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2007年11月29日木曜日

寒くなり始め

今日は寒くなりました。風がそれほど強くならなかったのが幸いでしたが、
今年初めて、ハーフコートを着込んで仕事に出かけました。

東京の冬は晴れの日が多く、寒くても明るい空が見えるのがふつうです。でも、今日のように曇っていると、日差しがないので南向きの部屋の中でも寒く感じてしまいます。

国立・立川周辺では、まだインフルエンザ流行の兆しはありませんが、今日の寒さでふつうの風邪の人は増えそうですね。

2007年11月28日水曜日

Bose in-ear headphones


イヤフォンを買い換えたくなり、店頭で聞き比べてとっても際だっていたのが Bose in-ear headphones でした。中高音も響くし、しかもイヤフォンで聞いているとは思えないほどしっかりした低音が出ています。いくつもイヤフォンはあったのですが、こういう音のしているのは他には皆無。この低音のしっかりさは、やはりBOSEの音って感じです。好き嫌いはあると思うのですが、私は自宅のスピーカーにも使っていてBOSEの音を好きな方なので、買ってしまいました。

硬めのプラスチックの容器の包装がされているのですが、買ってきて開封しようとするとどこにも開きやすくなっているところがありません。しばらくいろいろ眺め、仕方がないのでカッターを持ち出して、箱を分解にかかりました。「パッケージを開封の際には、手などケガしないよう十分にご注意ください」と記載されてはいるのですが、この頑丈なパッケージには閉口です。この点だけはBOSEに改良してもらいたい。

自宅のiPodにつないでみましたが、低音がしっかりきこえるのと、全体に響きがある感じで音的には満足です。イヤーチップの根元がふくらんでいて少し空間がある独特な形なのですが、BOSE的な音の秘密はこのあたりにあるのでしょうか。また、耳の穴につっこむというよりも耳介の下の部分にののっけている感じなので、装着していもとくに耳に違和感を感じません。

iPodは主に通勤の時に使っているのですが、外に持ち出してみて大問題が発覚。イヤーチップが耳からすぐにはずれてしまうんですね。元々、iPod付属のイヤフォンの使用をやめた理由が耳から落ちちゃうっていうことだったんですが、そのことを忘れていました。シリコンラバー製のイヤーチップはS, M, Lと3種類付属していて、耳介と耳の穴の大きさに合わせて付け替えることができるのですが、交換してみても外れやすさには改善なしでした。


たぶん耳の形に個人差がかなりあって、イヤフォンを使いやすい人と外れやすい人がいるんだと思います。私の場合、 Bose in-ear headphonesは左の耳にはかなり良くフィットしているのですが、右の方はコードの動きなどですぐに外れてしまいました。風が少し強い日なら、左も多分はずれそう。はずれなくても、イヤーチップの先端が耳の穴からずれると音量・音質ともに大幅に悪化しますから、外での使用は無理と判断しました。

音的には好きな方の製品なので残念。自宅ではiPodを使わないので出番はないし、自分としては外出先の室内や、旅行で特急や飛行機などまとまった時間を座ってiPod聞くときにつかえるくらいでしょうか。でもBOSEの音が好きで、耳にぴったりフィットする人にはおすすめです。


BANG & OLUFSEN Earphonesの印象

2007年11月26日月曜日

Mac OS X Leopard

インストールに時間がかかるだけでなく、インストール前のDVDのチェックにとても時間がかかりました。でも、ATOKとFileMakerのアップデートがあったのは確認していたので、繁用するアプリケーションを使う際にソフト的な困ったことは、今のところ起きていません。

しかし、職場にあるキャノンのLBP300での印刷が出来なくなってしまいました。 アップルのサイトのDiscussionsを見ると 対応は来年になりそうとの情報です。キャノンはやる気ないようだし、別のプリンタ使うしかないですね。

メニューバーにデスクトップの色が滲むようになってるのは落ち着かない感じ。白い方がいいんじゃないでしょうか。でも、白に戻す設定が見あたりません。同じように白いメニューバーの方がいいと思っている人も多いみたいです。Discussionsのスレで薦められていた OpaqueMenuBar というフリーのソフトを入れてみました。

メニューバーが白くなると、今度はリンゴの色が黒いのが気にかかります。System6までは黒リンゴだったと言われれば、たしかにそうだったんですが、あの頃はデスクトップも派手なグラフィックではなく、フォルダなんかも線で描かれてたりなど、万事地味だったから全然違和感なかったわけなんです。現在のデスクトップだと黒リンゴが目立ち過ぎです。

ドック。立ち上がってるアプリがどれなのか、黒い三角形で表示してくれたTigerの方が良かった。よく見ると水色の小さな球があるようだけど、全然目立ってません。

辞書ソフトは秀逸ですね。Command+Ctrl+Dで単語の意味が出てくるのは、英文読んでいるときにとても便利。Safariだけでなく、ふつうのテキストファイルを読むときにもつかえるようになるといいかな。

とりあえず、3日使っての感想でした。

2007年11月25日日曜日

日本の百年3 強国をめざして


松本三之助編著  筑摩書房  税込み1575円  2007年9月発行

1960年代に発行された「日本の百年」全8巻が、ちくま学芸文庫になって刊行されたものです。第3巻では1889年の憲法発布から日清戦争を経て1900年までが扱われています。

このシリーズの特徴は、各種の史料に語らせるスタイルをとっていることです。一次史料とは限らず回想録などからの引用も多いのですが、このスタイルのおかげで、発行から半世紀近くが経過しているにもかかわらず、読んでいてちっとも古びた感じがしません。

和辻哲郎は少年期を回想して、日清戦争前後に手織り木綿のかすりの着物からガス糸織りの着物になり村の紺屋がなくなったことをあげて、明治維新よりも日清戦争前後の産業革命の方が実際に村の姿を変えていったと述べています。

津田左右吉は、この時代の故郷東栃井(名古屋の北郊)のことを、養蚕がさかんになって近所の家の家造りがだんだんりっぱになってきたのが目についた、と回想しています。

私は日本史をこれから学ぼうとするような年齢ではないし、近代日本の歩みは一通り頭に入っているつもりです。なので、各年に何があったというスタイルで記載された教科書のような本なら敬遠してしまいす。でもこういったエピソードは初めて知ったことも多いし、読んでて面白く感じます。和辻さんの哲学書には全く興味ありませんが、この自叙伝の方は入手できれば読んでみたいくらいです。

2007年11月24日土曜日

アップルストア

アップルストア銀座に初めて行ってきました。

iPod touch。これまで近くのビックカメラでも見かけたことはあるのですが、手にとってみたのは初めてです。ここだと、いくつも展示してあるのでゆっくり触れることが出来ました。感想としては私には向いてないかな。

