、花のシュートはおそらく上向きに伸び始めるんだろうと思うのです。すると、その中間のつぼみの時期だけ下向きになるのってどういう意味があるのかな。

2008年4月16日水曜日

海域アジア史研究入門


桃木至朗編 岩波書店 
本体2800円 2008年3月発行

単なる、アジア史研究入門というタイトルの本は、編集・出版しにくいのではと想像します。西アジア・南アジアの国と東アジアの国の歴史をひとまとめにして扱う必然性が感じれらないと思うからです。

東アジア史研究入門というタイトルの本なら実在してもおかしくなさそうです。でも、中国・朝鮮半島・日本の政治・経済(農業)・文化史に中国北方の歴史を加えて、とてもオーソドックス過ぎるものになりそう。

ところが、海域アジア史と言われると、海域アジアという言葉自体にはなじみがなくとも、西アジア・南アジア・東南アジア・東アジアの交易・外交や宗教・文化のつながりなどが連想され、面白そうに感じられますよね。

もともと自分の中には、なぜ日本は日中戦争・太平洋戦争を始める羽目になったのかということに端を発して、なぜ東アジアの中で日本だけが帝国主義国になったのかにつながる問題意識がありました。それに加えて、ブローデルやウォーラーステインを読むことによって経済史に対する興味が強まったという経緯があります。海のアジア・海域アジアに関する本もそれなりに読んでいたので、本屋さんで平積みにしてあったこの本を見て、即買ってしまいました。

内容は、通時的パースペクティブとして9世紀から19世紀近代までを扱う17の章と、 各論として、貿易陶磁や漂流, 漂流記, 海難などを扱う8つの章に分かれています。、通時的パースペクティブの各章は、入門と本書のタイトルに謳われているように、教科書的に記述されています。

ただ、単なる教科書ではなく、記述ごとにきちんとリファレンスがつけられています。というか、実際には入門者が読むべき文献の主張をつらねて、教科書のような記述に編み上げられている感じです。

リファレンスの量は膨大で、和・中・韓文文献目録として39ページ、欧文文献目録として11ページもありました。この本の価値の一つはこのリファレンスだと思います。いくつも読みたい本が挙げられていたので、買って読もうと思います。

また、リファレンスに挙げられている参照文献同士の関係についてまで説明されていることも本書の特徴です。リファレンスに挙げられている本の中には私の読んだことのある本もかなりたくさんあります。ただ、私は専門家ではないし、系統的な読み方ではなく乱読してるだけだったので、それぞれの本を興味深く読んだのは確かでも、学説史的なつながりなどまでをきちんと理解できていたわけではありませんでした。その点、この本を読んで、過去の自分のこの分野の読書がかなり整理できた感じがしました。

自分の読後感からすると、この本はこの分野に興味のある非専門家にも充分に役立つ啓蒙書でした。しかし、本書は海域アジア史を志す学生・院生や「もともと海域史など考えたこともなく、どう扱ってよいか分からないのに、立場上これを研究または教育しなければならない研究者・教員」を主な対象として書かれたとのことです。でも、学部3年生には難しすぎるような気も。

それと、研究者や教員も対象になってているというのも興味深い点です。「もともと海域史など考えたこともなく、どう扱ってよいか分からないのに、立場上これを教育しなければならない教員」というのは何となく分かるような気がします。お気の毒様。

でも、「もともと海域史など考えたこともなく、どう扱ってよいか分からないのに、立場上これを研究しなければならない研究者」って存在するんでしょうか?興味があって面白いから研究するというのではなく、立場上という理由で研究するのって何だかなあ。こういうケースって本当にあるんでしょうかね。

2008年4月14日月曜日

MacBook Pro EFI ファームウエア・アップデート


今日もソフトウエアアップデートのお知らせがありました。ダウンロードしてみると、MacBook Pro EFI ファームウエア・アップデートというのが落ちてきました。これはふつうにインストールして再起動だけではだめだそうで、こんな注意書きのついたウインドウが表示されました。

指示通りにパワーボタンを長押ししながら再起動し、かなり大きなトーン音が鳴り終わってから、長押しを止めたのですが、アップデートに失敗してしまいました。3回ほど試行錯誤しましたが、どうやらトーン音がしている最中にパワーボタン押すのをやめないといけなかったようです。


