2007年11月9日金曜日

東国と西国

「開国を契機として、先進的で、綿によって代表される西日本の農村工業の少なからぬ部分は挫折の途をたどり、それとは対照的に、後進地域であり、
生糸によって特徴付けられる東日本では農村工業化のいっそうの進展が見られた」

これは、昨日ふれたプロト工業化の時代の中の一節で、同書の立論からは枝葉末節にあたる記述ですが、つい妄想をふくらませてしまいます。

明治初年の産出高統計である府県物産表によれば、単位面積あたりの農産加工品産出高は、開港以来の生糸の輸出を反映して東日本と西日本の差があまり目立たなくなっています。しかし、単位面積あたりの穀物産出高は畿内をトップに西日本が東日本よりもかなり高くなっています。開港以前には、西日本の綿業も健在であったわけですから、穀物生産+農産加工の合計ではさらに東日本と西日本との差が大きかったはずです。この格差の解消は東北・北海道が米どころとなる第二次大戦後のことになるのだろうと思います。

畿内が先進地で東国は後進地域という印象が強いのですが、この西国と東国の農業生産性の格差は、弥生時代以来続いてきたものなのでしょう(米以外の農業生産や非農業生産を加味したり、一人あたりの生産高を考えれば大きな差はなかったりするのかな?)

でも、こうした格差が2000年近くも持続したのだとしたら、その原因はなぜなのでしょう。前近代の農業技術では、気候・風土の違いを克服できなかったからか、技術は大陸から・西から伝播するからなのか。また、東と西の語る日本史(網野善彦著 そしえて 1982年)や東日本と西日本(大野晋・宮本常一他著 日本エディタースクール出版部 1981年)などを読むと、西日本と、「鳥が鳴くあづまの国」と呼ばれた東日本が、その後別々の国になっていってもおかしくない感じがして興味深いのですが、こういった民俗・民族学的な違いも影響しているのでしょうか。

このへんの疑問を解消してくれるような、東国西国の比較経済史研究の出現を期待したいものです。

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