音楽聞くだけなら、iPod classicの方がいいです。外で動画を観る趣味はないし、使うとすれば、Safariかなとも思うのですが、ふだんの自分の行動範囲にWiFi環境整ってるのか少し疑問です。

あと、とてもキーボードが使いにくい。縦じゃ小さすぎてミスタッチ頻発だし、横にしても小さい。アップルのサイトでは縦置きにして、人差し指でキーボード使ってるムービーがありますが、あれは神業です。

iPhoneの文字入力もiPod touchと同じですよね。私にはムリですが、日本ではケータイを片手で持って、親指を使ってすごいスピードで入力する人が多いから、もし日本でiPhoneが発売されたとしても、若い人には普及しない気がしてきました。

でも、新しいiMacは良かった。24インチのディスプレイの方は特にすてき。iMacで動いているLeopardに触れてみて、Leopardも買うことにしました。でもポイントも欲しいので、購入は有楽町まで歩いてビックカメラで。

iMac自体とは関係ない感想ですが、自分のものでないMacなりPCに触れた際、マウスカーソルの移動速度がとても遅いと不便に感じることがとても多いのです。みなさん、初期設定のままにしてることが多いのかもしれません。アップルストアに置いてあったMacもそのようでした。でも、ディスプレイがどんどん大きくなっているのに、初期設定のマウスカーソルの移動スピードって遅すぎです。

アップルストアで購入したのはMBP用の電源アダプタ。持ち運ばなくていい用と、故障しても困らないように、買いました。今までのものより小さくなっていますよと店員の人に言われたました。でも、帰って開封してみると、今使っているのと同じ大きさの物でした。

2007年11月23日金曜日

ラテンアメリカ経済史  続きの続き

著者の問題意識は、十八世紀までは第三世界の中でももっとも豊かな地域であり、北米と実質国民所得でも遜色ない経済実績を示していたラテンアメリカのその後の経済不振の原因は何かという点にあると思います。しかし、この種の本を読む際、私の頭の中には日本の歴史との比較という意識が常にあります。また、韓国や台湾の読者だったら本書の第三局面の記述が一番興味をひくところでしょう。

日本の場合ですが、本書の第一局面にあたる幕末開港時には、生糸・蚕卵紙・茶・銅といった一次産品を輸出していた国でした。また、同時代に植民地でなかったという点ではラテンアメリも日本も同じです。ただ、その後の経路においては違いが見られます。

日本の主要な輸出一次産品である生糸は、開港後も昭和に至るまで輸出量が増加しました。しかしこの生糸の輸出が前方・後方連関を通して日本の工業化を主に担ったという評価はないと思います。

日本もラテンアメリカの大国と同様に、19世紀のうちから輸入代替工業化を開始します。初めは軽工業である綿業で、その後、造船・機械工業、そして20世紀に入ってからは鉄鋼業・化学工業と進んでいきます。

日本においても、この輸入代替工業化は綿業においては綿花の輸入、重工業においては原料(鉄鉱石、銑鉄)や資本財の輸入を伴い、貿易赤字をもたらします。しかしここで、生糸などの一次産品の輸出が外貨を獲得することにより、輸入代替工業化を継続できたわけです。

また、日本でラテンアメリカと異なる工業化の動きが見られたのは、いわゆる新在来産業です。新在来産業は国内市場向けに雑貨を供給するだけでなく、東アジア・アメリカ合衆国などに輸出していました。

日本の事例では輸入代替工業化として始まったはずの綿業や新在来産業の製品が近隣国の市場に輸出され得たことが、ラテンアメリカの経験とは大きく異なる点です。

この点で思い起こすのは、川勝平太氏の物産複合の考え方です。日本綿業の主要な製品である太糸から生産される厚手綿布や、新在来産業の生産する生活雑貨は、日本と物産複合的に類似する中国など東アジア諸国に受け入れられ、販路を見いだせたのでしょう。

それに対して、ラテンアメリカ諸国で購買力を持つ層は、ヨーロッパ諸国とそれほど異ならない物産複合の中に生活していたので、ヨーロッパ諸国で生産される商品よりも安く生産できる見込みがなければ、自国で衣類や雑貨を生産し始めたり、ましてや近隣国へ輸出したりすることにはならなかったのではと想像します。

本書では、「プロト工業化では手工業部門の生産性の低い生産単位が、より洗練された分業を採用し、とりわけ近代的な機械を用いることでより高い労働生産性を享受する近代的な製造業に変化した。このようなプロセスがラテンアメリカでも見られるかどうか・・・・答えは否定的なものである」と述べられていて、手工業部門が自ら高い生産性を有するものに転換できなかった理由としては、資金の欠如、政治的エリートとの関係の欠如により有利な公共政策を実施させられなかったこと、家族労働に依存していたので拡大できなかったこと、があげられています。日本の在来産業においても同様な問題はあったはずです。しかし、日本の在来産業が新在来産業へ発展しいった背景には、国内市場だけでなく輸出も期待できたという、物産複合による利点があったことも大きいのだと思います。

本書ではラテンアメリカ各国ごとの経済的なパフォーマンスの推移の違いの原因として、①商品の当たり外れ、②輸出主導型の成長、③経済政策の実施環境の三つをあげています。日本についてこれを考えると。

① 商品の当たり外れ。生糸は大当たりではなくとも、当たりの範疇には入るでしょう。工業化に必要な外貨を1920年代にいたるまで稼ぎ続けてくれたのですから。1929年代恐慌で生糸の価格は惨落しました。しかし、20世紀を通じて一次産品の輸出に依存したラテンアメリカ諸国とは違い、日本の場合にはその頃には工業化の離陸を果たしていたので、生糸もはずれの商品とはならずに済みました。

②輸出主導型の成長。資本・労働力・国家という装置が効率的に機能しないと、輸出部門の成長を非輸出部門の成長につなげることができなくなってしまう。本書には「ラテンアメリカの寡占的な構造は、標準以上の利益とかなりの経済的な収益を生んだかもしれない。しかしそれらの構造は伝統的には、技術革新、投資ブーム、あるいは全要素生産性の上昇とは結びつかなかった (中略) 十九世紀の米国や第二次大戦後の日本で顕著であった、レントを生産的に利用するという刺激は欠如していた」という記載があります。本書の第一局面にあたる時期の日本の経済成長も、第二次大戦後に比較すると見劣りします。これは、著者の指摘の通り、地主制や財閥などの存在した戦前日本では、「レントを生産的に利用するという刺激は」戦後の日本に比較すると欠如していたということになるのでしょう。