ようやくうまくいくと、こんなプログレスバーが表示されました。その後は自動的に起動され、アップデート成功のお知らせウインドウが表示されて一安心。こういうのは初めてなので、少しどぎまぎ。


「このアップデートには、MacBook Pro コンピュータの安定性を向上するための修正が含まれています」とのことですが、具体的にどんな変更があったんでしょうね。

2008年4月13日日曜日

生物がつくる<体外>構造

J・S・ターナー著 みすず書房 
本体3800円 2007年1月発行

ミズグモの巣、ケラの巣穴、シロアリの塚など生物のつくる体外構造物の果たす生理学的な役割について解説した本です。独特な視点からの解説でとても刺激的です。例えば、以下のミミズや水生昆虫の話など。

ミミズはもともと淡水に住むのに適した腎臓や体を持っているそうです。水の外の乾燥した場所で住むには皮膚からの水の喪失に対応しなければなりませんが、ミミズの対応はふつうの陸上の生物とは違っています。ふつうはエネルギーを使って水の喪失に抗しようとするでしょう。しかし、ミミズの場合にはエネルギーを使って土壌にトンネルを掘り土を団塊化することによって、周囲の土壌を水の喪失をもたらにくい性質に変えることによって対応しているのだそうです。

水生昆虫の中には水中で空気の泡を抱いているものがいます。昆虫は気門を通して空気呼吸する生物なので、水生昆虫も水中ではこの空気の泡を利用して呼吸しているのですが、単に泡の中にある酸素を利用するのみではないのだそうです。呼吸により酸素が利用されて泡の中の酸素分圧が低下すると、水に融けていた酸素が泡の中に移動します。つまり、水生昆虫は泡をエラのように利用している訳です。しかも、昆虫によっては泡を永続的に利用できる仕組み、つまり水上で泡を補充せずにずっと水中で暮らせる仕組みを持っているものもいます。

著者は本書でいろいろな生物の体外構造の例を挙げて解説していますが、最終章ではガイア仮説に対する賛意を表明しています。本書のそれまでの議論からは飛躍があるようにも感じますが、著者の中では生物は体外構造物をつくることにより従来の定義を超えた生理作用を行い環境を取り込んでいるということから、ガイア仮説に自然につながっているようです。

例えば、植物が光合成を行う際に酸素を放出しますが、これが利他的な行動なのかについて。「酸素を植物内部に保持するような自給自足ループは、従属栄養生物に酸素を循環させるループよりも生み出す力が実際に少ないこともある。実は植物の適応度は、その捕食者の適応度を高めることによって高めうるのだ」と述べています。進化生物学者がガイア仮説に対して、群淘汰という成り立ちがたい仕組みを想定して否定的な態度を取っているように著者には見えるようで、群淘汰を想定しなくてもいいのだということを言いたいようです。

エピローグでは、「分子生物学は新たな薬の開発や、疾病の治療や、作物生産の増強など、まだまだ前途は非常に有望だが、実質的に工業生物学の一分野へと姿を変えた。それは別に悪いわけではないのだが、しかし、DNAの構造の発見のように、私たちのものの考え方を根本的に変えるような発見はもはやそこからは出てこないだろう」と述べています。これには私も同意したいですね。

また、「私は、生物と環境の間のそもそも恣意的な境界を越えて、生物界と無生物界を統合する生物学をつくることこそが生物学の次の黄金時代への道だと思う」とも述べています。黄金時代への道かどうかは分かりませんが、面白い生物学の復活にはつながりそう。

本訳書には、延長された表現型の生理学というサブタイトルがつけられています。延長された表現型というとドーキンスの本を連想してしまいますが、あちらはThe EXtended Phenotype。この本のサブタイトルはThe Physiology o Animal-Built Structuresなので、すこしミスリーディングな訳かも。

2008年4月12日土曜日

暖かいTime Capsule

夜間は眠っているのでMacもPCもまったくつかっていません。でも、朝起きてTime Capsuleに触れてみると、ほんのり暖かい。隣に置いてあるNTTお貸し下げのADSLモデムも同じくらい暖かい。我が家には今ねこがいませんが、ねこがいたら、寒い季節はずっとこの上でネコ座りしているでしょうね。

