2008年1月27日日曜日

貨幣の地域史 中世から近世へ




鈴木公雄編  岩波書店  
本体6200円  2007年11月発行


中世から近世への貨幣史に関する研究会での議論をもとにした論考が集められた本です。その中でも、第一章の「東アジア貨幣史の中の中世後期日本」が本書の中で一番面白く読めました。

例えば、甕などに蓄えられた大量の銭貨が出土することがあり、従来は呪術的な意味で埋められたという説明がされることもありました。しかし、本章では「土の中に保蔵されることは常態」と言い切っています。「土の中に財貨を埋めることが非常事態だという推論には、頑丈な金庫や銀行預金、そして何よりも治安の良さを当然視した時代の認識が投影されているだけで、特段の根拠がなかったことに気付かされるはずである」、そう言われてみれば確かにその通りです。

宋銭と同じ銭面を持つ銭が明代になってから私鋳されて流通するわけですが、当時の人たちがこれを新鋳「古銭」と認識していたという指摘には目から鱗の感があります。宋銭は鋳造後何世紀もたっているので古びているはずなのに、ぴかぴかの宋銭が出現したら、銭面の文字は一緒でもおかしいと感じて撰銭したくなるのも頷けます。

そして、良貨は遠隔交易・蓄蔵と悪貨は日常の取引といった具合に役割分担、貨幣の階層化がみられるで、必ずしも悪貨が良貨を駆逐するとは言えない。

また、私たちの「常識となっている貨幣数量説は貨幣の中立性というかなり強い仮定のもとに立てられていると気付かねばならない」とのことで、貨幣供給の急激な減少が商品の出回りをそれ以上の速度でくじくことがあり得て、その際には物価の上昇がもたらされることになります。

さらに、①銭面の文字情報はその銭貨の実際の鋳造年代を示すとは限らない、②たとえ銭面の文字通りの時代に鋳造されたのだとしても、鋳造者はその王朝によるとは限らない、③立派な銭貨は官製で、みすぼらしいのは私鋳と決めつけるのは危険であるなども勉強になります。

日本と中国との関係では、日本銅が中国に運ばれて私鋳銭の原料となり、その銭が日本に輸入されるという事実があったそうです。また、中国からの銭貨の輸入の減少が、西日本での土地取引などの銭遣いの消失、東日本での永楽銭の基準銭化につながったと説いています。ただその永楽銭は東日本で私鋳されていた証拠も発見されてきているそうです。

第一章の著者の黒田明伸さんの本は、これまで中華帝国の構造と世界経済(名古屋大学出版会)と貨幣システムの世界史(岩波書店)を読んだことがありますが、この人の著作はどれもみな刺激的です。

第二〜四章では博多・京都・伊勢の状況が、史料や出土資料をもとに論じられています。地道なこういう研究があってこそ学問が進むのでしょうが、素人には興味がもちにくいところ。

第五章「統一政権の誕生と貨幣」では、中世の地域性を持った貨幣状況から近世三貨体制の成立を教科書のように示してくれています。

第六章「貨幣の地域性と近世的統合」では、徳川政権による金銀貨の制定と寛永通宝の発行の過程が説明されています。「三貨の普及は長期的な過程としては首肯できるが、近世初期においては、貨幣発行を幕府が独占し強制力を行使しえたと見なすことには無理がある」、「列島内部で進行した貨幣の統一と呼ばれる事象は、一方で秤量貨幣と中国宋銭を主体とした当時の東アジア通貨圏からの離脱を意味した」などが参考になる指摘でした。

第七章「無縁・呪縛・貨幣」は、他の章とはかなり毛色の違った論考です。残念ながら、この書物を手にした時の私は、この種のものを読みたいと思って買ったわけではないので、興味が持てませんでした。網野さん系の本を読みたくなった時にまたふりかって読んでみたいと思います。

終章の「銭貨のダイナミズム」では、以上の論考をくまとめてくれています。中世初期から一枚一文で流通していた銭が、私鋳銭や破損した銭の出現により精銭と悪銭に別れて銭流通の階層化・一枚価値の多層化がみられるようになります。そういった多層化をおしとどめる目的で撰銭令が出されますが、やがて織田信長の撰銭令により多層化がみとめられます。しかし中国からの銭貨輸入量の減少・銭不足から悪銭の価値上昇して精銭の空位化がみられ、最終的には寛永通宝で統一されるようになるというストーリーになるのでしょう。

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