③経済政策の実施状況。明治大正の日本政府にも問題はいろいろありましたが、富国強兵のためになすべきことはしていたということは言えるでしょうね。


ラテンアメリカ経済史
ラテンアメリカ経済史 続き

2007年11月22日木曜日

ラテンアメリカ経済史 続き

なぜラテンアメリカの経済史を記した本書を手に取ったかと言うと、一つは従属理論に対する興味からです。しかし、著者は従属理論に対して否定的な評価で、本書の中にも従属理論に対する言及は多くはありません。

本書では交易条件について、各種のデータを示して「1913年以前にラテンアメリカのNBTT(純商品交易条件)が長期間継続的に低下したという主張は、従って妄想に近いものであった」としています。著者の従属理論に対する否定的な評価もうなづけます。

たしかに中心と周辺の間で不等価交換が行われることが万病の元だとする考え方は、もはや通用しないのだとは思いますが。しかし、本書には言及がありませんが、従属理論に系譜を持つ世界システム論的な考え方は、ラテンアメリカについて検討するときにも、有用なツールになると私は思います。

第一局面においても、輸出だけにたよっては先進国に匹敵する経済成長を達成することが困難でした。このため、農業・手工業をあわせた非輸出部門の成長が重要なのですが、このことに関連して著者は「米国では労働力の不足に対して、労働節約的な農業技術への大規模な投資によって対応してきた (中略) ラテンアメリカの大部分では、労働力不足に対して十九世紀にはまさに植民地時代と同様の労働市場への人為的な操作、強制労働、そして土地獲得の制限によって対応したのである。西半球を二分する二つの地域が異なる対応をした理由については、ここでは論ずることができない(それは部分的には独立後の異なる政治システムに由来しているかも知れない)」と記載しています。

この「部分的には独立後の異なる政治システムに由来しているかも知れない」という部分こそ、世界システム論が説き明かすところです。

農業にしろ工業にしろ、同じ商品を生産するとしても、中心の国と周辺の国とでは資源の入手しやすさが異なるので、生産のスタイルも異なったものとなります。つまり、中心の国ではより多く機械に頼る資本集約的なスタイル、周辺の国では労働集約的なスタイルに。中心の国で機械の改良が行われてより資本集約的な生産が行われるようになると、その生産費の低下に対応して周辺の国では労働条件の切り下げで対応せざるを得なくなり、それを実現するために強制労働などのより一層の抑圧が必要になるのだと思います。

このようにA局面では、同じ商品の生産についても、時間とともに中心と周辺では必然的に生産のスタイルに次第に違いが出来てきます。また、一般的には中心の国は資本集約的な商品生産に、周辺の国はそれ以外の商品の生産に特化していくことになるのです。

しかし、B局面になって資本収益率が低下し、中心の国において資本が過剰となり、十分な利益を上げることのできる投資先が中心の中にはなくなると、資本は半周辺または周辺の国に向かうことになります。20世紀後半の東アジア諸国の経済成長はこういうことだったのではないでしょうか。

あと、本書にはこういう記述があります。
「『富裕層から搾り取る』ことを目的にした非正統派の政策は通常短期的には効果的ではあったが、長期的には非生産的であった」として、アルゼンチンのペロン政権・チリのアジェンデ政権・ニカラグアのサンディニスタ政権に対して、著者は批判的です。また著者は、「カストロ政権下におけるキューバの実験は続いているが、得たものが失ったものより大きいという確証は全くない」と。

これは、アメリカ合衆国による理不尽な経済封鎖の存在を正当化するのでなければ、キューバに対してあまりに酷な評価だと感ぜざるを得ません。アジェンデ政権に対する最初の9・11にしてもそうですが、ラテンアメリカでこれらの政権がアメリカから受ける不利益は著者の眼中にはないのか、それともこの地域の国がアメリカに楯突くようなことをすること自体そもそも無謀なことなのだとお考えなのかもしれません。


ラテンアメリカ経済史
ラテンアメリカ経済史 続きの続き

2007年11月21日水曜日

ラテンアメリカ経済史


ビクター・バルマー=トーマス著 名古屋大学出版会 税込み6825円  2001年10月発行
小さくて分かりにくいかもですが、カバーの絵はLand of Coffeeという絵なんだそうで、なかなかしゃれてます。

「独立後のラテンアメリカの経済発展は、果たされない約束の物語である。豊富な天然資源を持ち、労働力に対する土地面積には恵まれ、植民地支配から脱しておよそ二世紀の間自由を享受したにもかかわらず、一つの国家も未だに先進国の仲間入りを果たしていない。 (中略) ラテンアメリカと先進国の生活水準の格差は、ラテンアメリカが発展途上地域の中では最も豊かであった十九世紀の初期以降、確実に増大している。」

上記のように、十八世紀までは第三世界の中でももっとも豊かな地域であり、北米と実質国民所得でも遜色ない経済実績を示していたラテンアメリカ。その後の経済不振の原因は何かという問題意識が本書の中心にあります。

「独立後のラテンアメリカの経済発展は、比較的容易に二つの異なる、しかし部分的に重複する局面に分けることができ、この二つの局面の後に、ちょうど始まったばかりの第三局面が続いている。第一局面は一次産品に基礎を置く、伝統的な輸出主導型成長に該当する。第一局面はゆっくりと開始したために、20世紀の最初の10年に頂点に達し、そして大恐慌と共に消滅した。第二局面は内向き成長の時期に該当する。この内向き成長は、大きな国では19世紀後半に始まった輸入代替工業化を基盤として、第二次大戦後の四半世紀に頂点に達した。非伝統的な輸出産品に基づく第三局面は、1960年代に始まり、1980年代の債務危機後に支配的となった。」

第一局面においては、ラテンアメリカ各国とも有力な一次産品を持っていたので、輸出主導型の成長にはとても有利なのだと私は思っていました。しかし、輸出に好適な一次産品を持っているというだけでは、必ずしも輸出主導型の成長が実現するとはいえないようです。

アルゼンチンのように、輸出一次産品生産の前方連関・後方連関によって輸出部門の成長が非輸出部門の成長につながる場合には、輸出主導型の高成長が第一次大戦前にみられました。しかし、非輸出部門の成長にあまり期待できない国の場合、先進国の成長率にあわせて成長してゆくためには、一次産品の輸出量が期待成長率よりもかなり速いペースで増加しなければなりません。

たしかに、第一次大戦前には先進国の経済成長率より速く一次産品の輸出量を増やすことのできた国もありました。しかし、それでも輸出だけに頼って、先進国並みの成長をもたらすには不十分だったのです。また、多くの国ではインフラストラクチャーなどの国内の供給上の問題から十分な早さで輸出量を増やすことができなかったのです。