Time Capsuleの方は電波を監視し続けてるから暖かいのでしょうが、ADSLモデムの方はつかってないのにどうして暖かくなるのかちょっと不思議。Time Capsuleもモデムもスリープのないパソコンみたいな感じなんでしょうか。

大きなファイルをダウンロードしたりなど、たくさんのやりとりを長いこと続けると、Time Capsuleはかなり熱を帯びます。でも無線ルータとしてのみ働いていて、HDDが回転していない時にはファンは回らないようで、無音です。これから夏にむかうので、真夏になってもHDDが回転しないとファンは回転しないがしないのかどうか、興味深いところです。




Time Capsule 到着
Time Capsule セットアップ完了
遠くまでカバーするTime Capsule
夏のTime Capsule

2008年4月10日木曜日

MacBook Proとラッシュアワー

ふだんは歩いて通勤の日が多いのですが、今朝は雨が降っていたので電車を利用することにしました。南武線の川崎行きは、朝の通勤ラッシュの時間帯でも真ん中の方の車両を選べば、他人と接触することなどない程度の混み方が普通です。ちなみに、南武線は6両編成なので3, 4号車がおすすめってことです。

ところが今朝は、西国立駅に川崎行きの電車が到着してみると、南武線としてはあり得ない混み方になっていました。他人の体を押し分けないと乗り込めないくらい。

こういうひどい混雑になる原因はただ一つ。中央線が止まっていたのでした。中央線が動かないと、立川から南武線で分倍河原へまわって、京王線に乗り換える人が多くなるので、混雑するのです。

自宅を出る時には、中央線が止まっているとは知らなかったので、ふつうにMacBook Proを持って出かけました。いつも、ショルダーバッグにMacBook Proを入れて運んでいます。でも、MacBook Proはかなり横幅があって、しかも横幅の割には薄いので、混雑した電車に乗ると割れてしまうんじゃないかと心配になり、今日はバッグごと抱いて乗り込みました。

世間ではノートパソコン用のバッグって、クッションのかなりしっかりしたものや、金属のアタッシュケースのようなものが売られていますよね。これまで、そんなにがっちりしたものが本当に必要なのかなとも思っていたのですが、毎日混雑した電車で通勤する人がノートパソコンを持ち運ぶには必要なんでしょうね。

2008年4月9日水曜日

藻類30億年の自然史


井上勲著 東海大学出版会 
税込み3990円 2007年11月発行

600ページ以上ある本です。2006年1月に第一版が出た本で、わずか二年弱で改訂版であるこの第2版が出版されていますから、実は予想外に売れた本なのかも知れません。

前半の200ページほどはいろいろな藻類に関するエピソードがつづられています。あとの3分の2ほどは藻類30億年の歴史と銘打った部分ですが、藻類30億年の進化史を期待するとがっかりします。実態としてはここ20年ほどの遺伝子研究による生物分類の変化などが藻類を中心に述べられている本です。

私が医学部の学生だった頃に読んだ本に「五つの王国」があります。共生説で有名なMargulisが共著者の一人となっている本ですが、彼女はこの本で、生物をモネラ・原生生物・菌・動物・植物界という5 kingdomsに分類し、5界のの各門について代表的な生物の写真を示して解説してくれていました。しかし時は流れ、動物は真菌といっしょにオピストコンタにまとめられ、現在では生物の分類は、細菌・古細菌・真核生物の3ドメイン分類が主流になっています。

また、植物には一次植物と二次植物のあることが判明したのもそう昔のことではありません。本書は藻類に関する本なので、二次共生や共生の様々な段階についてはしっかり記載があります。

ただ、藻類の自然史を期待して購入した私としては少し物足りない感がなくはありませんでした。でも、10年以上前までに高校・大学を卒業していて、その後は生物学の大きな変化に触れたことのない方にとっては、内容・ボリューム・お値段を含めて最適の啓蒙書の一つだろうと思われます。

2008年4月6日日曜日

日本中世の経済構造



桜井英治著 岩波書店 
本体8300円 1996年1月発行

貨幣の地域史のなかの「銭貨のダイナミズム」という論文が、よくまとまっていて分かりやすいものだったので、同じ著者のこの本を購入してみました。ケース入りの専門書なのでお値段はかなりのもの。でも私の買ったのは3刷なので、それなりに売れているようです。

