2007年10月25日木曜日

棕櫚

往診に行っていた頃、ある程度の敷地を持った元・現農家のお宅には必ず棕櫚の木が植わっていることに気づき、これがどうしてなのか不思議に思っていました。

その後、木の語る中世(朝日選書664)を読んだところ、洛中洛外図屏風や平安時代の年中行事絵巻などから大寺社の社前に棕櫚が植えられていたことや、15世紀には紀伊国に棕櫚の自生地があったことが古文書から確認でき、江戸時代にはシュロ縄づくりが産業になっていたことなど、宝前の棕櫚というコラムにまとめられていました。古くから社前に植えられたくらいの木ですから、ありがたい木ということで一般の家の敷地にも植えられるようになったのかなとも思っていました。

同じ疑問を抱いた人は私以外にもいるようで、Hatena :: Questionに「棕櫚(しゅろ)の木ブームは、どのように起きたのでしょうか?住宅街を歩くと、どんなショボイうちでも、棕櫚の木が植えてあるうちがタクサンあります。いつごろ、どうして、この「棕櫚の木ブーム」は起きたのでしょうか? また、それを解説してある本・サイトなどはあるでしょうか?」という質問がありました。棕櫚の木ブームっていうのは聞いたことがないけれど、本当にあったのかな。でも、抱いてる疑問は私と同じようです。 

これに対する回答が、和歌山県の棕櫚産業について説明したサイトを示して、「戦時下の影響で栽培数が増え、物品の製造と関連性がなくなった後にも特に伐採されずに徐々に定着していったものだと思われます。ですから、比較的新しい民家には棕櫚を植えている姿を見かけません。」としています。

前記の本ともあわせて、和歌山県の棕櫚産業が江戸時代以来続いてきてることがわかってとても興味深く読みました。でも、東京のこの近辺の農家でも棕櫚製品またはその材料を出荷していたかという点に関しては少し疑問が残るところです。もしかすると、シュロ縄など自家用に作るための材料として棕櫚の木を植えてあったということなのかも知れません。

ただ、実際の理由はもっと別のところにもあるのかも。上の写真は歩道の植え込みの中に生えてきた棕櫚の木が伐られてしまった様子です。実は棕櫚って、農家の敷地以外のいろいろな場所にありますよね。鉄道の線路際の敷地や校庭や公園などなど。そのすべてが人によって植えられたわけではなく、鳥が実を食べて種子を運んだケースも多いのだろうと思います。この歩道の植え込みの棕櫚もきっとそうでしょう。だから、ある程度以上の広さの敷地には自然と生えてきてしまうのかも知れません。

それにしても、同じ高さのふつうの木に較べると葉の量がとても少なく思える棕櫚の木ですが、競争にうちかつ秘密は何なんでしょう、これも気になります。

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