第一次大戦後には硝石などの一次産品の代替品の出現や、アジア・アフリカのヨーロッパの植民地でゴム・砂糖などが生産されるようになりました。ラテンアメリカ各国は、バナナ・石油など新たな輸出品目への移行によって輸出量の確保・増加をはかりましたが、そのため却って1929年大恐慌の影響がより強く表れることになりました。その後、ラテンアメリカ各国で一次産品輸出価格の減少がみられ、また国ごとに程度は違うが輸出量の減少・交易条件の悪化も見られたことで、一次産品の輸出に頼らない経済成長の方策が求められ、第二の局面につながっていきます。

第二の局面、輸入代替工業化について、有名なプレビッシュ報告の影響もあって、一次産品輸出国が工業化を目指す際のとても望ましい政策なのだろうと私は思っていました。しかし実際には、工業化の進展で消費財の輸入量が減っても、さらに工業化を進めるためにはより一層高度で高価な資本財の輸入が必要になり、国際収支の改善をもたらさないばかりか、却って貿易収支の赤字を増やすことにもなり得ます。

しかも、プレビッシュの強いリーダーシップのもとでCEPAL
が輸入代替工業化をラテンアメリカ各国に対して推奨した時代は、「まさに世界経済と国際貿易が、最も長くかつ最も速い長期拡大の時期に乗り出そうとしていたとき」で、「このモデルには最悪のタイミングであった」とのことです。そう指摘されれば、なるほどそうですね。この辺の事情は、輸出主導型の成長を目指して成功した東アジア各国の実績と比較して、とても興味深いところです。

第三局面以降は、私の興味の範囲から外れるので、略。

本書はラテンアメリカ経済史と、地理的にも非常に広い地域を扱っています。当然、経済的なパフォーマンスの推移にはラテンアメリカ各国ごとに違ってきました。その原因として本書では、①商品の当たり外れ、②輸出主導型の成長、③経済政策の実施環境の三つをあげていて、この点の議論も説得的だと思いました。

① 商品の当たり外れについては、ラテンアメリカは広く地理的な条件の違いで輸出できる一次産品も異なっています。商品ごとに価格弾力性・国際競争の激しさや前方・後方連関をももたらす程度に差があります。硝石の輸出国と石油の輸出国とでは、19世紀から現在までのパフォーマンスに違いが出ることは非常に説得的です。
② 輸出品主導型の成長、各国の資本・労働力・国家という装置が効率的に機能しないと、輸出部門の成長を非輸出部門の成長につなげることができなくなってしまう。
③ 経済政策の実施環境、一貫した政策をとれたかどうか、またその政策(輸出主導型成長、輸入代替工業化など)が妥当だったかどうか。

本書に対する私の感想は、ラテンアメリカ全体と各国ごとの経済史の概観を学ぶのにとても有用な本で、おすすめです。

それにしても、名古屋大学出版会は経済史関係の面白いのをよく出版してくれるところですね。そう思って本棚をみてみると、名大出版会の本が14冊もありました。


ラテンアメリカ経済史 続き
ラテンアメリカ経済史 続きの続き

2007年11月19日月曜日

Safari 3.0.4

4日前に、Tigerが10.4.11にアップデートされました。ダウンロードにかなり時間がかかるなと思っていたら、Safariも一緒に落ちてきていてバージョン2.0.4から3.0.4になりました。

新しくなったSafariですが、勝手にブックマークの項目が増えているので、削除してすっきりと。それでだいたい使い勝手はバージョン2と同じなのですが、いくつか不具合が。

Leopard付属のSafari3で報告がありますが、サイトによっては指定してあるヒラギノ角ゴでなくて、文字が明朝体で表示されてしまいます。

また、半角英字で入力するとスペルチェックされます。これはうっとうしいのですが、Safari2.0.4の時にもあったでしょうか?? このスペルチェックをオフにするやり方が分からず、閉口しています。

あと、リンク先にとんだ時に、リンク元の文字の色が、リンクを踏んだことを示す色に即座には変更されないことが多くみられます。これは同じウインドウで表示されるときも、別に新しいウインドウが開くときもです。また、Windows上のSafari3でも同じ現象が起きていました。

2007年11月18日日曜日

PowerBook G4からMacBook Proへ OS編

2001年3月にPBG4を買って以来、ずっとMacOS9を使い続けていました。時代は変わり、ちまたで得られる情報はOS X関係のものばかりになったため、Mac関係のサイトを覗くこともほとんどなく、浦島太郎状態で過ごしてました。たまたま、秋分の日頃にMBPが新しくなっていることを知り、アップルストアにアクセスしてオーダーしてしまったのです。

ほとんど衝動買いだったので、Leopardの発売が一ヶ月後に迫っていることも知りませんでした。あと一週間ほど注文が遅ければ、Tiger搭載MBP+無料でLeopardも手に入ったのです。後で知って、少し後悔しました。でも、新しいMacがとどけば、そんな気分はすぐに消滅。

Leopardが発売されてからもう4週間も経つので、使っている方も多いと思います。うちのMBPもそう遠からずLeopardに入れ替えることになると思うので、ここではOS X Tigerを使って気付いたことをまとめておきます。

OS Xでは昔のソフトが使えるものとばかり思っていました。でも、インテルMacのOS Xにはclassic環境がなかったのです。これは実際にMBPを手にしてから判明してびっくり。調査不足でした。

でも、今の時期では中古でないとclassic環境のあるMBPは手に入らしないし、昔のソフトを動かすにはPBG4があるので、まあしょうがないかと。ただ、PICT書類を開けるのが標準ではQuickTime Playerしかないのは、悲しい。

MacOSの魅力はFinderに負う部分が大きかったと思います。OSとFinderが一体になっているように感じる点、ファイルやフォルダを自分好みに自由に配置できる点などが好きでした。そのFinderがOS Xでは大きく変化して、Windowsのexplorerみたいに、アプリのひとつみたいな感じになってしまいました。OS Xが実はOS neXtたる所以でしょうか。

Finderウインドウの左側のサイドのカラムは慣れると便利になりましたが、初めはかなりとまどいました。左端のカラム以外はアイコン表示かリスト表示を使っています。右側の方もカラム表示になるのは、今でも慣れない。それよりはフォルダをほじって探しちゃう感じです。

ウインドウを閉じたり、小さくしたりするボタンが左上なのは最初かなりとまどいました。まあ、ショートカットを使うことも多いし、なんとか慣れましたが。これは、「左上の魔術師」と関連あるのでしょうか。

アップルメニューのすぐ右隣がファイルメニューではなくなったのも、地味ながらとまどう変更でした。開くや保存はショートカットを使うので問題ないのですが、ショートカットを使う習慣のない用紙設定の時などは、今でもカーソルをついアップルメニューのすぐ右隣のところでクリックしてしまいます。