11本の論文が収められているのですが、第一章の「中世職人の経営独占とその解体」が一番難解でした。大工識についての論文なのですが、識一般については何となく分かっているつもりでしたが、大工識についての知識がなく、しかも文章も生硬で読みにくく、一度読んだ後にもう一度ゆっくり読み直して漸く理解できた感じです。

大工識というのは、中世の寺社の建築・修理にあたった建築職人が、その寺社で仕事する権利を自分のものとして主張するなわばりのようなものです。寺社は建築職人を自由に選ぶことが出来ずに大工識をもった職人に任せるしかなく、大工識を持った職人はその縄張りで仕事する権利を売り買いできるという仕組みです。現代的には、やくざがみかじめ料を取り立てるなわばりみたいな感じでしょうか。

この第一章の原型は修論だったそうで、それを史学雑誌に掲載したものだそうです。専門家以外が読むことを想定して書かれてはいないはずなので、難しく感じたのも当たり前です。ただ、同じ内容を扱った「雇用の成立と無縁の原理」という論文が第二章にあり、こちらは私にも分かりやすく書かれています。第一章と二章の並び方が逆になっていれば、悩まずに済んだのにという感じでした。

第三章には、甲斐黒川金山の金山衆について論じられています。金山衆には親方子方からなる組があったこと、金山衆には金山の地元に住んでた人と離れた農村に住んでた人がいて、それぞれ直接採掘にあたるか運搬などにあたるかしていたことなどが述べられています。しかもこれらの結論が、史料に書かれている内容からのみ導き出されているわけではなく、史料がどの家に伝わったのか、どんな文書が残りやすかったかなど 史料の残存状況などのメタ情報から明らかにされている点がとてもシャープに感じられました。

第四章以降には、立庭、割符(さいふ、為替手形)、山賊・海賊など中世の経済行為・意識を扱った論考が並べられています。史料から得られる結論に説得性があり、良い読後感を持った論文集でした。高いけれど、現代に住む私たちの常識とは異なる中世の経済に関する新たな知見が得られ、買って損はしなかったと感じました。

2008年4月5日土曜日

ソメイヨシノの色

ソメイヨシノの見ごろは樹全体が白く見える頃だと私は思います。その後は時間が経つにつれ、ピンクがかって来るようになります。ピンクというか桜色はもう盛りを過ぎているしるしのような気がします。

ピンク色になってくるのは、なぜなんでしょう。花が開いて花びらの付け根のピンク色の部分が見えるようになってくるからか、それとも花びらが散り始めて花柄のピンクが目立つようになってくるからか。でも、地面に落ちた花びらを見るとピンク色っぽくもみえるので、花びらの色が開花後に濃くなるからのかもしれません。

今日は、ピンクのソメイヨシノの下で国立のさくらフェスティバルが行われていました。府中の桜祭りも今日と明日だったような。温暖化を反映させて、さくらの催しを前倒しして計画しておくのは無理なのでしょうか。でも、来シーズンのさくらの催しを3月に予定しようとしても、今年が4月だったから、同一年度に2回分の予算はとれないってなってしまうのでしょうか。

2008年4月3日木曜日

本の選び方

本は、可能ならばネット書店ではなくリアルの本屋さんで買うことにしています。買う前に手に取って中味を確かめることはリアルの本屋さんでしかできないので。行きつけの本屋さんの棚にどんな本があるかは結構覚えてしまうものですが、平置きの本の方には変化があるのでしょっちゅう通うことになります。

店頭で見つけた本を買う以外に、本選びの参考にしている情報源その一は書評です。書評目的で新聞・雑誌を手に取ることはありませんが、購読している新聞や雑誌の書評には目を通します。

新聞の書評は半分くらいが小説にあてられている気がします。しかし、昨日書いたエピソードのおかげで、残りの人生で読める本の数には限りがあることに気付いた時から、自分の中で小説を読む気が失せてしまいました。また、小説以外の書評でも読みたくなるような本の紹介はそれほど多くはありません。でも、いまの朝日新聞だと、山下和久さんの紹介している本は結構波長が合う感じだし、その他にもまま発見がありますね。

このブログを含め、ウエブ上で本を紹介しているサイトもたくさんあります。ただ、書評目的でウエブをさまようことまではしていません。気になることを検索して発見したサイトの中に、面白そうな本の紹介があればチェックするという感じです。