System6の時は使ってなかったと思いますが、System7の頃からは何かしらランチャーソフトをつかっていました。でも、以前に使ったランチャーに較べても、大きさが自由に設定できたり、ジニーエフェクトのような遊び心がみられたり、使用中のウインドウを入れておけたりする(Windows では当たり前か)などなど、ドックは良くできてますね。

指2本でタッチパッドをいじると、スクロールできるのは少し驚いた点です。でも、文章読みながら下にスクロールさせるときなどカーソルキーの方が好みです。使えるけど、ほとんど使わない機能になってます。

2007年11月16日金曜日

歩道の縁石


歩道が途切れて車道に移行する部分に、こんな風に中央に切り欠きがついて段差を少なくした縁石が、設置されているところを見かけるようになりました。切り欠きのついた縁石は2個並べられているので、おそらく車いすの両側の車輪が通過しやすいように工夫されているのかなと思います。バリアフリーの実践ですね

ただ、ここで不思議に思うのは、こういった段差の少ない部分がコーナーの2カ所だけに設けられるのはなぜなのでしょう。コーナーの縁全体に、中央だけでなく全面に段差のない縁石を並べたらいいのにと思ってしまいます。

というのも、自転車に乗っていて車道と歩道の境の縁石で転倒して、骨折などの怪我をした人を少なからず診た経験があるからです。若い人にとっては全く苦にならない段差でしょうが、ふらふらと走る高齢の自転車利用者にとっては、歩道の縁石はかなり危険な存在なのです。

もしかすると、国土交通省の基準か何かのせいで、こういう風にしか段差をなくせないようになってるのかな。

2007年11月15日木曜日

インフルエンザ予防接種

インフルエンザの流行が昨年より早く始まっていると、TVの番組で報じていました。そのためもあってか、インフルエンザの予防接種を受けに来る方がたくさんいらっしゃいます。

高齢者の接種料金の半額が公的に補助される制度もすっかり定着したようです。今シーズンもこの制度での接種期間が始まってからもう一ヶ月が経ちましたが、まだまだ出足は落ちていません。非高齢者で接種を希望して来る人も少なくなく、合計毎日10人以上といった感じです。

接種前には診察をして、副反応などの説明をします。接種した部位が腫れて痛痒くなることが少なからず起きるので、そのこともお話しするのですが、毎年のように接種している方の場合、「これまではだいじょぶだった」と話を打ち切ろうとするかのように返答する方がとても多いのに気付きます。

熱い物に触れたら思わず手をひっこめるのと似たように一律の反応で、こういうシチュエーションだとこういう反応って決まってる感じ。こういった決まり切った反応の奥にはヒトの本質の一部が潜んでいるのでは、と思うわけです。きっと「これまでAだったもの・ことは、これからもAである」というような考えた方・感情の回路がヒトの脳にはあるんじゃないかな。

2007年11月14日水曜日

成年後見制度

先日、成年後見制度の鑑定書を書く機会がありました。

成年後見制度とは,「精神上の障害により判断能力が不十分な者について,契約の締結等を代わって行う代理人など本人を援助する者を選任したり,本人が誤った判断に基づいて契約を締結した場合にそれを取り消すことができるようにすることなどにより,これらの者を保護する制度」です。

2000年に制度が改正される以前の成年後見制度では、禁治産と準禁治産の二つの類型が設けられていました。私も訪問診療をしていた患者さんのご家族がその方の禁治産を申請するというので、鑑定書を書いたことがありました。その患者さんはAlzheimer病がかなり進行していて、経管栄養を受け無動無言で褥瘡の既往もあり、だれが見ても判断能力が欠如していることが分かる症例です。そのときの経験から、成年後見制度を利用することになる方というのはかなり重度の精神上の障害を持つことが必要だなという印象を持っていました。

裁判所の成年後見制度のページからダウンロードできる鑑定書作成の手引きにも「成年後見制度は,認知症の高齢者,知的障害者,精神障害者等精神上の障害により判断能力が不十分な者を対象とします。すなわち,身体機能に障害があるため一人では十分に財産上の行為を行うことができなくても,判断能力は十分ある者は,対象者から除かれます」という注意書きがあります。

今回、鑑定書を書いたのは脳幹出血で顔面を含む両側の片麻痺・気切・胃瘻が、左眼のウインクと小さく首振りでyes-noを何とか意思表示できる方です。見当識障害はかなりあるのですが、簡単な計算などは可能です。こういう症例は、成年後見制度とは縁がないものと思っていました。

しかし、裁判所の調査官のお話ではそうではないそうです。確かに上記注意書きの中にも精神障害者”等”とありますし、「判断能力は十分ある者は対象から除かれます」ということですから、脳血管障害やその他の中枢神経疾患による器質性精神病で判断能力が低下していれば、この制度の対象になるのでしょう。

私が外来や訪問診療で担当している患者さんの中には、脳血管障害やその他の中枢神経疾患による器質性精神病で判断能力が低下している方がたくさんいます。今後は、この方たちにも成年後見制度の利用が増えてくるのかも知れません。

そういった方の年金を実際に金融機関に引き出しに行ったり、それを生活費や医療・介護料金として支払うのは介護者が大部分ですが、委任状を患者さんから受け取って代行しているわけではないし、またそもそも患者さんは委任状を書くこともできないわけです。金融機関での本人確認もこのところうるさくなってきていますから、キャッシュカードでお金を引き出すことはできても、それ以外の金融機関との取引は成年後見制度を利用しておかないと、そもそも本人確認の段階でアウトになってしまいそう。

また、高度障害と言うことで生命保険の保険金を受け取り、成年後見制度を利用しないで、本人だけではなく家族の生活費としても消費しているような場合には、業務上横領にあたるとの調査官のお話でした。

鑑定書を書くのはかなり面倒くさいのですが、医療機関でもこの制度の周知に協力しなければいけなくなってきているなという感想を持ちました。

2007年11月12日月曜日

PowerBook G4からMacBook Proへ ハード編

MacBook Pro購入してから、一ヶ月ほどがたちました。PBG4と比較すると、解像度が高いだけに液晶ディスプレイがくっきりしている点にまず気付きます。でも、ハード的には他にも出来具合に違いがあります。

これはうちのPBG4だけなのかもしれませんが、持つと少したわむ印象でした。特に手がバッテリーの部分をつかんで持つとそんな感じでした。バッテリーの交換をした時にはバッテリーの奥に畳んだ厚紙を入れてへこまないように工夫しなければならなかったし。それに比較して、MBPは筐体がとてもしっかりしている感じです。チタンよりアルミの方がしっかりとしているように感じるのは、厚めのアルミ板を使っているのでしょうか。

ただ、PBG4がタフでないかというとそんなことはありません。うちのPBG4は一度落っことしてしまって、左奥の角が欠けています。写真ではパイロッランプが2個並んでいますが、その右側の縦の黒いものは、角が欠けてむき出しになったチタン筐体の断面なのです。チタンの表面は銀色ぴかぴかですが、割ると内部は黒いんです。筐体が欠けるほどの落下事故の後も、液晶・HDD含めて特に何のトラブルもなく、今でもふつうに使用可能ですので、PBG4はかなりタフなノートPCと言えます。
本体は丈夫なPBG4ですが、6年半の間に一回もトラブルがないかというとそうではなく、電源アダプタ付きのコードが2回使えなくなり、買い換えました。その点、MBPのMagSafe電源アダプタは安心かな。

それと、PBG4で華奢に感じたのはポートです。電源アダプタを差し込むところはもちろん、FireWireやLANケーブルの抜き差しの際に筐体と基盤のずれそうな感触がありました。MBPはこの点もしっかりしているみたいで満足。

PBG4の操作で実際にずれて困ったのはリセットボタンです。しょっちゅう使うものではないけれども、OS9だと時々お世話にならざるを得ませんでした。うちのPBG4はリセットボタンをボールペンの先で押し込むと、筐体に開けられてる穴とボタンがずれて戻ってこなかったりすることがあるので、リセットボタン操作には微妙なテクが必要でした。

MBPにはリセットボタンがついてないので、ボタンのもどらないことを心配する必要はないようです。AppleはMac OS Xがフリーズとは無縁と考えて、リセットボタンを用意してないのかな。

2007年11月11日日曜日

E233系

東京方面に出かける時は主に中央線を利用します。中央線には、昨年12月から新しくE233系が導入されましたが、一年経過して、もうほとんどがこの新型車両になっているようですね。昨日は行きも帰りもE233系だったし、途中ですれちがう電車も古い201系は見かけなかったような気がします。

E233系になってよかった点。
車両の幅が拡がったので車両の中を歩いて移動しやすくなっています。長くなる時はドア付近からロングシートの中央くらいまで移動したいものですが、その際両側に立っている人にぶつかりにくくなったのはいいですね。

あと、明らかに以前より騒音が減った気がします。走行中気付く一番大きな音はモーター音でした。ガタンゴトンというジョイント音もE233系ではほとんど気になりませんでした。ロングレールが採用されているからなのでしょうか。新しく高架になった下り線だけでなく、上り線でも比較的静かでした。低いところを走る上り線も以前とは違う場所に移設されているので、線路の質が良くなっているのかも。

南武線を利用しているとジョイント音が頻繁でしかもかなり大きく、とても耳障りです。JRさんにはこちらの方の改善も期待したいところです。

2007年11月10日土曜日

マンション火災

昨日、港区芝で7階建てのマンションの火事があり、屋上からヘリコプターで2人が救助されました。無事に避難できてよかった、よかった。個人的に、このニュースは他人事という気がしません。というのも、私もマンションに住んでいるからです。

うちは14階建ての12階にあるので、屋上は外階段ですぐだなと一瞬思いました。でもよく考えてみると、屋上って行ってみたことがないんですね。こんど晴れた日に、見学に行かなければ。

マンションって何となく燃えにくいものかなと思っていたんですが、調べてみると火事は結構あるし、死者もあるみたいです。火災報知器がついているので、火事になったらすぐに外階段で逃げられそうな気もしていました。でも、階段を利用しにくい障害を持っている人のことを考えると、エレベータがつかえない時の避難は問題ですね。一昨年まで寝たきりで要介護5の母親がうちにいましたが、もし火事になったら背負って屋上に連れて行かなければならなかったのかも知れません。

2007年11月9日金曜日

東国と西国

「開国を契機として、先進的で、綿によって代表される西日本の農村工業の少なからぬ部分は挫折の途をたどり、それとは対照的に、後進地域であり、
生糸によって特徴付けられる東日本では農村工業化のいっそうの進展が見られた」

これは、昨日ふれたプロト工業化の時代の中の一節で、同書の立論からは枝葉末節にあたる記述ですが、つい妄想をふくらませてしまいます。

明治初年の産出高統計である府県物産表によれば、単位面積あたりの農産加工品産出高は、開港以来の生糸の輸出を反映して東日本と西日本の差があまり目立たなくなっています。しかし、単位面積あたりの穀物産出高は畿内をトップに西日本が東日本よりもかなり高くなっています。開港以前には、西日本の綿業も健在であったわけですから、穀物生産+農産加工の合計ではさらに東日本と西日本との差が大きかったはずです。この格差の解消は東北・北海道が米どころとなる第二次大戦後のことになるのだろうと思います。

畿内が先進地で東国は後進地域という印象が強いのですが、この西国と東国の農業生産性の格差は、弥生時代以来続いてきたものなのでしょう(米以外の農業生産や非農業生産を加味したり、一人あたりの生産高を考えれば大きな差はなかったりするのかな?)

でも、こうした格差が2000年近くも持続したのだとしたら、その原因はなぜなのでしょう。前近代の農業技術では、気候・風土の違いを克服できなかったからか、技術は大陸から・西から伝播するからなのか。また、東と西の語る日本史(網野善彦著 そしえて 1982年)や東日本と西日本(大野晋・宮本常一他著 日本エディタースクール出版部 1981年)などを読むと、西日本と、「鳥が鳴くあづまの国」と呼ばれた東日本が、その後別々の国になっていってもおかしくない感じがして興味深いのですが、こういった民俗・民族学的な違いも影響しているのでしょうか。

このへんの疑問を解消してくれるような、東国西国の比較経済史研究の出現を期待したいものです。

2007年11月8日木曜日

プロト工業化の時代  西欧と日本の比較史

斉藤修著  日本評論社  税込み3885円  1985年10月発行

いろいろな本のリファレンスでこの本のタイトルを見かけるのですが、実際に書店にこの本が置いてあるのを見たことがありませんでした。20年以上前に出版されたもの(今回買ったのは1997年の第6刷)なので、もうとうに品切れになっているのかと思ってネットで探すこともしないでいたのですが、先日ジュンク堂に行った時に偶然見かけたので、買ってきました。

本書は二つの部分に分かれていて、プロト工業化論の紹介と、前半ではヨーロッパの事例が、また後半では日本にも妥当するものなのかどうかの検討がなされています。

プロト工業化論は、フランドルの地域研究から導かれたものです。第一に、域外への輸出を目的とした農村工業の立地について、農村工業は穀物生産に不利な地域に分布していたこと、隣接する主穀生産地域では資本主義的農業の発展が促されたことが示されます。第二に、農村工業発展の経済・社会への影響として結婚年齢の低下がみられ、人口増加がもたらされて、その人口増加は供給価格の低い労働をもたらすことで、その地域でのさらなる農村工業の発展につながることが示されます。筆者はこれを人口学的な農民分解論と表現していますが、言い得て妙です。