あと、注やリファレンスの記載されている本を読むことが多いので、そこで言及されている本を購入することもあります。面白い本のリファレンスにある本はやはり面白いことが多いような。ただこの方法だと、より古いものしかひっかからないのが欠点ですが。

口コミはあまり本選びには役に立たない感じです。というのも、周囲に同じような嗜好の本好きの人がいないので。ただ、口コミは全然知らない分野の本の発見には役立つと思います。

口コミに関連してですが、本をプレゼントされることがあります。あれって本当に当惑させられます。自分の気に入った本があったら、他人に紹介したくなる気持ちはとってもよく分かります、でも、それを贈っちゃうと言うのは一種の時間泥棒予備犯というか、とにかく私の理解を超えた行為なのです。読むべき本を子供に指導してあげるために贈るならいいとは思うのですが。

本って一人一人読みたいものが違います。また、人が一生のうちに読めることのできる本の数は決まっていて、私の場合だったらもう一生分の本のうちの三分の二は読み終えてしまったくらいだと思います。なので、仕事や試験などで必要に迫られて読む本は別にして、できれば好きな本だけを読みたいのです。

好みでないのに贈られた本だからということで読むのは、贈り主を時間泥棒の実行犯にしてしまうことになるので避けたいし、かといって積ん読になってしまったままずっと放っておくのもとっても気になるもの。贈られて読まれないままの本はかわいそうではあるので、その本のご供養のためにも私が死んだらお棺にでも入れてもらうのがいいのかな。

2008年4月2日水曜日

BANANA FISHの思い出

医学部の5年生の時に病院実習がありました。いろいろな診療科をローテートして実務を見学したり、患者さんの疾患や病歴・診察所見などをまとめてレポートしたりなどが主な内容だったと思います。

血液内科をローテートした時に急性リンパ性白血病の患者さんを担当してレポートすることになりました。五つくらい年上の女性でしたが、化学療法の影響で頭髪がうぶ毛だけになっていて、いつもキャップをかぶっていた方でした。レポートを課せられた医学生だったので、これまでの病気の経過、病気に対する受け止め方、症状や検査・治療に対する感想などなどを彼女に聞かせてもらいました。

彼女以外の患者さんも含めて、いろいろの科で多くの患者さんを煩わせましたが、大病で入院しているうえに、学生の相手までするのはなかなかに大変なことだったろうと思います。でも、大学病院に入院しているからか、みなさん丁寧に接してくれた方ばかりで、今思い出しても感謝です。

で、血液内科の患者さんですが、何度かお話を伺ううちには雑談も混じることもありました。彼女は入院が長くなり退屈なので何か面白いマンガでもというリクエストがあり、いくつか手持ちのマンガを持参して読んでもらいました。その中には吉田秋生の BANANA FISH もあったのです。

BANANA FISHは当時読んでいたマンガの中で一番面白いと感じていたもので、彼女も読んだ後に面白いと言ってくれました。でもそのあとに、予想外の感想が。「BANANA FISHが完結するまで生きていられるかな」と。

その頃のBANANA FISHは別冊少女コミックで絶賛連載中で、7か8巻くらいまで出ていたでしょうか。かなり長い作品なので、後半はだれた感がなくもないのですが、ストリートギャングの戦いが主だったこの頃までは本当に引き込まれちゃうような出来でした。

私は単行本化されてから買っていた(さすがに別コミを毎月買ったりはしませんでした)ので、年に2-3回の発行が待ち遠しかったことを覚えていますが、彼女にとっては数ヶ月先が定かではなかったのです。実際、翌年に彼女はお亡くなりになり、BANANA FISHの完結を見る機会はありませんでした。

完結していないコミックスを持ち込んだ私も馬鹿でしたが、それまでそういう発想が全くなかった訳で、教えられた感がとても強いエピソードでした。自分にあてはめてみると、コミックスの完結はさておいて、生きているうちにあと何冊の本を読めるかな、もう一生に読む本のうちの半分くらいは読んじゃったかなと思い始めるようになったのもこれがきっかけです。

医学部では、解剖実習をしたりなど死と関連した事象と出会うことが他にもあったはずですが、私にとって死を自分に引き寄せて考えさせてくれたのは彼女の言葉でした。