フランドル以外のヨーロッパで農村工業が見られる地域、チューリッヒ州、ザクセン、アイルランド・コノートなどの事例について、プロト工業化論が検討され、必ずしも18世紀ヨーロッパの経済変化と人工成長に対する一般モデルたり得ないと結論されています。プロト工業化論が当てはまらない理由は地域ごとに、市場経済化の程度、農村工業に従事する者の性別分業などがあげられています。

日本でも開港以前、西日本では綿業、東日本では絹業を中心とした域外流通を目的とした農村工業が後半にみられたことが知られています。この日本の状況にプロト工業化論があてはまるかどうかを検討したのが後半です。

旧国より大きな単位での分析ですが、日本での人口成長は農村工業の盛んな地域で特に高いと言うことはなく、穀物生産が人口成長の主要因であったことが示され、この点がプロト工業化論とは違う結果です。その理由としては、繊維産業である農村工業に従事したのが主に女性であったこと、またもともと西欧に比較して女性の初婚年齢が低く、この時期に西欧とは違って初婚年齢の上昇がみとめられたことが指摘されています。

プロト工業化論は結局フランドル以外では必ずしもあてはまらない場合も多いようです。しかし、近代の人口増加の端緒を説明してくれる点や、人口と経済の相互関係の指摘などはとても勉強になりました。

2007年11月7日水曜日

カラスの爆撃

「彼もまた、この戦争で爆弾や砲弾のつくりあげた穴に関して独特な理解に達した多くの者たちの一人だった。経験則からいえば、同じ場所に二度着弾することはありえない。大地に生じた無惨なその傷跡は、場合によっては絶対の安全を保証することがある。」路上にこんな跡を見ることがあります。幸いなことに、まだ直撃を受けたことはありませんが、目の前数十センチのところを落下していくのを見て、一瞬歩みが止まってしまった経験があります。

本物の爆撃の場合とは違って、カラスの爆撃の場合には同じ場所に集中していることが多いようで、一つあったらその場所は絶対の安全を保証されているどころか、とても危険な場所ということになります。路上の場合だと電線の下、おそらくカラスにとってお好みのとまりやすい電線があるのでしょう。また巣がつくられている大きな木の下も危険です。

ツバメが巣をつくっている軒下にも似た光景が見られますが、ツバメのものの方がもっと固い印象です。カラスの方が液体混じりで、地面にびしゃっと拡がっているように見えます。生ゴミばかり食べているので、下痢気味なんでしょうか。それとも、もしかすると種とは関係なく、巣にいるひなは水を飲むチャンスがないので水分の少ない糞を排泄し、自由に飛べる成鳥は水を飲めるので液体の部分の多い糞をするといったようなことになっているのかも知れません。

たくさん鳥の糞の見られる路面も、雨が降ると洗い流されてきれいになってしまいます。植物の生える地面に落ちたのなら、貴重な窒素やリンの肥料になるのでしょうが、アスファルトの上では何の役にも立たない訳で、何かもったいない感じ。

2007年11月5日月曜日

大連立

安倍首相辞任の時ほどではないけれど、昨日の小沢民主党代表辞任のニュースには驚きました。

大連立って時と状況によっては必要な時があるとは思います。第一院の選挙後に第一党と第二党の議席数が接近していて、どちらも院の過半数の支持を得られないような時など、今のドイツがそうですよね。

今年の参院選後でも、選挙結果をみて即座に安倍首相が退陣して、後継首相がすぐに大連立のアプローチをするとかだったら、もう少し理解できたかも知れません。でも、今のタイミングでの大連立ってのはどうも変な感じですし、ふつうの人の多くはそう感じるでしょう。小沢さんは、大連立構想が民主党の人たちや日本人の多くに歓迎されると思っていたのでしょうか。そんなにセンスのない人なのか、非常に疑問です。理解されないことは承知した上での確信犯的な行動だったのかな。

日本の政治の問題点の一つは、政権交代がないことだと私は思います。この点に関しては1960-70年代の社会党の頑迷さもその大きな一因でしょう。あの頃は、もしかすると近い将来に政権交代があるかもと予想されていた頃だったけれども、江田ビジョンを葬り去るなど結局チャンスを生かそうとはしなかったから。

ふたたび、政権交代が現実的にも思えてきた今日この頃、私は民主党支持者では全然ないけれども、日本が政権交代がふつうに行われる「ふつうの国」になるためにも、前車の轍を踏まぬようここは民主党にしっかりして欲しいものです。
しかし、この事件で一番ほっとしてるのは、あの守屋元防衛事務次官でしょうね。

2007年11月4日日曜日

Expert Mouse















自宅ではマウスではなくトラックボールを使っています。マウスだと、マウスパッドとか操作時のコードの動きとかが気になりますが、トラックボールだとその点が自由なので好きです。

今までに使ったトラックボールの中では、ケンジントンから出ていたターボマウスが一番良かった印象があります。最近は、近くのビックカメラで買ったマイクロソフトのトラックボールを使っていました。ビックカメラにはこれしかトラックボールが売ってなかったのです。

でも先日、猫のトラックボールルームというサイトを見つけてしまい、無性にケンジントンの新しいトラックボールのエキスパートマウス7が欲しくなってしまいました。エキスパートマウス7はターボマウスのデザインを継承していると言えるくらいよく似ているので。

早速ぐぐって、楽天市場のお店に注文。注文した翌日には配達されました。手書きのイラスト入りのニュースレターが同封されていたりして、きっとSOHOっぽいお店なのでしょう。Web通販のお店は結構SOHOが多いのかも。

さて、エキスパートマウス7ですが、黒いパームレストを本体の手前側に装着できるようになっているのが、一つの特徴です。でも自分としては上の写真のように斜めにしてつかうので、パームレストは外してタオルをたたんだモノを手首の下に敷いて使うことにしました。

エキスパートマウス7を使い始めてまだ3日目ですが、感想。大きなボールを採用しているだけあって、ボールのごろごろ感はとってもゴージャスです。ただ、ボタンクリックに必要な力が少なすぎるかな。ボールをごろごろさせてる時に間違ってクリックしがちです。

トラックボールって、マウスと比較すると機種によって形がすごく違うんです。なので、乗り換えたときに手が慣れるまでの時間がマウスよりずっと長くかかります。このあたりが、ポインティングデバイスとしてのトラックボールのシェアがかなり低い理由なんでしょうね。

2007年11月3日土曜日

自宅用iPodみたいなもの

スピーカーで聞くならCD音質の方がいいかなと思って、自宅で音楽を聴くときはふつうにCDをつかっています。外出時とは違ってクラシック(とはいってもclassical periodより以前のものが好き)やshuffleしないでアルバムとして聞きたい物などを中心に。

ただ、いちいちCDを交換しないでいいというiPodの特長にも捨てがたいものがあります。なので、SoundDock® PortableがBOSEから新発売ですがこういうのも便利そうだなと感じてしまいます。

でも、ある程度しっかりしたスピーカーなら、CDレベルの音楽を楽しめるiPodがあってもいいなあと。ハードディスクの容量がどんどん大きくなってきていますから、CDの音楽を圧縮しないでそのまま記録して、CDを探したり交換したりする手間を省いた自宅用iPod。アップルからは絶対に出そうにないけど。

調べてみると、ソニーから出てるハードディスクオーディオレコーダーが、そんな感じの製品のようです。今年発売された製品ですが、これまでこういうコンセプトのモノってなかったんですね。MacとiTunesにも対応しているならいいのですが、ソニーだからどうなんだろう。今後、この分野の製品はすごく進歩しそうですし、他社からも出るのを待つかな。

2007年11月2日金曜日

かぜ、続き

かぜにかかっても、医療機関への受診やかぜクスリは必らずしも必要ではないと昨日書きました。このことは多くの人が理解していることのようです。

高齢者の場合、もともと高血圧症などの慢性疾患で医療機関に通院している人も多く、かぜにかかったかなと思った際に受診する人が少なくありません。高齢者の方が、かぜと似た症状でもかぜ以外の重篤な疾患にかかっている可能性が高いので、これは望ましいことです。

若い人(若い人というのは高齢者でない人ということ)の場合には、かぜにかかったかなと思っても、医療機関を受診しない人の方がずっと多いのだろうと思います。仕事を休んで医療機関にかかるのは難しいので、OTCのかぜグスリで済ませたり、OTCもつかわずに症状をやり過ごす人もいるでしょう。

ヒトは年に数回かぜにかかるものなのだそうです。一カ所で何年も診療を続けていると、若い人の中にも毎年のように年に複数回かぜで受診する人たちがいることに気付きます。そういった、かぜで受診する回数の多い人には二つのタイプがあるのではと日ごろ思っています。

第一のタイプは、比較的軽い症状でもきちんと受診する人たちです。どのくらいの症状があれば医療機関を受診するかという閾値みたいなものが、各個人によってかなり異なる訳で、その閾値が低い人たちがこの第一のタイプになるわけでしょう。健康に対する意識が高い人や、健康状態が気になってしょうがない人など、そういった各個人の健康に対する考え方の指標として、かぜでの受診回数を使えるんじゃないかとも思います。

第二のタイプは、38度近く発熱するなど、比較的しっかりした症状がかぜのたびに出現して、かぜでの受診回数が多くなる人たちです。かぜ引くたびに発熱する・発熱しやすいタイプの人とも言えます。
私自身はほとんど発熱することがありません。かぜの人と接する機会はふつうのひとより多いわけですから、かぜには人並みの頻度でかかっているはずですが、37.5度以上の発熱は1997年冬以来経験していません。こんな風に、かぜで発熱しやすい人としにくい人が存在するのだと思います。

ウイルス感染であるかぜでの発熱は、感染により免疫細胞からの産生が促されるサイトカインという物質の作用によるものです。サイトカインは炎症反応を惹起して感染を排除する作用を持っていて、かぜがself-limitedであるのはこういった作用のおかげです。


ここから先は、妄想モード。
数年前から新型インフルエンザが話題になっています。新型インフルエンザウイルスが出現すると、世界的な感染・パンデミックを起こすことが予想されます。

20世紀初めの新型インフルエンザのパンデミックであるスペインかぜの際には死亡率が高かったこと、特に青壮年の死亡率が高かったことからが知られています。本来頑健なはずの青壮年に死者が多かった理由として、このインフルエンザウイルスの感染に際してはサイトカインの分泌が亢進して、サイトカインストームという免疫反応・炎症反応の暴走がおきて肺など各種臓器が傷害されたことが想定されています。

かぜ症候群のような軽度のウイルス感染に際して発熱しやすい人は、サイトカインストームをおこしやすいというようなことはあるのでしょうか?ここ数年のうちに正解が判明するのかも知れません。

2007年11月1日木曜日

かぜ

朝晩かなり涼しくなり、かぜで受診する方が増えてきています。

かぜのことを医学の教科書ではかぜ症候群と呼びます。かぜ症候群は、主にウイルスの感染で起きる急性の上気道の炎症性疾患(*1)です。鼻汁・咽頭痛・発熱・咳などの呼吸器症状を呈しますが、基本的にはself-imited(*2)な疾患です。self-lmitedな疾患ということは、必ずしも治療には薬剤の投与を必要としないということでもあります。

「かぜ薬」というものが薬局で市販(*3)されています。かぜ症候群の原因となるウイルスに効果のある薬剤はありませんから、かぜ薬はかぜ症候群を治すクスリではありません。かぜ薬は、かぜ症候群の際に現れる鼻汁・咽頭痛・発熱・咳などの症状を軽減してくれる、対症療法のためのクスリなのです。総合感冒薬では、鼻汁を押さえる抗ヒスタミン剤・痛みを押さえたり熱を下げる解熱剤・咳を押さえる鎮咳剤などの薬効成分が配合されています。

かぜで医療機関を受診すると、医師の診察を受けてから薬剤を処方されることになります。医師はその患者さんの症状に合わせて、薬剤を選択します。例えば、咳のほとんど出ない人には鎮咳剤は不要でしょうし、発熱が軽度でそれほどつらくなければ解熱剤も不要になります。市販の総合感冒薬ではまとめて配合されているから不要な成分を取り除いて服用することができませんが、処方薬はテイラーメイドな訳です。ただし、医療機関で処方されるクスリの場合、一つの錠剤・カプセルの中に一種類の薬効成分だけが入っていることが普通なので、複数の症状を軽減するために2剤以上のクスリが処方されることが多いと思います。

かぜにかかったら、医療機関を受診すべきかどうか。かぜ症候群は上記のようにself-limitedな疾患ですから、必ずしも受診の必要はないのだと思います。ただし、かぜだと思っていたのに実は肺結核や肺炎などといった別の疾患だったりすることもありますから、症状が長引くときや症状がいつもより重いと感じた際には受診すべきでしょう。

また、かぜにクスリが必要かというと、必ずしもクスリが必要とはいえないと思います。かぜ薬は対症療法のための薬剤ですから、その症状がそれほどつらくなければクスリで押さえる必要はないのです。特に発熱や咳と言った症状は、体がかぜを治すために役に立ってもいるのですから。


*1 医師は「病気」のことを疾患と呼びます
*2 自然に治癒する傾向がある、自分の力で治るという意味
*3 市販薬のことをOTCとも呼びます。また、外来では「市販」を「しばい」と読む方がとても多いことに気付かされます